内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

今昔物語集から芥川龍之介へ、そして森有正の芥川仏訳について

2016-04-21 07:07:33 | 講義の余白から

 昨日が中古文学史の今年度最後の授業でした。説話がテーマ。その歴史的背景と成立・展開について手短に説明した後、『今昔物語集』について少し詳しく話しました。そして、一話だけ、原文と現代語訳とを横書きで左右に並べA4一枚に収まるように私が編集したプリントを渡し、学生たちと一緒に読みました。巻二十九、第十八話「羅城門登上層見死人盗人語」です。そう、芥川龍之介の「羅生門」の素材になっている説話の一つです。
 それから、その芥川の「羅生門」の最初の三分の一ほどを仏訳との左右対訳版でA4裏表四頁にやはり自分で編集したプリントを学生に渡しました。芥川が今昔の原文の簡潔・素朴な文体の力強さをいかに活かしつつ、陰影深い情景描写と登場人物の内面描写とによって古典的品格を湛えた近代小説を生み出すことに成功しているかを見せるためです。ネット上に数多くアップされている「羅生門」の朗読の中の一つを聴かせながら、仏訳を追わせることで鑑賞させました。
 仏訳は、名訳の誉れ高い森有正訳です。森有正の芥川訳は、「羅生門」の他十四作品を合わせた作品集 Rashômon et autres contes として、1965年にガリマール社からユネスコとの共同出版シリーズ « Connaissance de l’Orient » の一冊として出版されました。同作品集は、初版とは違う版型ですが、初版出版から半世紀以上経った今でも現役です。
 この作品集の翻訳のために十年掛けたと森自身があるエッセイの中で回顧していたはずです。もう三十年以上前に読んだエッセイなので記憶もすっかり曖昧になっているのですが、確かその同じエッセイの中で、翻訳するにあたってどんな方法を採ったかも説明していたと思います。自分が芥川の原文を目で追いながら、フランス人の友人に仏訳を朗読してもらい、視覚と聴覚とから得られる印象が一致するまで推敲を重ねたということだったかと記憶しています。そして、結論として、日本語からフランス語への翻訳は可能だが、その逆は不可能だという意味のことも言っていたような...
 いずれにせよ、森有正ならではの彫心鏤骨の名訳です。今では、その作品集から「羅生門」「地獄変」「藪の中」「芋粥」を選んでポッシュ版に編集しなおしたものも Gallimard の « folio2€ »シリーズの一冊として出ています。
 元の作品集には、森自身による二十頁余りの解説的序論が付されていて、その中でなぜ芥川が自殺するに至ったかについて立ち入った分析も行っていて、なかなか読み応えのある文章です。