アートプラス京めぐり

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まち歩き山0838  屋外の彫刻 

2018年08月19日 14時26分03秒 | まち歩き

 

 

まち歩き 前回の記事 ➡  まち歩き山0837  民家の家の一部に車石が使われていました

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石碑山0173 明治天皇御遺跡

2018年08月18日 11時22分54秒 | 石碑

 

 

この石碑は、明治元年9月明治天皇御東幸の際、同2年3月の御還幸及び、同11年10月の御還幸の3回に亘って、古く戦国時代より東海道の茶店、宿場又本陣として洛東山科の名刹 毘沙門堂御領地内にあった「奴茶屋」に御駐輦されたことを記念して建立されたものである。

 

明治天皇(1852~1912)は,明治元(1868)年9月の東幸,同2年3月の還幸,同11年10月の還幸の途中,毘沙門堂領地内で東海道沿いのこの地にあった茶店奴茶屋に駐輦した。奴茶屋は,片岡丑兵衛という勇猛な弓の達人が,街道に出没した盗賊を討ち取り,文安4(1447)年,茶店を建てて旅人を送迎したことにはじまると伝える。以後,茶店,宿場,本陣として利用された。この石標は,明治天皇が立ち寄った奴茶屋を示すものである。なお,奴茶屋は,平成(1994)年に山科駅前再開発に伴い建物を取り壊し移転した。

関連記事 ➡  関連0004 明治天皇 行幸地 など

石碑 前回の記事 ➡  石碑山0172  山階寺跡(推定地)  五条別れで

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道標山0183 吉祥山 安祥寺  

2018年08月17日 06時01分46秒 | 道標

 

関連記事 ➡  寺院山0214  安祥寺  五智如来坐像五体 

道標前回の記事 ➡  道標山0182 五条別れ道標  沢村道範 300年前に建立

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まち歩き山0837  民家の家の一部に車石が使われていました

2018年08月16日 06時31分08秒 | まち歩き

 

関連記事 ➡  まとめ005 車石 のあるところ

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まち歩き山0836 民家の玄関先に車石

2018年08月15日 06時44分58秒 | まち歩き

 

関連記事 ➡  まとめ005 車石 のあるところ

まち歩き前回の記事 ➡ まち歩き山0835  車石があった  旧東海道筋なのか

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愛宕燈籠060  山科 旧東海道筋にあり 江戸時代のものだ

2018年08月14日 07時35分36秒 | まち歩き

 

 

愛宕常夜燈

安政3年 (1856) のものだ

関連記事 ➡ 愛宕燈籠 一覧  

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寺院山0494  當麻寺 (たいま) 

2018年08月13日 22時06分51秒 | 寺院

 

本堂に安置する本尊阿弥陀如来坐像は像高2.67メートル、寄木つくり、漆箔、定印をむすんだ丈六の巨像です。

寺院 前回の記事 ➡ 寺院山0493  山科別院長福寺 真宗大谷派

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道標山0182 五条別れ道標  沢村道範 300年前に建立

2018年08月12日 06時51分55秒 | 道標

宝永4年 (1707) 300年前のものだ

東を見る

道標 前回の記事 ➡ 道標山0181 蓮如上人  舊地

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道標山0181 蓮如上人  舊地

2018年08月11日 05時39分55秒 | 道標

 

是より二丁

蓮如上人南殿御旧地

夫よりすぐ大津道

道標 前回の 記事 ➡ 道標山0180  いまくまのミち   大つ道

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寺院山0493  山科別院長福寺 真宗大谷派

2018年08月10日 16時38分08秒 | 寺院

 

元文元年(1736)に建立された。山科は、蓮如上人が山科本願寺(1482~1532)を建立した地であり、上人の真宗再興が実現された場であった。

江戸時代のはじめ、本願寺は東西両派に分かれ、別々の道を歩むことになり、慶安3年(1650)には、本願寺が所有していた山科本願寺旧跡地の所属をめぐり相論が起こった。この相論は、ついには奉行所の裁決を仰ぐことになるが、東西どちらの所有も認められず、旧跡地は奉行所の預かりとなった。その後も数度の相論を重ねるも旧跡地が帰属することはなかった。そのため東西両派は、蓮如上人の山科本願寺旧跡を再興するかたちで、旧跡地に隣接する土地に御坊(別院)を建立することとなった。東本願寺は、享保17年(1732)に旧跡地の北側に位置する竹鼻村領を買い取り、御坊建立に取り掛かった。この時、当初入手した土地は現在地より南東に位置し、四宮川の西岸だったが、狭小だったためか今の土地に変更された。御坊建立の際、京都の東本願寺寺内にあった長福寺という寺院を移転し、山科御坊とした。その故に山科別院には、長福寺という寺号がつけられている。京都市

 

東御坊

昭和11年4月  京都 和谷悟平 建立

 

寺院 前回の記事 ➡ 寺院山0492  光照寺  浄土宗

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道標山0180  いまくまのミち   大つ道

2018年08月09日 06時00分40秒 | 道標

 

     東 六条                      すぐ  大つ道

             道

      今くま

いまくまのミち

道標 前回の記事 ➡ 道標左0179 右 くらまミち 享保12年 300年前のものだ 

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石碑山0172  山階寺跡(推定地)  五条別れで

2018年08月08日 05時21分26秒 | 石碑

 

山階寺は7世紀後半、藤原鎌足により創建された寺院。中大兄皇子(天智天皇)と共に大化改新を成し遂げた鎌足の「山階陶原家」附属の持仏堂が始まりと推定される。

奈良時代の興福寺に関する史料には、「鎌足は改新の成功を祈って、釈迦三尊像・四天王像を造ることを発願した。事が成就した後、山階の地で造像を行った。やがて重病になり、妻の鏡女王の勧めで伽藍を建て仏像を安置した。これが山階寺の始まりである」と記されている。

その所在地は大宅廃寺せつ中臣遺跡説もあるが、山科駅西南、御陵大津畑町を中心とした地域にあったとする説が有力である。付近から有力な遺跡は見つかっていないが、この辺りは大槻里と呼ばれ、西隣の陶田里にかけてが陶原であったらしい。鎌足の子の不比等が育った「山科の田辺史大隅らの家」も近くにあった。山階寺はその後、大和に移り厩坂寺と呼ばれ、更に平城京に移り興福寺となる。このため興福寺は山階寺とも呼ばれた。天智天皇の腹心であり、藤原氏の始祖となる鎌足は、山科と深い関係があったのである。

石碑 前回の記事 ➡ 石碑北0171  大田子屋敷

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まち歩き山0835  車石があった  旧東海道筋なのか

2018年08月07日 21時30分51秒 | まち歩き

 

 

関連記事 ➡ まとめ005 車石 のあるところ

まち歩き 前回の記事 ➡ まち歩き山0834 この道  旧東海道

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地蔵尊山045 山科 下御廟野町

2018年08月06日 06時55分58秒 | 地蔵尊

 

地蔵尊 前回の記事 ➡  愛宕燈籠059 岩倉中央町  と 地蔵尊左044 延命地蔵尊

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まち歩き山0834 この道  旧東海道

2018年08月05日 09時24分28秒 | まち歩き

 

まち歩き 前回の記事 ➡ まち歩き山0833 鬼門を構える家

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