考えるのが好きだった

徒然でなくても誰だっていろんなことを考える考える考える。だからそれを書きたい。

はじめに

 このブログは、ほり(管理人)が、自分の思考を深めるために設置したブログです。私のものの見方を興味深く思う方は、どうぞお楽しみください。 / 書かれていることは、ほりが思考訓練として書き連ねた仮説が多く、実証的なものでありませんが、読み方によって、けっこう面白いと思います。 / 内容については、事実であっても、時空を変えて表現している場合が多々ありますので、リアルの世界を字面通りに解釈しないでください。何年か前の事実をまるで今起こっているかのように書いたものもあります。 / また、記事をUPしてから何度も推敲することがあります。記事の中には、コメントを戴いて書き換えを避けたものもありますが、どんどん書き換えたものも交ざっています。それで、コメント内容との整合性がないものがあります。 / なお、管理人は、高校生以下の方がこのブログを訪れることを好みません。ご自分自身のリアルの世界を大事にしていただきたいと思っているからです。本でも、学校でも、手触りのあるご自分の学校の先生や友人の方が、はるかに得るものがありますよ。嗅覚や触覚などを含めた身体全体で感じ取る感覚を育ててくれるのはリアルの世界です。リアルの世界で、しっかりと身体全体で感じ取れる感覚や感性を育ててください。

「教養を教える学校」と「社会で生きる技術を教える学校」?

2007年11月17日 | 教育
 古代ギリシャの頃には、「市民」と「奴隷」がいた。アテネの奴隷は個人の持ち物だったらしいが、スパルタでは公有のものだったらしい。市民間の格差を防ぐためであるらしい。市民は、交易をしたりなんやかんや、今の時代で言うと「会社経営者」のようなものだろうか。それで、奴隷は言わば、労働者のようなものだったと見なしてよいようだ。(この辺りのことは世界史の先生から教えて頂いた。)奴隷が個人の所有物であるというのは、(私の勝手な解釈では)、言わば、労働者側に転職の権利がなかったということにでもなるのだろうか。と言うことは、奴隷の売買とは、経営者の都合で労働者を転職させたということだろうか。(←推論)

 スパルタでは、市民の十倍ほどの奴隷がいたらしい。アテネはそんなに多くない。2,3倍らしいが正確な数はわからないらしい。「奴隷」は「人」の数に入っていなかったから記録がないようなのだ。

 えーっと、何が言いたいか。

 Schoolの語源は、どうやら古代ギリシャ語で「『ヒマ』だから、人と話して『議論』をし、中には偉い人もいただろうから『講義』が行われた場所」にあるようだ。だから、この対象者は、「市民」で「奴隷」ではなかったと考えられる。奴隷たちは、たぶん家事やオリーブの栽培、壺作りなどの諸労働に従事しなければならなかっただろうから、schoolとは縁がなかったと思う。(←推論)
 もっとも、「市民」の子弟の教育は家庭教師によるものだっただろう。ソクラテスのアカデミアなどは、学校や私塾と言うよりもむしろ、「教団」のようなものだったらしい。(これも世界史の先生に教えて頂いた。)
 しかし、schoolという語が成立し、今の学校に使われるようになったのには、やはり関係があるだろう。でなければ、「学校」は、schoolと呼ばれてないはずだ。(←あ、いい加減。)

 で、今の時代だが、少なくとも今の日本では、当時の「奴隷」に当たるであろう「労働者」もschoolに来る「ヒマ」ができたということになる。

 まあ、このように書くと、近代の国民国家制度における学校とギリシャの教団のような「学校」を一緒にするな、と言う声が聞こえそうである。しかし、まあ、ちょっと待ってね。だって、人間が暮らしているという事実そのものは、古代ギリシャ時代も現代も変わらない。それで、「ヒマ」(まあ、要は、余裕)が出来て、「学校や食うことを心配しないであれこれ学ぶ場所がある」という観点において、同列に論じることは可能で、同列だからこそ、「違い」が何なのかを明確にすることが重要になってくるのではないか。

