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寺院下0066 光圓寺 浄土宗 真宗大谷派  親鸞聖人御入滅之地 画像追加

2016年05月31日 17時55分50秒 | 寺院

親鸞聖人洛中寓居跡(光圓寺)


 

 

門が開いていました  (画像追加)

 

 追加終了

 

親鸞聖人御入滅之地   

五條西洞院月輪本荘  

花園殿 跡

 

「御伝鈔」によれば、親鸞聖人は関東から帰洛されたのち、

当時の五条西洞院(現在の松原通西洞院)に住まいされ、

そこに関東から門弟の大部の平太郎が聖人を訪ねたとされています。

また、「大谷遺跡録」によると、この地は九条兼実の別宅で、

聖人が御流罪になる前の住居であったとされています。

さらに「二十四輩巡拝図会」によれば、その旧跡は光圓寺であるといわれており、

光圓寺の寺伝では、この地で聖人が亡くなられ、

ご遺骸は事情があって善法院にうつされたと伝えられています。

 

 

修徳 まちなみ 文化財

 

前回の寺院 記事 ➔ 寺院下0065  長圓寺  浄土宗 本派  内容追加  

近辺地域記事 ➡ 地図の右下 ユーザー地図 をクリック


ポンプ西08  農地に手押しポンプ

2016年05月31日 09時59分10秒 | まち歩き

 

 

 

 

関連記事  ➡  各所の 手押し井戸ポンプ

 

手押しポンプ 前回の記事 ➡  ポンプ下07  高瀬川に架かる小さな橋 と 手押しポンプ  

 

川柳

 

目覚ましの ベルはまだかと 起きて待つ   /山田

 

下のユーザー地図で京都市内の記事探索が出来ます。試してみてください

 

 


まち歩き下0055  万寿寺通のお地蔵さん  説明書がありました

2016年05月31日 08時08分30秒 | まち歩き

前回の まち歩き記事  ➡  まち歩き上0054  京都御苑の花 

 

 


ポスター0008  松尾祭  松尾大社  4月24日、5月15日

2016年05月31日 08時05分37秒 | 掲示ポスター

 

関連記事  ➡  松尾大社の酒資料館 

             松尾大社 由緒ある 神社

ポスター 前回の記事 ➡   ポスター0007  春季京都非公開文化財 平成28年度 

 


寺院下0065  長圓寺  浄土宗 本派  内容追加

2016年05月31日 08時03分24秒 | 寺院

 

長圓寺

延命山と号し、浄土宗本派に属する。慶長13年(1608)京都所司代板倉伊賀守勝重が清巌和尚を開基に請じて建立したのが当寺の起こりで、勝重の没後、その法諱「長円院」にちなんで寺名を「長円寺」と号した。堂宇は天明の大火で焼亡したが、15世瑞誉上人のとき再建され、華頂宮尊頂法親王から「長円寺」の額を賜った。いま本堂・庫裏・客殿等の建物があって、本堂には本尊として慈覚大師作と伝える阿弥陀三尊を祀る。また本堂南の観音堂に安置する聖観音像は恵心僧都作と伝え、疫病に霊験があると信じられた。洛陽観音巡り第24番の札所である。 京都市

 

佛足石

 

 

観音堂

洛陽24番長圓寺聖観音縁起

当長圓寺観音堂内に奉安せらる聖観音は往時一條天皇の御代平安京に疱瘡流行し大納言藤原親衝公は之を嘆き天禄3年名僧恵心僧都に乞ひて観音像を作らしめ宮中に奉安37日の祈祷を修せし忽ちにして疱瘡は止みたり

由来疫病除の観音として霊験あらたかなり当時開山超蓮社大誉上人浄阿清巌大和尚は往時三河国永安寺の住職なりしか応仁の乱後京都の諸寺院荒廃せるを嘆き天正15季入京清水観音の霊告により当時叡山に安置せられし此聖観音を空地たりし此地に一小庵を結び奉安せりこれ現今の観音堂の創立なり

