アートプラス京めぐり

京都の探索、記事数6500 いろいろなテーマで京都をめぐります 
京都市外も始めました 先ずは京都南部から

まとめ011  大丸百貨店

2017年01月27日 16時47分37秒 | テーマ数々

百貨店の大丸に関する記事を集めました。

  神社東0084  瀧尾神社

〇   寺院伏0306  海宝寺  黄檗宗 伊藤若冲・大丸百貨店のゆかりの寺

〇   まち歩き中0006  大丸の創業年

 

五七五                                      

 

鏡みて案外若く元気出る /田村

 

ことわざ

虻蜂取らず(あぶはちとらず)

虻と蜂を一度に追いかけて、両方とも取り逃がしてしまうという意。両方のものを得ようとして、どちらも取り逃がすこと。欲ばりすぎたために、かえってだめになることのたとえ。

用途・「仕事と趣味を両立させようなんて、結局、虻蜂取らずに終わるぞ」

類・一も取らず二も取らず

 ・二兎を追う者は一兎をも得ず

 ・花も折らず実も取らず

 

 

 

 


石碑東0104  伏水街道 一之橋 旧址

2017年01月27日 10時51分17秒 | 石碑

伏水街道一之橋旧趾

一之橋は,伏見街道(本町通)の今熊野川に架けられた橋。愛宕郡と紀伊郡との境界ともされていたが,元来は法性寺内の橋であったらしい。この附近では,東の東福寺附近から何本かの川が街道を横切っており,北から順に二之橋・三之橋もあった。また,もともと附近は一之橋町と称し(明治2年に現町名に改める),小学校も一橋(いっきょう)小学校というように,町名・校区名の由来となっていたが埋めたてられた。この石標は,伏見街道に架かっていた一之橋の跡を示すものである。

昭和十七年六月建之

 

一ノ橋とは本町通の十丁目と十一丁目境に当たる今熊野川に架けられた石橋をいい、幅三間(約5.5m)長さ五間(約9m)であったが、川の暗渠化によって撤去され、橋脚の一部は一橋小学校に保存されている。この橋は法性寺の北境に当たるので、一に法性寺一ノ橋ともよばれ、二ノ橋・三ノ橋とともに古来古典文学にその名をとどめる名橋の1つである。元禄の頃、俳人其角は

ほととぎす一二の橋の夜あけかな

と詠んだ。伏見を経て大阪に赴かんとしたときの感懐であり、往時は暁闇に門出した人々はこの橋のところに至って夜明けを迎えたものであった。

石碑 前回の記事 ➡  石碑伏0103  電気鉄道事業発祥の地 

 

五七五                                      

 

ダイエット懐だけが軽くなり /フラフラ

 

ことわざ

危ない橋を渡る(あぶないはしをわたる)

今にも崩れそうな危険な橋を渡る、の意から、危険を冒して物事を行うこと。また、法に触れるか触れないかすれすれの手段や方法で仕事をするときなどにいう。

類・危ない枝に上らねば熟柿は食えぬ

 ・虎穴に入らずんば虎児を得ず

対・石橋を叩いて渡る

 

下のユーザー地図で京都の記事探索が出来ます。試してみてください

 

 


神社東0084  瀧尾神社

2017年01月27日 08時45分32秒 | 神社

西参道   石鳥居 

 扁額

享和4年(1804)正月吉日

 

南参道

滝尾宮  滝尾神社

 

瀧尾寺神社の創建については不明ですが、天正14年(1586)10月に豊臣秀吉の方広寺大仏殿建立に伴い当地へ移ってきたと伝えます。

当社は京の豪商下村家の崇敬が篤く、元文3年(1738)以降数度にわたって修復が行われてきたことが、下村家文書からわかります。現在の社殿も下村家の援助によるもので、天保10年(1839)に本殿、幣殿、拝所、東西廊が、翌11年には拝殿、絵馬舎、手水舎が造立されました。なお、本殿は「北山貴船奥院御社」旧殿を移建、一部改築したものです。

本殿は一間社流造、檜皮葺で石積基壇上に南面して建ち、その前には切妻造の幣殿、さらに向唐破風造の拝所が続き、幣殿からは左右に入母屋造の東西廊がのびてします。これらの建物はそれぞれ屋根を錯綜させながら一連の空間を構成し、独特の社殿景観を形成しています。このほか境内にはさらに拝殿、絵馬舎、手水舎が建ち、一連の社殿がまとまって現存していることから、この時期の中規模神社の形態を知るうえで貴重です。また社殿はそれぞれ、組物の中備に輪郭のない丸彫り彫刻の蟇股を装置したり、頭貫を獅子鼻に作る、あるいは欄間や桁隠しを透かし彫り彫刻で飾るなど、過剰なまでに彫刻装飾を施しており京都市内では異例といえます。

 

昭和 7年 3月 建立  大丸京都店

 

平成18年3月建立

拝殿

大丸が関係ありそうに聞いています

灯籠  天保年間(1830~44)の建立

拝殿の天井の龍

 

絵馬堂に掲げられた絵馬

 

 

 

重要なのか 金網で保護されています

 

 

明治25年 (1892)

 

 

 

 嘉永2年(1849)正月

 

 

 

昭和7年(1932)4月

手水舎

天保11年(1840)

天保11(1840)年9月   寄附 西村安兵衛

ウナギ の絵馬

 

 

 

狛犬

 

瀧尾神社 本殿

 

 

三島神社 と関わりがあるようです

 

 

三嶋神社

 

末社 愛宕神社

末社 稲荷

末社 金刀比羅宮

 

瀧尾天満宮

 

妙見宮

 

陰陽石

 

 関連記事 ➡  三島神社  平家ゆかりの地 安産祈願  義経伝説

神社 前回の記事 ➡ 神社伏0083 金礼宮

 

五七五                                      

 

天国に来ました地獄満員で /うなぎ

 

ことわざ

痘痕も靨(あばたもえくぼ)

愛する者の目には、醜いあばたもかわいいえくぼに見えるもの。ひいき目に見ると欠点も長所に見えるという意。

類・愛してその醜さを忘る

 ・惚れた欲目

 

下のユーザー地図で京都の記事探索が出来ます。試してみてください