あと七行ちょっとで七日に読み始めた段落を読み終えます。今日はその段落を最後まで読み、さらに段落の末尾に付された脚注も続けて読みます。
まずその七行ほどをほぼそのまま訳します。
転導の結果として形成されるシステムは、具体的なものから成っており、あらゆる具体的なものを含んでいる。転導的秩序は、あらゆる具体的なものを保存し、「情報の保存」(« conservation de l’information »、原文ではイタリック)によって特徴づけられる。ところが、帰納は、情報の喪失をどうしても伴う。弁証法的過程同様、転導もまた相互に対立する諸側面を保存し統合する。しかし、弁証法的過程と違って、転導では、生成展開の枠組みとしての時間の先行的存在を想定しない。時間そのものが解決であり、発見されたシステム的なものの次元である。つまり、時間もまた、個体化過程がそれにしたがって実行されるところの他の諸次元と同様に、前個体化的なものから出てくる。
時間そのものも、超越論的な形式としてではなく、個体生成過程の相の下に捉えようという意図がここではっきりと示されていますね。この段落で批判的に検討された演繹的思考の場合、生成の外に予め定めうるテーゼから出発し、このテーゼは時間によって変化しないかぎりにおいて有効です。同じく批判の俎上に載せられた帰納的思考の場合には、時間の内に与えられる所与から生成を考えるという点では転導的思考と同じですが、その所与から「使えるもの」だけ取り出して保存するという意味で、生成しつつある所与全体よりも「貧しい」結果しかもたすことができません。この段落のもう一つの批判の対象である弁証法的思考の場合は、所与についてそういう「犠牲」を払わずに全部保存し統合しようとしますが、その弁証法が展開していく枠組みとしての時間はそれら所与には属しません。ところが、転導的思考は、時間もまた問題解決のための一次元として生まれてくると考え、個体化過程の相の下に捉えようとします。いわば「全部まとめて面倒をみよう」というわけですね。
さて、段落末尾に付された脚注を見てみましょう。
こうした転導的作用は、生命的個体化過程と併行している。植物は、宇宙的な秩序と超極微分子レベルの秩序との媒介を確立する。植物は、光合成において受容された光エネルギーを用いて、地中及び大気中に含有された種々の化学物質を分類・再配分する。植物は、「要素間結節」(«nœud inter-élémentaire »)であり、初発においてはその間にコミュニケーションがなかった二つの現実層からなる前個体化的システムの内的共鳴として発展する。「要素-間-結節」(«nœud inter-élémentaire »)は、「要素-内-作用」(« travail intra-élémentaire »)を実行する。
正直に言いますと、この脚注を最初に読んだとき、ちょっと感動しちゃったんです。読んだ後で、まわりの風景が少し違って見えるようになったと言っても過言ではありません。この一節をこんな風に理解したからです。
植物は、この宇宙にあって、光エネルギーをいわば「翻訳言語」として、地球上の大気中に瀰漫する諸要素と地中に埋蔵されている諸要素との間のコミュニケーションを己自身において成り立たせている。植物は、己自身が育つことそのことによって、それ以前には互いに言葉を交わすこともなかった二つの別の現実層を結びつけ、互いに対話ができるようにし、そこに内的共鳴をもたらしている媒介の場所そのものにほかならない。
路傍の花や草木もまた、地に根を張り、新芽を芽吹かせ、花咲かせつつ、宇宙と大地との交信を実行しているのですね。