考えるのが好きだった

徒然でなくても誰だっていろんなことを考える考える考える。だからそれを書きたい。

授業を途中で止める

2007年02月22日 | 教育
ときがあります。

 携帯が鳴ったら、必ず、「だれの?」と問いかけます。その時に、さっと名乗り出る生徒もいます。(あ、でも、最近は、すぐに名乗り出てきた例しがないな。)現勤務校は、校内では電源を切って各自が所定の場所で管理することになっています。だから、決して携帯が鳴ってはいけないのです。名乗り出たら、電源を切らせて預かります。(校内で、そのような指導をすることになっています。)その後は担任に指導して貰います。自分のクラスの場合は、1泊なり、時と場合に応じて(生徒に事前に言っておく)預かります。

 名乗りでないときは、名乗り出てくるまで待ちます。「名乗り出る人が出てくるまで授業はしない」と宣言して授業を中断します。いろいろ話をします。必ず言うのは、失敗したことよりむしろ名乗り出ないことに私は憤っている、ということです。時間が経てば経つほどそうです。時には職員室に戻ります。そうすると、結構すぐに名乗り出てきます。で、同じように指導し、教室に戻って授業を再開します。(でも、どういうわけか、最近は、その時間中に名乗り出てくることがなくなったなぁ。放課後になるまで来なかったりする。)

 それでも名乗りでなかったら、次の授業は教室には行きますが、テキストの続きはしません。これも授業だと言って話をします。それで1時間終わるときがありました。その次の時間も、同様に話をします。

 話をするときは頬杖や居眠りを許さず、前を向かせます。嫌な空気が漂いますが、教師が怒っているのだから仕方ありません。しかし、こういう時間が重なると、さすがに生徒も今後がどうなるのか心配し始めるようです。だって、名乗り出るまで授業をしないと言っているのですから。それで、どうも「本気でそう言っている」ようなのですから。

 そう、私は「本気」です。勉強は、その前提条件が整っていない限りできないものなのです。ひょっとしたら、「してはいけない」ほどのものかもしれません。ただ知識を増やし、問題が出来るようになればそれで良いというものではないのです。もちろん、こういうことも生徒に言います。

 時には、我が身を犠牲にしてなのか、真実なのか判断しかねるときもありますが、「私だ」と言ってくる生徒がいます。明らかにウソだとわかるときは信じませんが、その言葉を信じて預かります。

 それで、こういうことは、低学年の時にしっかりと指導すべきことだと思っています。でないと、少しずつ生活が乱れていき、上級学年になっても学習に身が入りません。


4 コメント

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賛成! (madographos)
2007-02-24 06:20:30
 授業において,定められたルールがあり,そのルールが周知されているにもかかわらず,それが破られた場合に,そのルール違反に対して,一定の措置が取られない限り,授業を行わないというのは,全く正統なことだと思います。たとえそれが過失であったとしても,過失をおかしたことを正直に申し出るということを教えることは,教科指導よりも大切なことですし,そこをはっきりさせないと教科指導の実もあがらないというものです。学校の目的は,最終的には人格の陶冶ですから,先生のように是々非々をはっきりさせることこそ今の教育に求められていると考えます。
 ただ,いわゆるゼロトレランス的な指導は,筋が通った指導であっても批判を受けがちであるというのが日本の風土でもあると思います。まあまあ,なあなあで,なんとなくわかりあって,ゆるしあって波風立てずにいきましょう,「越後屋,お前も悪じゃのう」というのが,どうも日本の精神性の根っこにあるような気がしてなりません。それと,はやりのカウンセリングマインドがへんなふうに結びついて,何が正しくて何が間違っているかがあやふやにされていき,間違っている者のほうが,声が大きいなどというわけのわからないことになっているのが今の教育風土でもあると思います。全く困ったものです。
 わたしも授業ストップ派です。がんばってください。
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 日本の子供に期待して ( とんちん漢)
2007-02-24 10:39:38
 こんにちは

 先生 は生徒さん思い本当に大変ですね。
生徒さんとの一勝負 信念で頑張つてください。
感動しました。 いい先生がいると安心しました。

「考えるのが好きだつた」素晴らしいと感心し
ましたよ。 その内出る本の題名に相応しい。
内田樹先生の「下流志向」より良いよ。

 下流志向に拠ると「いまの若者は幼児のころから
消費主体であり、生産にかかわった経験がない。」
「お母さんの手伝いもお父さんの庭仕事も・生産
の喜び無い」・・生徒さんたちは可愛そうだ。

