☆ いんくる~しぶ・は~つ ☆ 

  Inclusive・Hearts いま、ここから。

あの~。

2007-08-30 22:58:41 | なんとなく私

わたしのパソコンが
昨日の夜から
突然
フリーズしてしまっています。

ちょっとやっかいな状況。

わたしは元気なんですけど…。

だから、少し

お休みです。

夏休みはまもなく終わりなのに…

困った困った。。。。

この記事はちょっと借りてるPCからです。

予定していたお仕事ができないよー(涙)。

お返事もしばらくお待ちください。すみません。


でも。

2007-08-29 09:08:36 | ともに生きる
現在、制度化され、進められている特別支援教育は
今までの分離別学体制が基本であり、
その分離別学体制をより強化したものになっている。

文部科学省の中教審答申の中の
「特別支援教育対象児」の概念図からも明らかなように
重度の障害のある子ども達は、特別支援学校で学ぶものと規定されている。

本当の意味でのインクルーシヴ教育とは相反する。

それは、日本の教育目標達成のために、普通教育の効率化が目指され
「特別な支援の必要な子ども」と決めて、子ども達が分けられていること。

「その子どものために」ということで行われていることが
ほんとうに「その子どものために」なっているのか。

いろんなところでの研修会で
一生懸命取り組んでいる「特別支援教育」の実践が報告されている。

その報告を聞くたびに、教師が一生懸命に取り組めば取り組むほど
「特別支援教育の落とし穴」に深くはまり込んでいっていると思う。
人間関係が作りにくい子どもに、
「特別支援教育」として
別室でソーシャル・スキル・トレーニングをする。
チェックシートによる行動チェック、検査、
専門機関・医療機関での診断のススメをする。

本当はその子どもと、周りの子どもの関係性をどう作るか、
どうすれば人間関係を築いていけるかを考えて、
個々の課題と向き合いながら支援を考えていくことが大切なのに、
その子どものスキルを高めるという方向に動いていく。

それなら、
今までの「障害の種類や程度に応じて、障害を克服、軽減していく」とされた
従来の「特殊教育」となんら変わりはない。

「障害の程度等に応じ特別な場で指導を行う『特殊教育』から
障害のある幼児児童生徒一人一人の教育的ニーズに応じて
適切な教育的支援を行う『特別支援教育』への転換を図る。」
と述べられた特別支援教育への転換は、
「障害のある幼児児童生徒」を従来の障害のある子ども達に加えて、
発達障害と言われる子ども達を含めて拡大して行われる「特殊教育」と
どう違うのだろうか?

私たちの地域では「特殊教育」という言葉は死語となっている。
なのに「特別支援教育」は大手を振って闊歩している。

「特別支援教育」って、本当になんなんだろう?

まだまだ考え続けなければならない。

「発達障害」といわれている子ども達が大人になったとき
ほんとうにその支援を受けてよかったと考えるのだろうか?
良かったと考える支援とはどのようなものなのだろうか?
自分の歩む道が、歪められたり阻害されたりしないのだろうか?

疑問と謎は深まるばかり。

よろしければ、ご意見下さい。



気がかり

2007-08-29 08:24:57 | ともに生きる
特別支援教育について書こうと思うとき、

いろんな気がかりがあって、筆が進まない。
シリーズで今、気になっていることを書いていこうと思うけれど、
なぜかためらってしまう。

書いては消し、書いては消し、
結局アップできない。

その気がかりの一つは
地域差。
今の日本で、特殊教育が展開されてきた地域にとっては
「特別支援教育」の制度化で、
障害のある子どものことが
全職員の共通理解が必要だということで
校内委員会が設置されたりして、今までより前に進んでいる地域もある。

私たちの地域では、校内委員会は当たり前、障害があってもごく当たり前に
普通学級の授業に参加し、そしてその子どもに必要な支援も行なっている。
そこから見える課題と、そうではない地域の課題はおのずと異なる。

