考えるのが好きだった

徒然でなくても誰だっていろんなことを考える考える考える。だからそれを書きたい。

はじめに

 このブログは、ほり(管理人)が、自分の思考を深めるために設置したブログです。私のものの見方を興味深く思う方は、どうぞお楽しみください。 / 書かれていることは、ほりが思考訓練として書き連ねた仮説が多く、実証的なものでありませんが、読み方によって、けっこう面白いと思います。 / 内容については、事実であっても、時空を変えて表現している場合が多々ありますので、リアルの世界を字面通りに解釈しないでください。何年か前の事実をまるで今起こっているかのように書いたものもあります。 / また、記事をUPしてから何度も推敲することがあります。記事の中には、コメントを戴いて書き換えを避けたものもありますが、どんどん書き換えたものも交ざっています。それで、コメント内容との整合性がないものがあります。 / なお、管理人は、高校生以下の方がこのブログを訪れることを好みません。ご自分自身のリアルの世界を大事にしていただきたいと思っているからです。本でも、学校でも、手触りのあるご自分の学校の先生や友人の方が、はるかに得るものがありますよ。嗅覚や触覚などを含めた身体全体で感じ取る感覚を育ててくれるのはリアルの世界です。リアルの世界で、しっかりと身体全体で感じ取れる感覚や感性を育ててください。

学校の先生と塾の先生

2007年11月23日 | 教育
 塾は選べる。気に入らない先生だったら、やめてヨソにいくことが出来る。これをメリットだと捉える人は多いだろう。
 学校の先生は選べない。どんなに性が合わなくても、付き合っていかなければならない。これをコドモの不幸だ、学校のデメリットだと捉える人は非常多い。
 だから、塾の方が優れている、と。

 長年「学校の先生」をやっていると、「奇妙」なコトが起こる。
 「受け持ちの時は先生キライだったけど、後で大好きになった」とか。
 「最初は、授業で先生が言っていることがさっぱりわからなかったけれど、それでも言われてやっていくうちに、わかるようになって出来るようになった」とか。

 気に入る先生を求めて「先生ショッピング?」をする人には考えられないことだろう。こういった先生の求め方は、消費者としての行動である。

 しかし、学校で気に入らない先生と付き合わざるをえないとき、それでも、生徒は、何かを学ぶ力を秘めるようである。「成長する」には、このような「自身の変化」があるのだ。

 まあ、イマドキのご時世でこういうことを言うと、「ウチの子は病気になった」とか、まあ、いろいろでてくることではあろう。私は、私の常識の範囲内で申し上げている。そのように思われる方と前提条件は異なるかもしれない。

 「先生を選べない」メリットは「消費行動をとらせない」と言う点で、意外にあるものだと思う。これは、ギブアンドテイクではない関係である。

 コドモは、(実際にはあり得ない)最善の環境でなくても、十分に学ぶ力を持っているのではないか。大人はもっとコドモの成長する力を信じてやっていいのではないか。
 「好きな先生」「良い先生」「都合の好い先生」ばかりが「良い先生」ではない。