 生徒さん達が、これから入って来る社会は
どんどん変化する社会だ。「いま現在 よいと思
うものを 再生産するのでは新しい価値はどこから
も生まれてこない。・・内田先生はこう云つてる
のかしら・・・

 今月の文芸春秋の岩井克人先生の論文にも
「ポスト産業資本主義」について優しく気がつく
ように解説してくれました。これからは求められる
のは「お金からヒトが資本に」・・・

 よいヒト 日本人を育ててください。
いつかまだ読みかけだよと仰った「ウェブ進化論」
是非 お読みください。
岩井先生の「ポスト産業資本主義」が良く判ります。
グーグルの世界もどんどん進歩して驚くほどです。
 生徒さんに「グーグル アース」など話してくだ
さい。 考えるのが好きだった先生へ

 長くなってごめん  とんちん漢


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ほとんど孤軍奮闘でした(笑) (ほり(管理人))
2007-02-24 19:59:07
madographosさん、コメントをありがとうございます。

たぶん、「必ず」授業を止めるのは少数派です。ふつーは、誰かわからなくても問わず、口頭で注意するに留めるだけのようです。それで、「私は指導した」という言い方がされるようです。

1,2年前でも、「電源を切る」「切った上で、所定の場所で保管」が原則のはずなのに、廊下で携帯を出して時刻を見る行為を主任クラスや管理職が見逃していました。わざと聞いてみたら(笑)、「使っていたわけではないから、それくらい・・」というのが理由でした。(笑)
「私がそういう指導をすると、他の先生にプレッシャーになるから」という言も聞きました。(笑)
なぜなら、廊下で注意する教員は私くらいで、他にほとんど誰も注意してなかったからです。

>波風立てずにいきましょう

要は、「多数派がどうするか」が、多くの日本人の行動判断基準なのです。
だから、学校でも、「他の先生が注意していれば自分もする、他の先生が注意しないのなら、自分もしない」という指針で教育活動が行われます。で、今年度になったら、注意する人が増えた(転勤してきた人でそんな人がいる。)から、それまで注意してなかった人も、少しずつ注意できるようになってきたようです。(笑)

生徒も、「皆が何をしているか」で、行動する。皆がスカートが短いから自分のスカートも短くする。
「判断力」が、オトナも高校生も同じなのです。(笑)
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ありがとうございます (ほり(管理人))
2007-02-24 20:28:54
とんちん漢さん、コメントをありがとうございます。

>感動しました。 いい先生がいると安心しました。

他にもたくさんの励ましとお褒めの言葉をありがとうございます。
画面の前でぽろぽろしてしまいました。
私は、このように自分で考えて判断して生徒に向かっていますが、そんなのは少数派です。
しかし、前のコメントに書いたこととも重なりますが、日本人の性質として、特別な判断力はいらないのです。新任研修できちんと教えられれば、それでまた、多数派がそうであれば誰だってすることを私はしているだけです。

>その内出る本の題名に相応しい。

大分記事が貯まっています。何か形に出来るといいかなという思いがないわけでないですが。。。

>いま現在 よいと思うものを 再生産するのでは新しい価値はどこからも生まれてこない。

「役に立たない学問」の良さは、新しい価値を見出すことでしょう。そのために、勉強、学問があると思っています。

今後の「どんどん変化する社会」の変化が、ただ単に同じ方向でのスピードアップなら(私のコトバで言うと、「原点を起点とするベクトルの矢印が大きくのびる社会」)、本物の変化と思いません。ベクトルの方向が変わるような、もっと新しい地平が見えてくると良いです。それこそ「民主主義を越えるような何かわからないもの」かもしれませんが。

「グーグル・アース」は、子供たちにはまだ早いのではないかという気がしています。あれは小手先で地球を転がすような錯覚を生じさせ、何か表層的な支配欲を喚起させるような恐ろしさを感じるのです。学校生活では、視覚刺激だけでなく、もっと五感をフルに使わせたいです。

またよろしくお願いします。
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