アートプラス京めぐり

京都の探索、記事数4800 ミニ・テーマで京都をめぐります 随時記事更新中

古墳右10  広沢池公園内にある古墳

2017年12月31日 21時38分30秒 | 遺跡・遺物

 石で囲まれた部分が 古墳です

古墳 前回の記事 ➡  古墳右09 広沢池の東の山頂に古墳 と 眺め

五七五

時々にふりかへるなり隙間風 /虚子

ことわざ

寄らば大樹の蔭

下の地図のユーザー地図 の囲みをクリックすると 付近の記事が探せます


古墳右09 広沢池の東の山頂に古墳 と 眺め

2017年12月31日 19時22分08秒 | 遺跡・遺物

広沢の池 と 嵯峨野 一帯

 

 

頂上にある 古墳

右手の山は遍照寺山 

古墳 前回の記事 ➡ 古墳右08  山越古墳群 古墳三基 と石材

五七五

古池は草履しづみてみぞれかな /蕪村

ことわざ

楽あれば苦あり

下の地図のユーザー地図 の囲みをクリックすると 付近の記事が探せます

 


古墳右08  山越古墳群 古墳三基 と石材

2017年12月31日 05時08分00秒 | 遺跡・遺物

山越古墳郡中の三基  古墳時代後期  6世紀後期 ~7世紀初頭

横穴式石室

調査 2010年8月 京都橘大学文学部文化財学科

1つ目

2つ目 と 3つ目

すぐ横に 古墳に使われた 石材置き場 

古墳 前回の記事 ➡ 古墳右07  印空寺の古墳

五七五

日かがやく諏訪の氷の人馬かな /子規

ことわざ

弱り目に祟り目

下の地図のユーザー地図 の囲みをクリックすると 付近の記事が探せます

 


まち歩き右0670  さざれ石

2017年12月30日 20時27分53秒 | まち歩き

 

松尾大社 方面が 見渡せます

さざれ石  君が代の歌詞に出てくる 石です  

ここの さざれ石が 元祖的な  さざれ石  です

嵯峨野 一帯が 見渡せます

 まち歩き 前回記事 ➡  まち歩き北0669  謎の石柱 何か書かれていそうなのだけど・・・

五七五

星のごと光り消えたる炭火中 /虚子

京ことば ゴメンヤス ごめんください。

下の地図のユーザー地図 の囲みをクリックすると 付近の記事が探せます


まち歩き右0671  広沢池畔からの眺め

2017年12月30日 17時42分06秒 | まち歩き

 

遠くの山 愛宕山 

 

右手の山は 遍照寺山

 

愛宕山を見る

紅葉

 

綺麗だ

 

 

 

まち歩き 前回の記事 ➡  まち歩き右0670  さざれ石

五七五

山水の減るほど減りて氷かな /蕪村

ことわざ

来年の事を言えば鬼が笑う

下の地図のユーザー地図 の囲みをクリックすると 付近の記事が探せます


古墳右07  印空寺の古墳

2017年12月30日 13時12分17秒 | 遺跡・遺物

 小さな 古墳です  少し2~3メートルぐらい盛り上がっています

古墳 前回の記事 ➡ 古墳右06 御堂ケ池一号墳 

五七五

一露もこぼさぬ菊の氷かな /芭蕉

ことわざ

楽は苦の種 苦は楽の種

下の地図のユーザー地図 の囲みをクリックすると 付近の記事が探せます


まち歩き北0669  謎の石柱 何か書かれていそうなのだけど・・・

2017年12月29日 12時12分37秒 | まち歩き

 

まち歩き 前回の記事 ➡ まち歩き上0668  地蔵尊の台座に  大・・・記念 の文字が

五七五

初霜や束ねよせたる菊の花 /子規

ことわざ

溜飲が下がる


古墳右06 御堂ケ池一号墳 

2017年12月29日 06時03分47秒 | 遺跡・遺物

 

京都市登録史跡

御堂ケ池一号墳

御堂ケ池一号墳は、右京区梅ケ畑向ノ地町(当該地から北へ約700mの所)にあった古墳で、20数基からなる御堂ケ池古墳群のうち最大のものである。嵯峨野一帯には、古墳時代後期に造られたこのような古墳群が多数みられるが、この御堂ケ池一号墳の規模は、直径約30mの円墳で、横穴式石室(全長8.3m以上、玄室長4m、同幅2.7m)を有している。本古墳の規模は同時代の他の古墳に比べかなりの大型のものであり、付近に存在したムラの最有力家族の墓と思われる。

