どこの府県にも、宿泊施設を持つ研修センターや、青少年センター、自然の家といった施設があるだろう。ベッドも給食施設も風呂も、研修用の部屋や講堂等もあるはずだ。
そこに、被災地の子供たちを疎開させたらどうか? (予約が入っていたら、「キャンセル」してもらう。それどころじゃないだろ、って。)
子供たちに「寮生活」を送ってもらう。現地から先生も来てもらう。「ふるさとの言葉」で話せる大人がいるといないで、子供の安心感は異なろう。
費用の基本は義援金等の寄付金とする。
「市営住宅」などだと家族ぐるみになる。とにかく、子供だけでも、避難所生活は避けさせたいと思うのが人情であろう。
「経済的なメリット」として、「義援金が出した地元にそのまま落ちる」点が挙げられる。
どこの府県が、一番乗りで名乗りを上げるか?
↑これ、教員や公務員などだったら、かなりの数の人が思いつくアイディアだと思うんだけど。
どなたか、twitterなどで、このアイディアを広めてください。
追記:
host3.shugiin.go.jpさんが、読みに来てくれてました。
これって、衆議院?
だったら、西日本の各府県、及び、教育委員会等に、何らかの問い合わせをしたらいかがでしょう。
今どきなので、センターなどは民間に委託され、独立採算?になっているところもあるでしょうが、なんらかの手立ては打てないかしら?
と、思いました。
そこに、被災地の子供たちを疎開させたらどうか? (予約が入っていたら、「キャンセル」してもらう。それどころじゃないだろ、って。)
子供たちに「寮生活」を送ってもらう。現地から先生も来てもらう。「ふるさとの言葉」で話せる大人がいるといないで、子供の安心感は異なろう。
費用の基本は義援金等の寄付金とする。
「市営住宅」などだと家族ぐるみになる。とにかく、子供だけでも、避難所生活は避けさせたいと思うのが人情であろう。
「経済的なメリット」として、「義援金が出した地元にそのまま落ちる」点が挙げられる。
どこの府県が、一番乗りで名乗りを上げるか?
↑これ、教員や公務員などだったら、かなりの数の人が思いつくアイディアだと思うんだけど。
どなたか、twitterなどで、このアイディアを広めてください。
追記:
host3.shugiin.go.jpさんが、読みに来てくれてました。
これって、衆議院?
だったら、西日本の各府県、及び、教育委員会等に、何らかの問い合わせをしたらいかがでしょう。
今どきなので、センターなどは民間に委託され、独立採算?になっているところもあるでしょうが、なんらかの手立ては打てないかしら?
と、思いました。
>「転校」ではなくて「避難」だと、教科書が貰えないって、法律があるって
「臨時何とか法」を作るか、「分校」にしちゃえばいいんだよ。
作る教科書の冊数は変わらない。教科書会社は、どこの地区がどれだけ使うかなど、把握してるんじゃないかな。
手遅れにならないうちに、どうしてしないのかしらね。
で、関連でちょっち気になったのは、「転校」ではなくて「避難」だと、教科書が貰えないって、法律があるって、どこかで読みました・・・シクシク・・・うわぁぁぁぁぁぁぁぁん。
しっつれいしましたぁ~
語調がどうみてもわどさんだもの。
ところで、タクドラって、頭脳労働でしょ。
ロンドンのタクドラさんは、年配の方ほど「海馬」が大きいんだって。道を覚えるからだそうです。
>その女性との話は、ほとんどいつも始まりから終わりまで「生徒」関係が話題でした。
学校の先生って、そうなんだよね。で、大方は、○○ちゃんが(名前を出す出さないにかかわらず)昨日はああだったのに、今日はこんなんだった、とか、かなり具体的な話でしょう、と思います。
きっと、良い先生だったのでしょう。。
その女性も、わどさんも、お気の毒でなりません。
子供の教育は、具体的なんです。きわめて動物的な生き物だから。
でも、私は、子供の一人一人を具体的に扱うのは、たぶん、得意じゃない。
母性本能は、具体的ですから、私は違うと思うんだよね。
私は、がばっと、鷲づかみして、大ざっぱです。爪と爪の間から、個別的な「具体」がぽろぽろこぼれ落ちる。話に「抽象」とか「体系」と言う言葉がよく出てくるのはだからじゃないかな。
本人は、「教育論」のつもりなんだけど。
政治の話ができなのは、そうした人間関係に疎いから。政治は、権力闘争(力関係)が絡んだ相対的な人間関係だと思うから。
政治が父性に関わるなら、「子供が子供としてある」という絶対性に関わるモノとしての母性になるかもしれないけど。
うん、きっと、そうだね。
だったら、「母性」になるかな?
「抽象的な母性」か?(笑)
「母性本能」発言の素は、とりあえず、いろいろ学校・大学関係で先生やってらっしゃる方の言葉を読んできたこと。ほり先生ほど、明けても暮れても「子どもたちのため」を考えつづける方はいませんでした。男性の場合、つい子どもへの視線から離れて政治を語り、世界や歴史、あるいは教育論とかを語るもの(誤読の説教は織り込み済み)。
「体系」「抽象」など、先生のお言葉に疑問や、こちらの理解力が行き届かない点もありますが、きっちりと子どもへの視線が設定されているのを痛いほど感じています。そのため、不用意な反論もできないのです。つい応援してしまう。
なぜ、とお問いになるでしょうね。ただのタクドラが、なぜ教育関係のブログにと。多少はカミングアウトしておきます。
若くして他界した女性が教師をしていたのです。30歳の誕生日と、ほぼ同時に息を引き取りました。その女性との話は、ほとんどいつも始まりから終わりまで「生徒」関係が話題でした。
「母性本能」は悪いわけじゃないでしょう? むしろ男性教師には不可能な思想、または皮膚感覚じゃないのかな。
ところで、面白いウエブ記事がありました。内容はアクセスしてのお楽しみ。
http://walumono.typepad.jp/blog/2011/03/%E6%96%B0%E5%88%8A%E7%B4%B9%E4%BB%8B%E5%86%85%E7%94%B0%E6%A8%B9%E8%91%97%E8%A1%97%E5%A0%B4%E3%81%AE%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%AC%E8%AB%96.html
母性本能は、余りないと思うんだけど。。
(ところで、間違ってたら大変申し訳なく存じますが、Unknownさんは「わど」さんですか?)
アクセス数がかなり増えてました。
今後ともよろしく。
子どもじゃないから、ここで死にます。
なんてシャレてる場合じゃないですね。
「先生」の陰になって気づきにくかったのですが、ほり先生の母性本能をも読み取らないと理解が深まらないのかな、と最近では考え出しています。←ここ、ちょっとお気に入らないかもと想像しますが(笑)。
そうそう、内田先生も、「疎開のすすめ」をアップされましたね。こちらもサルところに、前文をコピペしておきました。ツイッターはやってませんので悪しからず。