これまで大勢の人々に会ってきましたが、“オーラ”を感じた人は残念ながら数少ない。
私は宗教家ではないので、ここでいう“オーラ”とは、その人が強く発するエネルギー捉えて欲しいと思います。
今回紹介する古越富美恵さんは、中学1年に折骨癌で片足を切断され、そのハンデを負いながら懸命に勉強され、長野県丸子町の厚生連鹿教湯病院でケースワーカーとして活躍されていました。やがて乳癌になり両側の乳房を失い、その後次々と癌が転移し、闘病されながらも32歳の若さで平成3年に帰らぬ人となりました。
彼女の闘病生活を綴った作品『終の夏かは』は、平成3年読売新聞社の「女性ヒューマン・ドキュメンタリー大賞」を受賞されました。そして斉藤由貴さんの主演でドラマにもなりました。
私は古越さんとお会いできたのは、2回だけした。初めてお会いしたのは私たちの結婚式で、2回目は彼女が入院していた佐久総合病院にお見舞に行った時でした。
古越さんは、妻が結婚前に保健師として勤務していた鹿教湯病院でケースワーカーとして仕事を一緒にしていたことがご縁でお付き合いがありました。古越さんは大変筆まめな方で、平成2年に結婚退職した後も妻のもとへ綺麗なしっかりとした字で度々手紙をくれました。
妻から古越さんの病気のことは聞いていたので、当時住んでいた横浜から小諸へ帰省した平成2年の夏に、妻がお見舞に行くというので私も同行しました。その時の彼女の印象がとても強烈で今でも思い出されます。
彼女が入院されていた病室に行くと、お元気に迎えてくれて病気のことなど微塵も感じさせない生命力に溢れたオーラを発していました。まるでお見舞に行った私たち夫婦の方が病気で慰められているのではないかと錯覚するほどでした。その時「人間はこれほどまでに強く、輝かしく前向きに生きられるのだろうか。」と思いました。
その後、『終の夏かは』が大賞を受賞されて、出版された本を読ませていただき、改めて彼女が辿った闘病生活の凄まじさ、ケースワーカーとしての自覚の高さなどを妻から聞いていた彼女の様子と重ねあわせて、彼女の生きた軌跡、その偉大さに触れた思いがしました。
私たちの子どもたちそれぞれが自らがどのように生きていくかを考える時期がいずれ近いうちにやってくるだろう。そんな時、親として古越さんのように命の限り生きることの貴さを伝えていくのが私たち夫婦の責務だと思う。
古越富美恵さんのご冥福をお祈りします。
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古越さんとは高校で同期でした。彼女のことを考えると今時分はこんなんでいいんだろうか、と思います。