内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

毎日が自転車操業的思考

2016-04-20 05:28:34 | 雑感

 ここのところ仕事上うまく捗らないことが多くて、実は青息吐息で長期連載「ジルベール・シモンドンを読む」を書き続けていました。しかし、その連載を休まずに続けることが、自分一人ではどうにもならない理由で進捗しない仕事の重圧に耐える一つの手段でもありました。
 そもそもこのブログを始めたきっかけそのものが、本人としてはほとんど耐え難い精神的閉塞状態の中でなんとかそこからの出口を見つけたいという藁にもすがる思いでした。そして、幸いなことに、ブログを毎日休まずに更新し続けることで、少しずつですが、精神が安定を回復してきました。
 この意味で、ブログを規則的に書き続けることには一定の精神的治療効果があることを自ら実証することができたと思っています。
 二十歳前後から自発的に文章修業のようなものを始めて以来、文章を書くことは嫌いではありませんでした。ところが、留学生としてフランスにのこのこやって来てから、日本語で文章を書く習慣はいつしかなくなってしまっていました。
 それが三年前にブログを始めたことで、おそらく、子供の頃からそれまでに自分が書いた日本語の文章全部に匹敵するであろう量の文章をこの三年弱の間に書いたことになります。
 それだけの量の文章が書けたのは、それ以前に長年細々と蓄積してきた知識と飽きもせず反芻してきた思考とに負うところ大ではありますが、しかし、それだけのことであれば、いずれネタ切れになって、そこでお仕舞い、ということになっていたと思います。
 確かに、これまでにもすでに同じ問題を繰返し論じている部分も少なからずあり、毎日が新ネタというわけではありません。しかし、つねに新しい話題について書くのがこのブログの本来の目的ではありません。人様にお役立ち情報を提供することも考えていません(そもそもそんなもの私にはないですしね)。
 実情はといえば、書いている本人にとって、基本的に、毎日が思考の「自転車操業」なのです。思考のペダルを漕ぎ続けないと、つまり、書き続けないと心身ともに倒れてしまう。倒れないためには書き続けるしかない。それがこの先何らかの「成果」に繋がるかもなどということは期待していない、というか、そんな余裕はそもそもないのです。
 ただ、自転車に乗っていれば、進むにしたがって見える風景が変わっていくように、思考の自転車を漕いでいると、それまでは思いもよらなかった発想の到来やそれによって開かれる視野の中で美しい「景色」に出会って感動したりすることもあるのです。そういうときは漕ぎ続けてきてよかったなって思います。
 毎日書くことで思考のペダルを漕ぎ続けること、それによって考える身体の体力を維持し続けること、そんな終わりのないメンタル・トレーニングのための私設個人ジム、それがこのブログです。