食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

『回顧録、手術Ⅳ』

2013年01月26日 18時06分26秒 | 回顧録

体重測定を終えナースステーション隣にある部屋に連れていかれると、個室ではな

く相部屋で先客がおられる。手術を終えてここの病棟に戻って直ぐの人が、ここで一

晩なり落ち着くまで看護師さんの目の届く部屋で過ごす。

だから患者さんは寝たままの人が殆どだから、普通の患者のように自己紹介をする機

会はない。また本人たちも身体にメスを入れた直後でもあり、自分のことで精一杯だか

ら、自分にとって快適か否か以外の他人のことなど全く関心を持てない。

相部屋で多少なりとも気を使う、自分も管攻めに慣れない、ICUと違って意識ははっき

りとしているから入院以来、最悪のコンディションだった。幸いにも一晩泊まりで元の部

屋に戻ることができ、やっと自宅に戻ってきたような、おかしげな安堵感を覚える。管攻

めの状態は変わりなく、寝返りも満足にうてない。いつもは横寝かややうつ伏せ気味が

お気に入りのスタイルなのに、仰向けばかりでも不自由はなかったようだ。しかもベッド

は少し頭の方を高くしていないと、食道や胃を摘出しているので残胃の中にあるものが

逆流する可能性もある。今も思うけど多動症の爺さんがよくあの格好で我慢していたも

のだと。私の本当の姿は、芯が強く何事にも屈することのない我慢強い人間ではない

かと思わせるほど。術後からは絶食の代わりに、中心カテーテルとやらで栄養分の補給

をされており、食事の心配は要らない。

しかも空腹感を覚えないから食欲は湧かない。食べたくて我慢するのは辛いから、こちら

の方がまだ、ましかも。ここまで耐えてきた目的は癌の摘出により、食べ物が詰まる症状と

の決別だ。それが手術により回復したのかどうかは実際に食べてみなければ分からない

ことだから、早く口から食べる日が待ち遠しい。

また、手術の後は熱が出るから湯たんぽ等で体温を上げることがよくある。私はICUでの滞

在が長かったから、もしそうしたことが必要なら無意識の中で処置されていたと思われる。

他人の話だと麻酔が覚めたら電気あんかを入れて貰ったとか、熱が出たのをよく覚えてい

ると聞く。この辺りの経過は他の患者さんと様子が異なっている。

 最初の儀式は『オナラ』を出すこと、つまり腸が以前のように整列したことの確認だ。看護師

さんとの会話のキーワードは『オナラは出ましたか?』、腹がゴロゴロと鳴ったり、張ったりの

候はなく、私は勿論の事、皆がその臭い朗報を待ち望んでいた。今となっては何時だっ

たかはっきりしないが弱々しいものが通過して行った。幸いなことに熱、血圧などにも異常

は認められていなかったから、『オナラ』のお知らせは全て順調にお墨付きを与えるものに

なった。


『どうなる原発防災計画』

2013年01月26日 17時37分51秒 | 日記

今朝の新聞に原子力規制委員会は原発事故時の防災計画のモデルケースの提示

を断念とあった。それを受けて自治体は具体的な防災計画を今年の3月18日までに

作ることが法律で定められているのに、自治体は屋根に上がったら梯子を外された格

好になり大きな困惑を招いている。

断念の理由は地域間の格差があり参考にならないから、その代わり作成マニュアルを

提示するから、これを参考に自治体で勝手に作れというものだ。

『凄い、すご過ぎるぞ、規制委員会』

『国も凄い、原発事故の対応できないのに、ベトナムに原発を売り込む。すご過ぎるぞ

Japan』もっと凄いのは東電だ、誰も勝てないほど凄い。下の新聞記事のように、福島原

発の当事者であることを忘れたかのような、責任はないかのような、今後も自分たちだけ

の都合のいいようにしたいようだ。

仮に規制委員会がモデルケースを示したとしても、国や自治体に出来ることは一時凌ぎ

に原発近くから逃げ出す手立てをすることだけなのだ。事故の時に大混乱してもいいと

は言わないが、逃げ出す際の混乱は避けられないとしても一時的なことだから我慢に我

慢するにして、避難先での生活、元の居住地に戻れるかなどなど『課題』なんて生易しい

言葉で語れないことは、今の福島をみれば一目瞭然だ。

逃げる算段ばかりして逃げたら地獄が待っているのではないか。同じことを何度でも言う

が『福島を今もこれからも100%救済できないのに、次に起こった場所は本当に救済できる

のか、出来ないなら福島の二の舞になるから4649とでも言うのか』


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