内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

個体を存在の中に位置づけ直すために ― ジルベール・シモンドンを読む(43)

2016-04-03 07:26:46 | 哲学

 シモンドンに限らず、哲学の大著に往々にしてありがちなことは、表現上若干のヴァリエーションを伴いつつも、繰り返しが多いということです。それは、大曲の中に度々現れる同一主題の反復あるいは変奏にちょっと似ています。その反復ないし変奏が全体の中である必然性をもって有機的な仕方で他の部分と結びついていれば、読んでいて、あるいは聴いていて、飽きるということはないわけですが、そうでないと、やはり、「またかよ」という気分にもなります。シモンドンの文章にも少しそういう嫌いがあります。
 しかし、昨日と同じ理由で、つまり、シモンドンの思考と語彙に徐々に馴染んでいくために、「序論」だけは飛ばさずに最後まで読んでいきます。
 さて、今日読む段落では、本研究の意図が述べられています。以下、その段落を、そこに若干の言葉を補いつつ、ほぼそのまま訳していきますので、文体は常体を使います。
 本研究の意図は、個体化の諸々の形態、様態、程度を研究することで、それは、物理・生命・心理-社会の三つのレベルに応じて、個体を存在の中に位置づけ直すためである。個体化を説明するのに実体をまず措定するのではなく、我々は、物質・生命・精神・社会などの領域の基礎として、個体化の異なった体制を選択する。そうすることによって、これらの領域の分離・階層・関係は、異なった様態によって展開される個体化の諸相として現れる。そこでは、実体・形相・質料という伝統的な哲学的諸概念は、「第一次情報形成」(« première information »)・「内的共鳴」(« résonance interne »)・「エネルギー的潜在性」(« potentiel énergétique »)・「大きさの秩序」(« ordres de grandeur »)という、より根本的な諸概念によって取ってかわられる。
 もう何度も聞かされた話だよって、うんざりされた方もいらっしゃることでしょう。私もその一人です。しかし、見方を変えると、序論でここまで口を酸っぱくして繰り返さざるを得ないほど、西洋哲学の世界では、伝統的な実体論的思考がいまだに強固な根を張っているとシモンドンが考えているということでもあります。
 「夢よりも儚き世の中」「ゆく河の流れは絶えずして...」「諸行無常の響き」などに敏感に顫動する心をもった日本人(すべての日本人とは言いません)にとって、シモンドンが倦むことなくそれに対して批判を繰り返すところの実体論的世界像は、まことに想像を絶する異界のようにも思われることでしょう。