昭和58年2月に開発に伴い発掘調査を行った際、石室から須恵器・土師器・馬具・刀子などの副葬品が多数出土し、被葬者は石棺・陶棺・木棺を利用して埋葬されていることが判明した。これらのことから、当古墳は6世紀後半に築造され、7世紀前半まで追葬が続けられたものと考えられる。なお、発掘調査後、当古墳のもつ規模等を後世に永く伝えるためにここに移築保存を行ったものである。

昭和60年6月1日登録

通称 さざれ石山の山腹に移築復元されています。

移築した石材は60個以上あり、総重量は110トンにも達しています。

1個の石材が15.5トンを計るものもありました。

石室の復元にあたっては、コンクリートなどは使用せず、漆喰を混ぜた土で石材を固定しながら、ほぼ当初の形に復元しました。巨石を利用した両袖式の横穴式石室は、古墳時代後期の特徴をよく示しており、当時の土木技術や墓制を知る上で貴重な遺構です。

古墳 前回の記事 ➡  古墳府05  石明神遺蹟 と 石碑

五七五

瓶わるゝ夜の氷のねざめかな /芭蕉

ことわざ

埒が明かない

下の地図のユーザー地図 の囲みをクリックすると 付近の記事が探せます


寺院右0420 龍安寺の寺号標

2017年12月28日 19時53分16秒 | 寺院

明治41年5月建設

 

大雲山 龍安寺

この地はもと円融天皇が永観元年(983)3月に造立された円融寺があったが、正歴2年(991)天皇の崩御後、寺は衰微し、平安末期に左大臣藤原実能の領有することになった。実能はここに山荘を営み、傍らに一宇の持仏堂を建て、徳大寺と号した。これがのちの家名となった。山荘はその後、徳大寺家の子孫の世襲するところとなったが、室町時代の宝徳2年(1450)室町幕府の管領細川勝元が右大臣公有(12代)に請うてこの地を譲り受け、己が別業とするとともに、また邸内に一宇を創建し、妙心寺の義天和尚を招じて大雲山龍安寺と号したのが、当寺の起こりです。

寺院 前回の記事 ➡  寺院伏0419  淀の 円通寺 浄土宗

五七五

菊も刈り芒も刈りぬ霜柱 /子規

ことわざ

李下の冠


道標北0145  狐篷庵前

2017年12月28日 18時45分32秒 | 道標

 

 

昭和12年3月 建立

道標 前回の記事 ➡  道標伏0144  淀町道路元標

五七五

霜百里舟中に我月を領す /蕪村

ことわざ

立錐の地無し


蔵のある風景右0365回  龍安寺 付近

2017年12月28日 15時41分21秒 | 蔵のある風景

 

蔵のある風景 前回の記事 ➡ 蔵のある風景北0364回  北区 大徳寺 付近

五七五

初氷何こぼしけん石の間 /蕪村

ことわざ

落花流水の情


墓上007  紫式部墓所・小野篁墓所

2017年12月27日 14時56分51秒 | 墓所

2017年12月の記事

 

小野篁卿墓

遠裔  関係者でしょうか

石川県金沢市・・

東京府巣鴨・・・・ 建立

紫式部墓所

平成2年11月建立 京都洛陽ライオンズクラブ

 

紫式部墓

 

 

紫式部 顕彰碑

紫式部は、藤原為時を父として天延元年(973)頃に生まれた。名は未詳であるが、香子と言った可能性が多い

祖父も父も歌人、詩人であった関係から彼女も幼児より学芸にも親しみ、穎脱したその才能は夙に認められてゐた。長保元年(999)藤原宣孝の妻となり、翌年娘の賢子を産んだが、

同3年、不幸にも夫を喪った。

寛弘3年(1006)頃、内覧、左大臣・藤原道長の長女で一條天皇の中宮として時めいてゐた彰子に仕へ、候名を父の官名に因んで式部と稱した。式部は侍講として中宮に漢文学を教

授する傍、「源氏物語」の執筆に励み、寛弘6年頃、この浩○な物語を完成し、世界文学史上に輝かしい記念塔を建てた。

寛弘7年頃には、日本思想史の上で稀有な虚無的人生観をめた「紫式部日記」を纏めあげた。晩年には引き続いて中宮(後に上東門院)の側近に仕へまた「紫式部集」を自撰した「源氏物語」は、執筆当時から宮廷社会においてもてはやされ、その女主人公・紫の上に因んで、彼女は紫式部と呼ばれた。