 古代ギリシャの学校、つまりは、教団のようなものは、それこそ現在でも名を残す偉人を慕って集まってきた人たちからなっていて、ソクラテスのアカデメイアもアルキメデスのリュケイオンも言わば、余裕のあるヒマ人の集まりだったのだろう。(ごめんなさい。古代の偉人さん方よ。)
 ヒマだったから、生活そのものとはさして関係のない、いわゆる「教養」に関する文化的なことを、あーだこーだと好きなように議論していたのだろう。それが世界史の教科書に残っている名前だったり著作だったりに繋がり、後世に残り、学問として発展してきたのであろう。(もちろん、モノによっては、「技術」として実用化され、文明を発展させてきたはずだ。それで「現代の生活」がある。)

 以前アエラに連載していた養老先生と池田先生たちの鼎談が本になった。その中に、プラトンとアルキメデスは、かなり違ったと言っている。プラトンは観念的で、アリストテレスは博物学的らしい。同じ学問でも、プラトンの方が、私のコトバにすれば、「より役に立たないこと」をしていたということだ。アルキメデスは自然科学に目を向け、今で言えば実学的な方向性につながるものであったかもしれない。しかし、いずれにせよ、「今すぐ」役に立つモノではない。つまり、ここで問題にしたいのは、これら昔の「学校」は、「教養主義」によって学問に励む場所であったに違いないということだ。「市民」のヒマ人の「学校」がそれだったと言うわけ。

 しかるに、現代社会では、国民国家の形成に伴い、「役に立つ人材育成」のための学校が出現した(んじゃないの?)。「社会を円滑に回す」ための人材である。だから、国家によって、教育目標は異なる(んじゃないのかな)。

 で、日本の場合は、実学優先である。西洋に追いつけ追い越せ、が元々の役割だった。東大だって、前身の開成学校は、法学・理学・工業学・諸芸学・鉱山学の五学科らしい。理学はちょいと別にしても実学に結びつきやすいものだし、(諸芸学科とは、統治者のためのもろもろの知識技術の勉強をするところらしい。文学などもこれにあたる。)要は、実学(法学も実学の一種であろう。)である。今の外大に当たる「外国語学校」も各地にすぐに出来たようだ。実質を求めてのことであろう。

 もう、何だか書くのがめんどーになってきた。(笑)

 要は、日本の場合「社会で生きる技術を教える学校」の重要度が高く、皆がそれに同意しているのである。食って行ければそれでよい、という実に生き物として、効率よい考え方である。私見では、豊穣な自然ゆえの生き方にも繋がる。ところが、現代社会においては、「生きるために必要なもの」が、「自然といかに折り合って手入れをして生きていくか」という諸技術、並びにこれに関与する、せざるを得ない、農耕社会につきものの「共同体の重要性の認識」が薄れ、代わって出てきたのが、今の拝金主義であろう。なぜなら、「お金」こそが人が社会で生きる手段になったからだ。かつての日本は、「お金」を露骨に話題にしないことを美意識としていた。たぶん、「自然の豊かさ」ゆえであろう。自然の扱い、共同体の重要性の方が、生きる術として重要だっからではないか。しかし、日本は意外に(?)拝金主義にすぐに陥った。これは、かつての「生きる術」が「自然との折り合い」にしろ「共同体優先」にしろ、つまりは、「相手や状況に合わせること」であったから、いったん「相手や状況」が変化すると、つまり、社会構造が変わって「お金」を潤滑油にして回り始めたとなると、「状況に合わせる」ことが倣いゆえ、価値観の移行も実にスムーズにいったということが言えよう。具体的に言えば、周りを見渡せばだれしもが「お金が大事だ」とどうやらお金が大事だと考え始めているようだ、確かにお金は生活を豊かにする。ならば、お金の価値を信じよう、だて、みんながお金が大事だと思っているから大事なのだ、現に自分の欲望が成就される、ということである。
 同時に、経済界が教育界にクチを出すことにも何ら抵抗がない、そもそも、明治の頃から、日本の教育はその手の算段で行われてきたわけだから、何ら不思議はないということである。