上人御齢64歳の折当時京都所司代板倉勝重公は上人に帰依信仰せられ約八百坪の土地を寄進し慈覚大師御作弥陀三尊を安置せる本堂及庫裏客殿を創建せられたり其後天明八年正月晦日京の大火の際堂宇を焼失せしが十五世瑞誉上人両本尊を守られ直後再建せられ昭和六年再度本寺火災に遭い両本尊及び観音堂表門のみ残り翌七年現今の如く再建せり

昭和二十九年正月吉日

延命山長円寺二十六世 真誉代

 

 

 観音像

 

堂前の石柱

 何が書かれているのでしょうか

 

堂前の石仏

寺院 前回の記事 ➔ 寺院上0064  教善寺  浄土宗  平安五佛詣  フジの花  今年のフジの花追加 

 

 関連記事 ➡ 洛陽33観音巡礼

       ➡  長圓寺(上京区)

 

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ポンプ下07  高瀬川に架かる小さな橋 と 手押しポンプ

2016年05月30日 11時18分40秒 | まち歩き

 

のりものおことわり   と書いてありました

  

こんなところに 井戸水 くみ上げ 手押しポンプがありました・・・

 

関連記事  ➡  各所の 手押し井戸ポンプ

ポンプ 前回の記事  ➡  ポンプ中06  龍ノ井  水の出る井戸手押しポンプもある  


ポンプ山03  随心院境内に 井戸ポンプがありました

2016年05月30日 11時05分52秒 | まち歩き

 

 清滝権現へ行く途中で 井戸ポンプがありました

 

関連記事  ➡  随心院  小町伝説が多く残る

関連記事  ➡  各所の 手押し井戸ポンプ

前回の井戸ポンプ記事  ➡  ポンプ下02 あった ここにも 井戸ポンプ 

 

 

 


ポンプ下02 あった ここにも 井戸ポンプ 

2016年05月30日 11時02分07秒 | まち歩き

 

 関連記事  ➡  各所の 手押し井戸ポンプ

前回の ポンプ 記事  ➡ ポンプ下01  使われなくなったのに なぜ残っているのか 井戸ポンプ  

 


ポスター0007  春季京都非公開文化財 平成28年度 

2016年05月30日 06時13分31秒 | 掲示ポスター

この像は法界寺にあります 薬師如来  秘仏ということです

前回の ポスター 記事 ➡  ポスター0006  蹴上のつつじ  4600本が咲き誇る  

 


神社下0038  新玉津神社  季吟・芭蕉ゆかりの地  

2016年05月30日 06時12分37秒 | 神社

 

 

石碑  北村季吟先生 遺蹟  昭和31年11月建立

 

新玉津島神社

この神社は、文治2年(1186)後鳥羽天皇の勅命により、藤原定家の父で平安末期から鎌倉初期の歌人として名高い藤原俊成が、五條大路(現在の松原通)烏丸から室町にかけての自分の邸宅地に、和歌山県和歌浦の玉津島神社に祀られている歌道の神「衣通郎姫」を勧請したことに由来する。それに先立つ寿永2年(1183)、後白河法皇の院宣により、藤原俊成はこの邸宅を和歌所として「千載和歌集」を編纂し始めた。ちょうどその年、木曽義仲が京に攻め入り、平家一門は都落ちするが、門下の一人である平忠度は、危険を顧みずこの屋敷に引き返し、「一首なりとも選んでほしい」と自分の秀歌の巻物を献じた逸話は有名で、俊成は、その中から次の一首を選び、千載和歌集に載せたという。

さざなみや 志賀の都は  あれにしを 

 むかしながらの  山さくらかな

江戸時代には、「源氏物語湖月抄」などの古典注釈の第一人者で、松尾芭蕉の師である北村季吟が、約7年間、この神社の宮司として住み万葉集の注釈書「万葉拾穂抄」の編纂に励んだ。これらの由縁から、今も多くの人が短歌、俳句、文章の上達祈願に訪れている。

京都市

 足利尊氏は社殿を修造し、境内に和歌所を復興して別当職を置き、朝廷もまた歌道伝授のさいには当社へ勅使を差し遣わされるならわしがあった。応仁の乱に焼亡し、のちに歌道家元冷泉家によって再興された。

 

社号標  明治9年3月 建立

 

石鳥居扁額    石鳥居は昭和3年 建立

 

参道を石鳥居をくぐるとすぐに拝殿・本殿が目の前にあります

 