二つ目は「発達障害」といわれる子ども達への支援について
以前、シリーズをやめた理由の一つでもあった、
当事者の方からの「私は診断を受けてよかった」という視点。
大人になってから、自らの意志で診断を受けるのと、
子どものときに診断を受けるのでは、意味が違ってくる。

それでも、子どもを発達障害と言われる子どもに、
早い時期から診断、治療が必要だということで、
医学的に薬物治療が行われたり、
個々のニーズに応じた教育が必要だといわれ、
ソーシャル・スキル・トレーニングが必要として支援を展開することへの疑問。
ショートステップ・アイコンタクト・視覚による支援などは
発達障害の子どもに限ったことではなく、
当たり前に授業のなかで、心がけること。
それを、子どもの側に問題があるというように規定して、
個別に子どもに指導・支援をすることへの抵抗。

それらは全て、みんなとの生活の中から、作り上げることができることだから。

そんなこんなを考えていると、シリーズとして取り上げるのは難しい。
自分で書き始めておいて、
なんと無責任なことかと反省している。

また折々、思いを綴っていくことにする。



特別支援教育って何だろう?パート2 -①

2007-08-28 00:17:20 | ともに生きる
パート1は、色々思うところあって途中で終了した。
再度、前回の記事に立ち返りつつ
もう一度考えてみたいと思う。

特別支援教育の背景として、日本の教育目標や、国家戦略については
「特別支援教育って何だろう?」シリーズ③に書いた。

幼児期からの教育の充実、人間力の育成が教育国家戦略の一つの柱に掲げられている。
もちろん特別支援教育も四つの柱のうちの一つ。

「特別支援教育」という言葉が始めて使われるようになったのは
2001年に省庁が統合されて、文部省が文部科学省になったときから。
それまでの「特殊教育課」が「特別支援教育課」と呼称を変更した時から。

でも実態としての「特別支援教育」は存在しなかった。

はじめのほう。

2007-08-24 01:35:08 | ともに生きる

このブログの
はじめのほうでは毎日
「特別支援教育って何だろう?」シリーズを書いていました。

「お引越ししました。」っていえないまま、
3週間ほど。

 最近、
「特別支援教育」のことが、
また気になりだしたので、
はじめのほうを読み返していました。

、 こだわって書くことの大切さを思い出しました。

こだわらないとすーーーっと流れてしまう。
流れているときではないなぁと思いました。

 


つくしこいし 

2007-08-23 01:20:30 | けしき
コメント欄でいろいろ話をしていて、
気になったので、「つくつくぼうし」について調べてみました。
とはいってもお手軽検索でですが。。。


<歳時記より>

*************************************
<つくしこいし>

 法師蝉の別称です。この法師蝉、「つくつくぼうし」というのが一般的だと思いますが、別 に、これは『筑紫恋し』と鳴いているのだ、という伝承があるのです。  

 昔、筑紫の人が旅先で病に遭い、甲斐なく亡くなってしまいました。現代なら 家族が旅先に駆け付けることなどもできましょうが、昔のことであり交通手段が 限られている時代であります。旅に出る者なら万が一のことも頭にあり、相応の 覚悟もあったことでしょう。しかし実際死に臨んでみると家族に一目逢いたい、 故郷で死にたい、と強く強く思ったのでしょう。故郷に帰りたい、筑紫が恋しいと 思いを遺した旅人は「筑紫恋し」と鳴く蝉になったということです。  

*************************************

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より>
*************************************

鳴き声
オスは午後の日が傾き始めた頃から日没後くらいまで鳴くが、鳴き声は特徴的で、和名もこの鳴き声の聞きなしに由来する。鳴き声は「ジー…ツクツクツク…ボーシ!ツクツクボーシ!」と始まり、以後「ツクツクボーシ!」を十数回ほど繰り返し、「ツクツクビーユー!」を数回、最後に「ジー…」と鳴き終わる。最初の「ボーシ!」が聞き取りやすいためか、図鑑によっては鳴き声を「オーシツクツク…」と逆に表記することもある。