 だから、高校であっても、今や大学でもどこでも、非常に多くの人が、「知の系譜」なんてどうでも良くて、目先の実利、方法、できることを重視する。
 「学校」の価値基盤が「社会で生きる技術を教える学校」なのである。教養なんてものは不要なのである。あっても、誰が見てもわかるブランド品として、「人から価値を認められる」ものとしての重要性(要は人間関係という相対性)が重視される。いつだったか、内田先生が書いていた「西施の顰みに倣う」ことだが、教養が「西施の顰み」にならなくなったという世情だけである。

 「現実を見よ」と言う考え方になる。「現実」とは、目の前にいるやる気のない生徒だったり、「新しい道具」だったり、「時代の流れ」を指す。しかし、ここからが肝心なことだが、「それら全てを作り上げているのが、まさにそう思っている本人、あなた自身だ」と言うことに各人が気が付いていないのである。
 「だって、みんなそう思ってるでしょ? そんなこと(「ほり」の言うようなこと)言ってるのは、あなただけよ。」と非常に多くの人が考えている。

 かつ、人口の割合で言うと、古代ギリシャ時代の奴隷、言わば「労働者」に教養を強要させるのは、そもそもにムリがあるという言い方も出来てしまう。(苦笑)教える方だって、これだけ高校の数が増えてくれば、人口の割合で言えば、教員も同じ「奴隷」「労働者」の所属するわけであろう。(苦笑)だから、「知の系譜、なに?それ?」というような「教養主義」は、学校の先生であろうと無かろうと、廃れて当然なのである。

 しかし、いくら「実学」であろうと、知的関心や好奇心がなければ実行し得ない。(案外これ、忘れられてるのではないかと思う。)これは、教養主義に相通じるものである。ところが、今の学校は、これを根底から否定する方向で、簡単に言えば、勉強が「試験対策」に陥ってきたと言う方向に進んできているものだから、ますます、「教養主義?何?それ?」なのである。点数に繋がらなければ意味がない、カネに繋がらなければ意味がない、と同義である。
 だから、今の学校でも、ホンモノの学習をしようとしている学校は、「根源」に戻っているはずである。進学率云々にしても、教養主義に通じる学習方法を取り始めて、初めて子どもは知的好奇心を自己の中に見出す。それが、応用力に通じ、いかなる試験問題、傾向であろうと、トレーニングにさほど終始する必要もなく、「実力」をつける。数学を数学、試験ための数学ではない数学、英語も英語、試験対策ではない英語そのものの学習につながっているはずだ。(でないと、難関校の二次は取れない。まあ、以前に比べて随分と易しいと思うけど。)

 えっ? ところで、あんたは「市民」と「奴隷」のどっちだって? 回答--女は「人」の中に入ってないはずよ。(笑)
 まあ、強いて言えば、やがては社会問題としてアテネで禁止された「債務奴隷」であれば御の字というところか。(笑)


「修行」と「人生は過程である」

2007年11月17日 | 物の見方
 玄侑宗久さんのテレビ番組「知るを楽しむ」(?)を見た。
 「禅の修行」ってのは、「自分に対する信頼」を元に自分を確認することなのかなとちょっとだけ思った。それが常に継続していく。(「だから、人生とは過程なんだよね、きっと」と私の中でリンクする。)
 肉体を酷使することで、自分を知る、それまで意識上でしか知り得なかった自分「以外の自分」を知る、というか。でも、これは、そもそも自己の存在に対する根源的な信頼、変容に対する柔軟性も含めた信頼のようなものがないとできないんじゃないのかな、とか。

 生徒が「変わりたい」と思ったとき、或いは、だれでもそう思ったときにするのが、着るもの、格好、ヘアスタイルを変えることである。物理的な「肉体」の延長を変化させることではないか。しかし、安易である。
 それを難儀にも肉体そのものを酷使することで行うのが修行なのかな、と。だから、偽物でなく、根源的な変容に至る可能性を秘める。それでも、或いは、その変容をもぐくめて全てが自分なのだ、と。
 人間は、肉体無くして存在し得ない。「脳」なくして存在し得ない。入出力を司る「身体」なくして存在し得ないという前提である。

 ちょっと余り脈絡無く思っただけ。(整合性があるかどうかわからない。)