このブログの
はじめのほうでは毎日
「特別支援教育って何だろう?」シリーズを書いていました。
「お引越ししました。」っていえないまま、
3週間ほど。
最近、
「特別支援教育」のことが、
また気になりだしたので、
はじめのほうを読み返していました。
、 こだわって書くことの大切さを思い出しました。
こだわらないとすーーーっと流れてしまう。
流れているときではないなぁと思いました。
このブログの
はじめのほうでは毎日
「特別支援教育って何だろう?」シリーズを書いていました。
「お引越ししました。」っていえないまま、
3週間ほど。
最近、
「特別支援教育」のことが、
また気になりだしたので、
はじめのほうを読み返していました。
、 こだわって書くことの大切さを思い出しました。
こだわらないとすーーーっと流れてしまう。
流れているときではないなぁと思いました。
気にかかるテーマ、つづけると必ずナニカが見えてくる確信ができました
詳しくは書けませんが、子供が「発達障害が考えられる」と臨床心理士の先生から指摘されています。
しかし、多少型にはまらないところはありますが毎日保育園での集団生活を楽しんで帰ってくる姿。
そして家庭での成長ぶり。
自分の子供の様子を冷静に観察すればするほど、指摘された「この子のイメージ」とかけ離れていくのです。
そして、最近の「早期診断」の流れに怖さを感じ始めたのです。(これに関しては主人も同意見です)
私も「心理の専門家の判断は間違いない」と今まで思ってきたので、まさか自分がこのようなことで悩むことになろうとは思いませんでした。
既に療育機関は満杯なので、かなり待ってから訓練を受けることになりそうですが、このままレールに乗っていくべきなのかどうか。
猶予はあるので、時間をかけて、いろんな声に耳を傾け、じっくり考えていきたいと思っています。
夥しい数にのぼる「特別支援教育」関連記事の中から
このブログに、よくぞきてくださいました。
こんなことを考えている教師もいるものだと思って、
またのぞいてくださればうれしいです。
「共に生きる教育」の大切さにこだわり続けて
数十年。。。。。
その意味を確かめたくて3年間、職場を離れて、長期研修に出ていました。
>最近の「早期診断」の流れに怖さを感じ始めたのです。
子どもを早い時期から支援していくことが大事だといわれています。が、早い時期から決められる怖さを思います。
子どもの個性はいろいろです。
早くから「特別な支援の必要な子ども」と決めて、
その枠に入れてしまうことの危険性を感じます。
特別支援教育が言われるようになった背景を考えても
ほんとうにその子どものためにと考えられたものではないような気がします。
これからその背景についても書いて行きたいと思います。
「診断をうけた特別な支援が必要なA君」ではなく、
「A君はA君」です。
子ども達はみんな、それぞれに課題を持っているので、特別な支援ではなく、それぞれに必要な支援が必要だと思っています。
よろしければ、またお話できればうれしいです。