アートプラス京めぐり

京都の探索、記事数4800 ミニ・テーマで京都をめぐります 随時記事更新中

地蔵尊山045 山科 下御廟野町

2018年08月06日 06時55分58秒 | 地蔵尊

 

地蔵尊 前回の記事 ➡  愛宕燈籠059 岩倉中央町  と 地蔵尊左044 延命地蔵尊

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愛宕燈籠059 岩倉中央町  と 地蔵尊左044 延命地蔵尊

2018年07月26日 05時48分32秒 | 地蔵尊

愛宕神社と記されています

関連記事 ➡ 愛宕燈籠 一覧  

地蔵尊 前回の記事 ➡ 地蔵尊左043  川上地蔵尊  牛若丸  鞍馬

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地蔵尊左043  川上地蔵尊  牛若丸  鞍馬

2018年05月21日 18時58分10秒 | 地蔵尊

 

川上地蔵堂

遮那王と称した牛若丸(義経公)の守り本尊である地蔵尊がまつられており、

牛若丸は日々修行のときにこの地蔵尊に奉拝したといわれる。

関連記事 ➡ 義経・弁慶 伝説  源平物語 

鞍馬寺  検索 ➡ まとめ028 鞍馬寺

地蔵尊 前回の記事 ➡ 地蔵尊右042 鳴滝延命地蔵尊

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地蔵尊右042 鳴滝延命地蔵尊

2018年02月17日 08時38分04秒 | 地蔵尊

 

地蔵尊 前回の記事 ➡ 地蔵尊中041  壺井地蔵尊

五七五

腰ぬけの妻うつくしき炬燵かな /蕪村

京ことば カンニン ごめん。「そんなことしてカンニン

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地蔵尊中041  壺井地蔵尊

2018年02月17日 08時19分33秒 | 地蔵尊

茶所 

堂内の地蔵菩薩

文政13年 (1830) 

 

天下泰平  六十六部供〇塔  願主 青遊

 

中興・・・  青遊法師

 

何か書かれていますが 判読出来ず

地蔵尊 前回の記事 ➡ 地蔵尊南040  にぎやかな ところに ありました

五七五

冬川や筏のすわる草の原 /其角

京ことば オタメ 贈り物を受けた時の返礼。


地蔵尊南040  にぎやかな ところに ありました

2017年11月12日 05時40分01秒 | 地蔵尊

 

地蔵尊 前回の記事 ➡ 地蔵尊南039 矢取地蔵尊  道標南0131  

    

五七五

捨てられずたんす開けてはまた閉める /渡辺

ことわざ

大事の前の小事

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地蔵尊南039 矢取地蔵尊  道標南0131  

2017年10月07日 16時00分05秒 | 地蔵尊

 車 ・・・・ 津田八良兵衛

正しくは なんて書かれているのでしょうか

これも  三 は分かるのですが

 

道標南0131

右ハ   やなぎ谷   観世音菩薩

 

       

     やわた

 左               往来安全

        八幡宮

           甲

    嘉永七年秋      高辻とうり

             寅            石工   定清   (1854年)

         高辻通新町西江入

 施主            伊勢屋伝九郎

                   安森氏

 

地蔵尊にある 石仏群

駒札

本尊は矢取地蔵尊。石像で右肩に矢傷の跡が残っている。左手に宝珠、右手に錫杖、矢を持つ。かつては矢負地蔵とも呼ばれた。

天長元年(824)、日照り続きで人々は飢えと渇きに苦しんでいた。そのため淳和天皇の勅命により、東寺の空海(弘法大師)と西寺の守敏僧都が神泉苑の池畔で雨乞いの法会を行った。

先に守敏が祈祷するも雨は降らなかった。対して、空海が祈祷すると三日三晩にわたって雨が続き、国土が潤った。

これより守敏は空海を恨み、ついに空海を羅城門の近くで待ち伏せて矢を射かけた。すると一人の黒衣の僧が現れ、空海の身代わりとなって矢を受けたため、空海は難を逃れた。空海の身代わりとなった黒衣の僧は地蔵菩薩の化身であったため、その後の人々はこの身代わり地蔵を矢取の地蔵と呼び、羅城門の跡地であるこの地に地蔵尊を建立し、長く敬ってきた。現在の地蔵堂は明治18年(1885年)に、唐橋村(八条村)の人々により寄進され建立されたものである。

京都市

 江戸中期、矢取地蔵を祭る地蔵寺は誤って地蔵堂として届けられた。

市歴史資料館や東寺によると、江戸時代の文書では元文3年(1738)3月に東寺の末寺である長福寺が奉行所へ嘆願している。長福寺の末寺だった矢取地蔵が元禄年間(1688~1704)の寺社改めの際、寺であるのに地蔵堂として届けてしまったとして、末寺に戻したいと主張している。

明治時代の文書は、明治18年(1885)4月に、東寺と地元住民が京都府の北垣国道知事にあてた嘆願書。地蔵堂を再興して地蔵寺と認め

東寺の末寺とすることを求めている。

現在の地蔵堂は、明治18年3月に住民の寄進で再興した建物。

 

