考えるのが好きだった

徒然でなくても誰だっていろんなことを考える考える考える。だからそれを書きたい。

孤独に過ごした1年生

2007年03月02日 | 教育
 入学してまもなく遠足があり、皆で出かけた。行き先にはちょっとした場所があって、ふざけが高じて、クラス中の女子が多少「困る事態」になった。大部分が面白がってのことでもある。しかし、不本意ながら皆がするからと「付き合い」で、その「困る事態」になった者もいた。

 しかし、一人だけ「困る事態」を回避した生徒がいた。すると、「あの子だけなんで」と他の女子がその子を虐げ始めた。具体的には「仲間はずれ」にしたのだ。その子は、何も悪いことをしていない。ただ皆と同じふざけた行動を取らなかっただけで、むしろ良識ある行動を取ったことで仲間はずれになってしまった。理不尽な話である。

 この経緯、遠足以前の人間関係もその後のことも詳しくは知らないが、結果として、親もその子も、クラスでうまくやっていくことを止めた。仕方がないと、割り切り、その子は他のクラスに友人を作った。クラスは1年経てば変わる。この1年間だけクラスの友人を諦めればいい。親は、将来社会に出たときにどんな人と出会うかわからないからこんなこともあるでしょう、子どもには強くなって欲しい、というようなことを担任に言ったらしい。それで、担任も無理にクラスに馴染ませるようなことはしなかったらしい。(又聞きである。)
 それで、その子は、休み時間など、他のクラスの友人と一緒にいた。(私もその姿をよく見かけた。)そうやって1年間を過ごし、2年になり、おそらく2年生になってやっとクラスを含めた高校生活を楽しんだことだろう。

 この件に関しては、「いじめ」が解決したわけではない。この親子がどういう思いで1年間を過ごしたか、わからない。もちろん、ここにこのようなことを書いたからと言って、当たり前だが「いじめ」を肯定する気は全くない。
 しかし、学級数が多い学校だったことも幸いしたのだろうし、親子共々そのような考え方で、たぶん、クラスの捉え方をビジネスライクに授業を受ける場としたのだろう。クラスは、師弟関係でも友人付き合いでも勉学でも、すべてを賄える場として機能するに越したことはない。が、何もかもはうまくいかなかったということだ。
 教員の立場としては、「何もかもがそこそこのレベルに達している」ことを目標とすべきであるが、彼女にとってはそうならなかった。しかし、「拒否されたから自分も相手を拒否した」という考え方で、この親子は苦境を乗り切った。

 「いじめ」が起こるのは、恒常的なものであれ一時的なものであれ、強弱の立場がはっきりしているときである。互いに強者同士の場合は「喧嘩」になる。彼女は1対多数で「静かな喧嘩」をしていたと解釈できるかもしれない。「相手が無視するなら、こっちも無視する」といった考え方である。(間違って貰っては困るが、このことの「是非」を言っているのではない。)

 教員側に落ち度はあった。困る事態を回避する指導をすべきだったのを怠った。考えが及ばず、わいわいがやがややった。批判されてしかたがなかった実態がある。
 しかし、その親子の方が教員より上だったというか、教員には何も期待しなかったというか。親から、「友人をクラス以外で作る」という断りがあっただけだったようだ。

 私は授業にも行っていなかったし、詳しい事情はよく知らない。随分昔のことである。しかし、「いじめ」に関して極めて不幸な状況を耳にすると、いかなるやり方であろうと、何らかの乗り切り方のようなものでも、なかったのかなと思う。

 教員の立場で私がこのようなことを書くことに「言い訳がましさ」を読み取った方も見えるだろう。時代ももうずっと前のことで、生徒や親の考え方も今どきとは随分異なる時代の話だとも言える。どんな場合にもこのような解決方法(解決といえるかどうかまた別の話でもあるが)で済むわけでもなかろう。しかし、このような出来事があったのは事実である。

 ふと思い出して、書いた。


コメントを投稿