また、1匹のオスが鳴いている近くにまだオスがいた場合、それらのオスが鳴き声に呼応するように「ジー!」と繰り返し声を挙げる。合唱のようにも聞こえるが、これは鳴き声を妨害しているという説がある。

************************************

ふむふむ
奥が深い。

今朝の

2007-08-17 18:53:59 | なんとなく私
5時過ぎに、
つくつくぼうしの鳴き声で
目が覚めた。

どれほど暑くても、
秋はすぐそこ。

つくつくぼうしの声を聞くと、
夏休みが終わる!って焦って宿題をしていたことを
思い出した。
高校野球が終わる頃、いつも鳴きだしていた。

大学生の頃、東京から来た子が、
「ホウシツクツクって鳴くんだよ。」っていうから、
「違うよ。ツクツクボウーシって鳴くんだよ。」って
言い合いになった。
まじにどっちも真剣だった。
(えっ、こんなことで?

「ホウシツクツク・ホウシツクツク・ホウシツクツク」と
「ツクツクボーシ・ツクツクボーシ・ツクツクボーシ」と
言い合ってる私たちって、なんか変。

未だに信じられない。
東京ではほんとうにそういうの


来年の8月のこと。

2007-08-11 21:58:34 | ともに生きる

来年の「サークルひこうきぐものキャンプ」
8月16日(土)・17日(日)
大阪国際ユースホステル。


もう予約を済ませた。
変更するかもしれないけど。。。

今まで8月の第2(金)・(土)にしていたキャンプを
諸般の事情で、
土・日に変更してみることにした。

来年は15回目のキャンプ。


今日、第14回のキャンプが終わった。
課題は一杯あるけれど、
みんなに感謝をこめて来年につなげる。
当たり前に一緒に過ごすことにこだわり続けて、
空にくっきりと描かれるひこうきぐものように
つながり続けたい。

結成してすぐのころ、
「『ひこうきぐも』ってすぐに消えるよね。」って言われたけど、
まだ消えない。
消さない。

去年、その話をしてたとき、
「飛び続けてるから、消えないんですよね。」って
言ってくれた人がいた。
うれしかった。

2004年のキャンプのときは、パート5まで書いた。
もしよろしければ、のぞいてみてください。
(一つの記事を読み終わったら、下の「次の記事へ」
をクリックすると次の記事が表示されます。
パート4とパート5の間には、別の記事がはいっていますけど)


夕暮れ時の空を眺めながら、
今年もとってもしあわせやった。


迷惑?!?!

2007-08-01 20:49:11 | ともに生きる
今日、
障害児教育学習会というのにいってきた。
他でもない、インクルーシヴ・ライフのメンバーの2人が
シンポジストとして発表するからだ。

その討議の中で、コーディネーターの人が
「障害のある子どもが、クラスにいるとたしかに迷惑なことがあるんですよね。
それをわかることも必要だから、一緒にいることに意味があるんです。」
というようなことを言った。

えっ?????????
私の聞き違い?????
そんなばかな、会場から反論を導き出そうとして
そんな風に言ったの????????????

手がかかる?迷惑?

クラスに居てくれることで、
いっぱいいろんなことをクラスの子ども達と考えることができて、
いっぱい教えてもらえるのに、迷惑だなんて、とんでもない!

会場から反論が一杯出ると思ったのに、
インクルーシヴ・ライフのメンバーの一人の保護者の人が発言したのみ。
その直後の、教師の発言は、「それはそうなんですけど・・・」
何言ってるのよ!とまた怒る私。

一緒に過ごすから豊かに学びあえる。
障害がある子どもが一緒にいて当たり前。
今ある社会の矛盾に対して、「おかしい」と感じる若者たちが育つ。

そんな若者たちが、さっき発表したじゃない。
何が迷惑なのよと久々に怒った私でした。

でも、発言しなかった。。。。。
短い時間で反論しきれない。と思ったから。
でも、反論しなかったので、後悔してる。

おかしいと思うことは、「おかしい」と
その場で、はっきり言わなくちゃ。