考えるのが好きだった

徒然でなくても誰だっていろんなことを考える考える考える。だからそれを書きたい。

学校という平常

2011年03月18日 | 教育
 「模試の仕事をやってましたけど。」
 「こんなときに模試?」

 学校は、子供には「平常」が大事だ。子供は、自分が、刻々と変化する故、置かれるべき環境はroutineであるべきだろう。でないと、おそらく、「足場」を失ってきちんと成長ができなくなるのではないか?
 それゆえ、学校や学校の先生は、変化を求め、変化を生み出す「世間」から異端視され、批判される。
 「学校」というところは、「子供という異質な存在」の抱くところだから、価値観が異なるのである。
 子供たちは、大人になるために、大人とは異なる価値観と世界で暮らさなければならない。「豊かな大人」になるために、まだ生きることになれていない子供たちには「日常生活」という「安全な(=頑張って乗り越える)危険」が与えられなければならない。
 学校は、あくまでも、平常時の平和を保つのが本来の仕事であろうと思う。

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