手水舎

 

古井戸

 

末社  秋葉神社  天満宮

 

旧 社号標か

 

詳しい 由緒書き

 

拝殿と本殿

 

昭和の御大典記念  昭和3年春 建立

 

 

 

動物に似たような石

 

昔の石鳥居の基礎部分かな

 

関連記事  ➡  史跡下010  俊成社  ・ここに藤原定家も住まいしていた  

前回の 神社 記事 ➡  神社右0037  今宮神社 (右京区) 御霊社の1つ  

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寺院上0064  教善寺  浄土宗  平安五佛詣  フジの花  今年のフジの花追加

2016年05月29日 06時38分38秒 | 寺院

 浄土宗

 

 

平安五佛詣  第一番 祈願所  と 記されています

 

藤の花  平成27年4月18日 撮影

 

本堂です

 

扁額です

 

平成28年4月23日 撮影  フジの花

 

 

 

 

 

寺院 前回の記事  ➔  寺院下0063  明王院不動寺  真言宗東寺派

 

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上京区  千本通  仁丹

2016年05月29日 06時33分23秒 | 仁丹看板通り別

 

下立売下ル  稲葉町

 

 関連記事 ➡ 仁丹 町名ホーロー看板    


まち歩き上0054  京都御苑の花

2016年05月29日 06時32分50秒 | まち歩き

 平成28年4月23日 撮影

 

 

前回の まち歩き 記事 ➔   まち歩き下0053  暖簾・のれん

 


まち歩き下0053  暖簾・のれん

2016年05月28日 06時51分17秒 | まち歩き

まち歩き 前回の記事 ➔ まち歩き下0052  御弓師

 

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神社上0030 菅原院天満宮 道真公が使った産湯の井戸、愛用の燈籠 内容追加

2016年05月28日 06時46分07秒 | 神社

京都御苑の西にあります

 

 

鳥居は弘化2年(1846年)建立 幕末の元治の兵火を逃れたのでしょうか

 

大正2年5月建立です

 

石碑 菅家邸址    京都教育會 建立

 

菅原院天満宮神社

当神社は、従4位、下治部卿菅原古人朝臣。次は従3位、清公卿。次は参議是善卿の三世、子々相傳へて棲み給ひし邸宅の址にて。やがて是善卿の御子道真公の誕生し給ひし霊地なり。古人朝臣は桓武天皇に仕へて待讀となり。清公卿は嵯峨。淳和、仁明の三帝に歴仕し是善卿は文徳、清和の二帝に奉仕して俱に松讀の榮職におはせしかば此邸宅をも受継ぎ住み給ひしより世には菅原院と呼びたりとぞ。

拾芥抄を案ずるに菅原院は勘解由小路(下立賣通)烏丸の西一町(室町迄)菅贈太政大臣の御所、或は云く参議是清卿の家なりと。当時歓喜光寺と号し、北野祭の日神氏此所に来りて枇杷を取りて神に供すと。

又京城の古図には烏丸、西室町、下立賣、南椹木町の間を菅原院と記せり。蓋し往古は境域の広大なりしを知る可きなり。又袋草子国宝北野縁起(藤原信実朝臣筆)菅氏録によれば、菅原院は是清卿の旧邸地にして菅公は此の處に於いて御誕生あらせられし爾来菅公亦襲ひて邸宅とし給ひついで菅家のために、此地に歓喜光寺を創建せられしが後故ありて六絛道場に移せし由見えたり。然ればそのかみ此地に社殿を存し菅原道真公を本座とし相殿に御父是清卿を奉祀して古より断ゆること無く今に至れり実に是れ菅公御発祥の霊地にして聖蹟二五拝の第一して今も産湯の井及び天満宮御遺愛の石燈籠一基を存せり。菅原院天満宮神社  社務所

 

 

狛犬です

 

手水舎

 

慶応元年(1865)と刻されています

 

狛犬です

 

本殿です

 

 

 

 

天満宮御遺愛燈籠

 

 

 

平癒石

 

 

絵馬の数々です

 

菅公 産湯の井 です

 

 

古地図  内裏

 

名水  飲用可能か

 

   

神社前回の記事  ➡   神社上0029  護王神社 イノシシがシンボル  その1  

 

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