内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

《 forme 》の多義性について ― ジルベール・シモンドンを読む(51)

2016-04-11 05:27:49 | 哲学

 日本語でも「形」という言葉は多義的ですね。この語が使用されている文脈をその都度よく見てみなければ、その意味を特定できませんよね。「かたち」と読むか「かた」と読むかによっても意味が変わってきますし。それに、私にとって忘れるわけには行かないことは、「形」が後期西田哲学の根本語の一つでもあるということです。
 フランス語の « forme » も、日本語の「形」に劣らず、とても多義的な語です。例えば、Le Grand Robert では、四階層総計三十三項に分けられてその多様な意味が延々と説明されています。それに、その多義性は、日本語の「形」のそれとは部分的にしか重なり合いません。
 例えば、古代ギリシア哲学や中世スコラ哲学についてのテキストの中にこの語が出てくれば、それは「形相」のことです。論理学では、(推論、命題などの)「形式」のこと。ゲシュタルト心理学においては、« forme » は、まさにこのドイツ語「ゲシュタルト」(« Gestalt »)の訳語です。情報科学ならば、パターン認識の「パターン」を指します。
 といった具合に、« forme » という言葉が出てきたら、それぞれの文脈でどの意味で使われているのかちゃんと特定できないと、とんでもない誤解に陥ってしまいかねません。
 今日読む段落は、わずか六行と短いのですが、その中にこの厄介者の « forme » が出てきます。まずは原文を見てみましょう。

 Or, pour penser l’opération transductive, qui est le fondement de l’individuation à ses divers niveaux, la notion de forme est insuffisante. La notion de forme fait partie du même système de pensée que celle de substance, ou celle de rapport comme relation postérieure à l’existence des termes : ces notions ont été élaborées à partir des résultats de l’individuation ; elles ne peuvent saisir qu’un réel appauvri, sans potentiels, et par conséquent incapable de s’individuer.

 ところが、その様々なレベルにおいて個体化の基礎である転導的作用を考えるためには、« forme » 概念は不十分である。« forme » 概念は、実体概念、あるいは、関係項よりも後に来る関係という関係概念と同じ思考システムの一部をなしている。これらの概念は、個体化の結果から作り上げられたものであり、潜在的なるものを欠き、貧困化され、その結果として、自己個体化することができない現実しか把握することができない。

 これまで読んできたところから明らかなように、ここで不十分だと批判されている « forme » 概念は、伝統的な質料形相論のそれですから、この文脈では 、「形相」と訳すのが正解ということになります。