ここはむかし「京の南の果て」といわれたところで羅城門の跡に当たり、西へ行けば西国街道、南へ行けば鳥羽街道(大坂街道)に通じる。

 

 地蔵尊 前回の記事 ➡ 地蔵尊右038  梅ケ畑 石垣の中にありました

道標 前回の記事  ➡  道標下0130  新時代の道標 京都駅

五七五

記念の日 一輪挿しの 卓囲む /迫

ことわざ

二の句が継げぬ

 


地蔵尊北011  お首地蔵尊  昔 辻斬りが よく出たところ 改装されました

2017年09月06日 21時11分18秒 | 地蔵尊

2016年12月19日 撮影

土台には

道しるべ が

左  おむろ  さが  あたご

お首地蔵尊装具の解説

旧祠に掲げていたお首地蔵尊名称額は、当時の清水寺高僧松本大円師の書であると伝えられている。裏面に記載されている内容を見ると、長年地元の世話役を務めた旧祠建立者で宮大工曾根傳七氏のご令室が逝去された時の戒名や俗名があり、昭和34年3月吉辰の記載がある。この名称額を、新祠後部の柱に掲げ、旧祠棟木(建立年月記載)とともに永久に保存する。

更新した名称額は、念佛寺住職真空雅明師に依頼の上、永観堂九十世義空玄禮師の書によるものである。ヒノキを使った名称額および正面上部の卍意匠(蟇股 かえるまた)は、匠の技を駆使したもので大工中家政男氏の作である。正面の格子の建具の板は米ヒバで、建具師竹中朗氏の作である。棟札は、ヒノキの赤身材で上白梅町河合康子氏の書による。お首地蔵尊の由来説明板は、平成9年12月京都新聞社からの資料提供により上白梅町河合康子氏、神谷順子氏の考案により作成されたものである。新祠完成を機にお地蔵様の前掛け、毛氈は、上白梅町井田章乃氏のご厚意により全て新作のうえ奉納されたものである。

 

お首地蔵尊奉祀の年月は不詳であるが、古老の語り伝える所によると、江戸時代からこの地に祀られていたと言われている。昭和初期生れの古老の幼少期の記憶では、旧祠建立の前は、数体のお地蔵さまが地上に置かれていたとのことである。

建て替えの前の祠は、昭和29年8月に当時の世話役であった上白梅町(現在の傳七すし、串八のところに在住)で、清水寺などの建立に携わった宮大工曾根傳七氏が住民の融和や町内安全を祈願して自ら建立し、寄進されたものである。

(昭和29年1954年8月から平成28年2016年2月まで存在)

平成28年3月25日に新祠が完成し、3月26日に開眼供養を、北区等持院西町にある念佛寺住職司式のもとに行った。新祠の卍のついた屋根瓦は、現在では入手困難なため、昭和29年のものをできうる限り再使用している。正面上部の卍の彫刻(蟇股 かえるまた)をはさむ上下の梁は、節なしのヒノキの正目、両側の壁材は、重要文化財などで使用されている赤身の杉板を使用している。柱、梁の嵌め合わせ部は、ほぞ穴をあけ、込み栓(こみせん)を駆使して、釘や支持金物を使用しない日本古来の伝統建築様式である在来軸組工法を採用している。

お地蔵さまは、全部で33体祀られている、正面左側(西側)には、2体の立像と1体の座像があり、2体の立像は、宝暦11辛巳(かのとみ)年(1761)7月24日 尾州中嶋郡一之宮(現在の愛知県一宮市) 六十六部供養佛と彫られており、約255年前のものである。立像は3体あったが1体は、下京区の旧日影町に譲ったとの記録があるが現存していない。なぜ当地に存在するかは不明であるが、この北側の旧紅梅町(現在の東紅梅町)あたりから出土したものと伝えられている、その他御影石のお地蔵さまは刻印などが無く、詳細は不明であるが、すぐ東側を流れる紙屋川の改修工事のときに出土したものをお祀りしていると伝えられている。

(辛巳(かのとみ、しんし)は千士の一つ)

昭和29年旧祠完成時の町名は、北野紅梅町、北野白梅町の二町であったが、その後昭和30年に上京区から北区に分区された時、町名変更があり現在は三町になっている。近隣三町で構成するお首地蔵尊協力会、北野紅梅町、北野東紅梅町、北野上白梅町が持ち回りで、例年8月24日ころに地蔵盆を開催している。紅梅、白梅の町名は、北野天満宮で有名な梅に由来しているものと思われる。当地は、京都市北区の南東端にあり、現在地より数十メートルの紙屋川橋以東は上京区になる。

所在地 京都市北区北野東紅梅町22番地先

平成28年3月 お首地蔵尊協力会

北野紅梅町会、北野東紅梅町会、北野上白梅町会

 

六十六部

書き写した法華経を全国六十六ケ所の霊場に一部ずつ納める目的で諸国の社寺を遍歴する行脚僧。鎌倉末期(1300年頃)に始まる。江戸時代には俗人も行い、鼠木綿の着物を着て鐘を叩き、鈴を振り、あるいは厨子を背負い家ごとに銭を乞い歩いた。

