食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

『回想録、手術は終わった?』

2013年01月24日 17時43分51秒 | 回顧録

もう一つ、身体拘束に関する同意書の提出は別の形の問題としての対策だ。

病院が拘束を必要とするようなケースは、患者が痛がってもがき苦しむのを無理やり

ベッドに縛り付けるなんてことではなく、無意識の中で起こす行動に対してだと理解

していた。だから『先生、もし騒ぎ出したら、恐らく無意識のことですから叩くなりして

気絶でもさせて静かにさせて下さい。その時のことは覚えていないだろうから、後で

問題になることはないでしょう。もし叩いてたん瘤でも出ていたら、ベッドから落ちた

時のものとでも言っておけばいいから』と軽口を叩いていた。

こうした書類を読み直していたら、手術室に入る時の看護師さんとのやりとりを思い

出した。

『指輪や貴金属など身体に付けているものが何かありますか?』

『いや、何にもないはずだけど・・・ああ、あった金二両』

『それは、いいです』

こんな馬鹿げたことを言いもって、普段の心境では潜る(くぐる)ことのできない手術

室のドアを軽やかに通過し、何があっても後戻りはなくなったことを肌身で感じた。

何やら遠くの方で人の話をする声が聞こえてきた。意識はもうろうとしており、やがて

自分に向けて声をかけられているのではないか、いや只の他人同士の会話だ。

それから、そんなことを何度経験したのかも分からない。妻の『お父さん』と呼ぶ声に

目を覚ましたように思うが、前後の関係は支離滅裂だ。看護師さんの『音楽を聞きま

すか』に対して『ビートルズ』と答えたらしい。そしてビートルズの曲を聞いていたの

あろうが、その時ビートルズを聞いた記憶はない。

かなり意識が戻り自分の意志で話したのは『手術は終わったのか?』だった。手術

をしたようには感じない。色々な管は繋がれているものの傷口が痛むとか、摘出箇

所が痛いなど予想していたことは何一つなく、ベッドで安静状態を強いられているだ

けだったから。それでも、ICUの中にいて何かを思ったり、考えたりすることは出来な

かったようで、殆ど覚えていない。日本の病院は看護師不足で外国から特別に在留

許可を与えて資格を取得して貰い戦力になって貰う。こんなことが頭にあったのだろ

うか、ICUにもそうした研修生がいて片言で話をした。私も何か手助けになるように、

参考書を寄付してあげよう、こんなことがあったと思っていたが、実際にはそんな研修

生はいなかったから、夢を見ていたのに現実と思い違いをしていたようだ

 


『SCC=1.5ng高止まり』

2013年01月24日 17時35分52秒 | 日記

1/10に健診を受けた結果を聞きに病院に出掛ける。前回は患者が多く今までで一

番長く待たされた。患者さんの容態次第だから待時間は仕方のないことだが、今回

のような結果だけを聞きに行き、仮に何も異常がない場合でも主治医の先生にお世

話になるのは、ちと心苦しい気がする。

特に要望のなさそうな、また異常なしの患者には看護師さんの説明でも私はいいと

思う。何か質問や直接医師とのやり取りの必要な方は従来通りの対応をして貰えば

医師の負担は減るし、待つ時間は短くなるからいいと思うけどなー。

腫瘍マーカーSCCは前回と同じで上限値1.5に高止まりしていた。他の結果、現在の

SCCの状況からして、特に気になることはないとお告げがあった。

私のIDとしてSCCは1.5が標準値と勝手に思うようにしている。昨年の9月にCTを撮っ

ているので次回はCT検査を含む予定が組まれた。

病院から帰り、山小屋のソーラー遊びの続きに没頭する。本日の目玉はシガレットラ

イトのUSB端子を使ってワンセグTVの電源、充電の確認をすることだが、USBコネク

ターの端子がどのような配列になっているのか知らないが、電源は両端のピンらしい

ことは調べてある。理屈では簡単な話だがTVがUSB標準の±を使っているのか分か

らないから慎重にならざるを得ない。

幸いなことに、案ずることも無しに確認できソーラー発電で賄えるようになり、電池切

れは家で充電からまた一つ解放された。

          ソケットを壁コンにして12Vを使用、横のMP3も使用可  

        蛍光管をLEDに変更したスタンドもソケットをDC用に


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