内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

新しい存在論的研究のための新しい方法論 ― ジルベール・シモンドンを読む(44)

2016-04-04 07:50:04 | 哲学

 今日読む段落も、シモンドンの個体化理論の「おさらい」です。少し長いので、逐語的には訳さず、ところどころに原文のからの引用を嵌めこみながら、内容を追っていくことにします。
 個体化についての新しい存在論的研究には、それに相応しい新しい方法論が必要になります。
 その方法は、二つの極限項の間の概念的な関係を手段として現実の本質を構成しようと試みることではなく、あらゆる真の関係を「存在の位階」(« rang d’être »)として考えることにあります。関係は、存在の「一様態」(« une modalité »)であり、関係がその実在を保証する関係項と同時的存在なのです。一つの関係は、関係に対して先在しそれぞれに概念的に把握されうる二つの個別的な項の間の単なる関係としてではなく、存在の中の関係、存在の関係、存在の仕方として把握されなくてはなりません。
 関係を形成する項の関係に対する先在性を認める考え方は、それらの項が実体としてまず与えられているという前提から出発していますが、シモンドンがこのような考え方を徹底的に繰り返し批判していることはすでに私たちも見てきました。
 実体を存在のモデルとして考えることを止めれば、関係を「存在の己自身に対する非同一性」(« non-identité de l’être par rapport à lui-même » )として構想することが可能になります。こうすると、「存在の中に単なる自己同一性ではない現実を内含させること」(« inclusion en l’être d’une réalité qui n’est pas seulement identique à lui »)として関係を考えることができるようになります。その結果として、あらゆる個体化に先立つ存在としての存在を一つの統一性や一つの同一性以上のものとして捉えられるようになります(この点について脚注が付けられています。その趣旨は、このような新しい存在把握には、大きさの秩序は複数あり、それら秩序間には相互作用が原初的には不在であるということが特に含意されているということです)。
 このような新しい存在把握の方法は、存在論的な性質を有した要請を前提としています。それは、あらゆる個体化に先立って把握された存在には、排中律や同一律の原理は適用されない、ということです。なぜなら、これらの原理は、すでに個体化された存在にしか適用されず、環境と個体とに分離され、それだけ「貧困化された存在」(« être appauvri »)を定義しているからです。これらの原理は、それゆえ、存在のすべて、つまり、個体と環境とによって後になって形成された全体には適用されません。これらの原理が適用されるのは、前個体化的存在の中から個体となったものに対してだけなのです。
 この意味で、古典論理学は個体化過程をその全体として考えるためには使えません。なぜなら、古典論理学は、個体化過程の作用を複数の固定概念及びそれら概念間の関係によって考えることを強制しますが、それら概念及び概念間関係は、個体化過程の作用全体のうちから部分的に考えられた結果にしか適用されないからです。