感覚的には昨日の朝、手術室に入り手術をしてその翌日のように思っていたのに、
妻の話だと4日目に麻酔が解かれ、やっとお目覚めになったと言う。
手術は9時過ぎから始まり夕方の5時頃までかかったそうだ。術後、摘出した食道と
胃は標本のようにピンで開きにされ、先生はそれを見ながら説明された。食道と胃
はつながっており全長、約20㎝くらいの大きさの哀れなホルモン状態。
癌の部分の説明をされたものの素人目にはよく分からなかったらしい。妻たちも
『This is Cancer』と言えるもだと期待していたのに何の変哲もないホルモンを見せ
られ拍子抜けだったとか。
後日、私も写真を見せて貰ったが脳裏に残っている胃カメラで見たものとは似ても
似つかぬものに見えた。立体のものと平面べったんこの写真との違いもあろう。二つ
の癌はすぐご近所なのに氏も素性も違うことは後の病理検査で確定した。
ICUの中でのことは、それぞれの部屋に居た記憶はあるが、時系列的なものはなく
アバウトできちんとした説明はできない。痛み止めの麻酔をかけられていたのか否
かも定かではないが、手術の痛みの覚えは全くない。記憶が明確になってからも傷
の痛みは感じなかったから、麻酔で静かにさせなければならない状態ではなかった
と思われる。
ICU個室から一般病棟に戻る時、車椅子に乗せられナースステーション横へ、そこ
で体重測定をした。車椅子に乗り込むのも自分でできたし、体重測定で体重計に
乗っても平気だった。
食道と胃の1/3だから100g位を摘出されただけなのに体重は、極超スリムの38Kg
と小学生並になっていた。身は軽やかでもフラフラすることもないし、管さえなけれ
ば散歩でも行ける感じだ。
私の性分からすると、たくさんの管で繋がれ不自由な身体なれど、痛くはないし管
を動けるように纏めてくれたら,チョロチョロくらい出来そう。ベッドでじっとしているな
んぞは苦痛では済まないはずなのに、とんでもない目に遭ったという記憶もゼロだ
った。
この管どもは酸素吸入、中心カテーテル、腹の中に溜まる血液や汁を吸いだすも
の、尿管、などが腕、腹などからニョロニョロと出ており、動く時も管が交差して絡ま
ったりしないよう、一定のルールに従わないとナースコールのお世話になる。
この頃の仕事は、動けないから音楽を聞き、テレビを観て、点滴の終了のナースコ
ールくらいしかないし、昼寝をすることはないから暇をもて遊んでいたと思うが、そん
な苦痛を味わった記憶はない。