歿年については、長元4年(1031)とみなす説が有力である。「河海抄」その他の古記録は、「式部の墓は、雲林院の塔頭の白毫院の南、すなわち北区紫野西御所田町に存した」と傳えてゐるが、この所傳には信憑性が多い。「源氏物語」は、完成後、9世紀に亘って国民に親しまれ、また研究された。今世紀に入ってからは、式部の文名は廣く海外でも知られ、「源氏物語」は續々と各国語に翻訳された。1964年、ユネスコは、彼女を「世界の偉人」の1人に選んだ。なお、紫式部の居宅は堤第と言ひ、平安京東部の中河に所在した。すなはち蘆山寺のある上京区北の邊町のあたりであるる。

また、一人娘の賢子は、後冷泉天皇の乳母となり、従三位に叙された。11世紀の勝れた閨秀歌人の大成三位とは、賢子のことである。

平成元年(1989)春

文學博士  角田文衛 撰

 

紫式部、ここに永眠すると聞く

この素晴らしい文化の国

日本の礎を築いた偉人に感謝し

いま追善供養のために

この紫式部顕彰碑を寄進して

報恩行の一つとする。

大阪府豊中市

近藤清一

石匠 山本康裕

 

小野相公 墓

漢字ばかりで

明治2年3月

加賀 横山政和 建  とある

 

2015年6月 の記事

墓所入口  堀川通りに面しています

 

紫式部

 

 

 

 

小野篁

 

 

 

 

左が 紫式部   右が 小野篁

 

紫式部 関連  ➡  関連0012 紫式部 ゆかりの各地

小野篁 関連  ➡  関連記事0013 小野篁 ゆかりの各地

墓所 前回の記事 ➡    墓所滋006 智証大師 廟所

五七五

老武者と指やさゝれむ玉あられ /去来

ことわざ

燎原の火

下の地図のユーザー地図 の囲みをクリックすると 付近の記事が探せます

 


関連記事0013 小野篁 ゆかりの各地

2017年12月27日 06時09分41秒 | 関連記事

 

1  寺院南0403 地蔵院 浄土宗西山禅林寺派  自作 地蔵尊

2  神社山0111 大石神社

3  寺院伏0288  本成寺  法華宗(本門流) 妙營水  小野篁 たんきり地蔵

4  寺院山0192  徳林庵・山科地蔵  六地蔵めぐり

5  紫式部墓所・小野篁墓所

6 寺院上0111  智恵光院 浄土宗  洛陽48願所  六臂(ろっぴ)地蔵尊が有名

7  六地蔵めぐり の 大善寺

8  千本ゑんま堂・引接寺   六斎念仏は本日午後7時から  観音堂

9  清凉寺・嵯峨釈迦堂  本堂・阿弥陀堂・秀頼墓碑・生の六道  小野篁 像

10  寺院南0401 浄禅寺 浄土宗  

11  矢田寺  西山浄土宗

12  


関連0012 紫式部 ゆかりの各地

2017年12月27日 06時08分01秒 | 関連記事

 

1  まち歩き上0512  京都御苑  枇杷殿跡  紫式部  仕事場

2  廬山寺  圓浄宗  紫式部邸宅址  

3  神社西0055  大原野神社  紫式部も参詣した

4   慈受院  源氏物語・村雲御所の地

5   紫式部 供養塔 千本閻魔堂

6  紫式部の娘

7  紫式部墓所・小野篁墓所

8  雲林院

8  寺院東0367  尊勝院  庚申堂

9  道標東0111  元三大師 

10  清凉寺・嵯峨釈迦堂  本堂・阿弥陀堂・秀頼墓碑・生の六道  源氏物語

11  後冷泉天皇 火葬塚  娘が乳母となる

12  


陵墓北025  媞子内親王 火葬塚

2017年12月26日 19時11分06秒 | 陵墓

 

媞子内親王 火葬塚

白河天皇の第1皇女(1076年~1096)

母は 藤原賢子  享年21

陵墓 前回の記事 ➡ 陵墓南024  浄菩提院塚 陵墓参考地

五七五

さればこそあれたきままの霜の宿 /芭蕉

ことわざ

竜の髭を撫で虎の尾を踏む