金閣寺と竜安寺との分かれ道にあたるこの一帯は、当時竹藪で人通りもなく、夜ごと現れる辻斬りに村人はおびえ、寄り合っては思案にくれていた。誰某か、不幸にも辻斬りにあい命を落とした人々の菩提を弔い併せて村人の安全を願ってお地蔵さんを祀ってはいかがかと建議した。村人は皆これに賛同し、三体のお地蔵さんを祀り、辻斬除を祈願した。

 

2015年4月11日の記事

小さな 祠です 中の様子は わかりません

 

三体のお地蔵さんをお祀りした やがて 辻斬りがなくなると 

お地蔵さんの 首が 三体とも 一刀のもとに 切り落とされていました

地元の人はおそれ敬い 身替地蔵と崇めるようになった

現在は 二体しか残っていません

首から上の病気に霊験あらたかといわれ、親しまれています

花も供えてあり ほったらかしではないようです

 

何か 文字が彫られているようですが 判明できません

 

地蔵尊 前回の記事 ➡   地蔵尊下010   真町の地蔵尊  涙の地蔵  

五七五

都大路 着崩れしている 偽舞子 /中村

ことわざ

柳に雪折れなし

 

 

 


地蔵尊右038  梅ケ畑 石垣の中にありました

2017年08月02日 20時24分41秒 | 地蔵尊

 

地蔵尊 前回の記事 ➡ 地蔵尊左037  やどり地蔵 

五七五

都大路 影を一つに白日傘 /西田

ことわざ

手に汗を握る

 


地蔵尊左037  やどり地蔵 

2017年07月30日 13時37分40秒 | 地蔵尊

 

やどり地蔵

子宝授かる「願かけ地蔵」

「やどり地蔵」が作られたのは鎌倉時代といわれている。

「やどり地蔵」の名前の由来は願を掛けると子供が宿るということから宿る地蔵(やどる地蔵)が「やどり地蔵」となったと言い伝えられている

 地蔵尊 前回の記事 ➡ 地蔵尊東036  北向地蔵尊

五七五

買い込んだ健康器具は押し入れに /的場

ことわざ

背水の陣

 


地蔵尊東036  北向地蔵尊

2017年07月16日 07時05分16秒 | 地蔵尊

 

地蔵尊 前回の記事 ➡ 地蔵尊伏035  伏見 伏見稲荷 付近 地中から出てきた

五七五

何思う黙したままの慰霊塔 /當山

ことわざ

物言えば唇寒し秋の風

 


地蔵尊伏035  伏見 伏見稲荷 付近 地中から出てきた

2017年03月27日 17時28分56秒 | 地蔵尊

子育て地蔵尊の由来

今は昔、1890年明治23年(京都府紀伊郡伏見深草村)当地にて、琵琶湖疏水の工事中、水田幸次郎氏(現水田治良次氏の厳父)の所有地から石のお地蔵様4体が発掘され、驚いたり有り難がったりで祓い清め、当町に寄贈され当町内会としても手厚く迎え入れ、当町並びに近所の子供の無病息災を祈り、ここに安置するものです。

東一の坪町自治会

 地蔵尊 前回の記事  ➡  地蔵尊伏034  伏見区 深草 榎木橋町

五七五

徒歩出勤 抜きつ抜かれつバスが行く /水戸っぽ

ことわざ

田舎の学問より京の昼寝

 

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地蔵尊伏034  伏見区 深草 榎木橋町

2017年02月09日 12時26分50秒 | 地蔵尊

 

文政12年(1829)7月

天導大日如来   地蔵大菩薩

 

 

地蔵尊 前回の記事 ➡  地蔵尊伏033  伏見 丹後町  地蔵尊

五七五

おトイレを我慢して聞く孫の九九 /高橋

ことわざ

暗夜に灯火失う(あんやにともしびうしなう)

頼りにするものを失い、途方に暮れること。

類・川からあがった河童

 ・闇の夜に灯火を失う

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地蔵尊伏033  伏見 丹後町  地蔵尊

2017年01月02日 10時47分16秒 | 地蔵尊

 

地蔵尊 前回の記事  ➡  地蔵尊伏032  伏見 新町1丁目 地蔵尊

 

川柳         

                              

 

同室の6台同じ相撲見る  /ミッキー

 

ことわざ

挨拶は時の氏神(あいさつはときのうじがみ)

「挨拶」は、仲裁の意味。けんかや口論の仲裁をしてくれる人は、ありがたい氏神様と同じであるという意味。仲裁人の調停には、速やかにしたがうのがよいという教え。

類似 ➔ 仲裁は時の氏神

 

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地蔵尊伏032  伏見 新町1丁目 地蔵尊

2016年12月31日 12時07分57秒 | 地蔵尊

 

 

 

 

 

地蔵尊 前回の記事  ➡  地蔵尊伏031  伏見 京阪電車さぬき図子 踏切の地蔵尊 

 

川柳                                        

 

幸福な人は他人をいじめない      /杉田

 

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