友達が、
佐藤雅彦さんが編集したこの本のことを
彼女のブログで紹介していた。
私はまだ読んでいないけれど、
学校で子どもたちと教科書に載った小説や詩、評論、随筆、古典、漢文などを
一緒に読んでいたころのことが、わぁぁぁっとよみがえってきた。
教師になってからも、あの分厚い教科書が苦手だった。
1日に読めるのは、1ページか2ページほど。
時には、2~3行に書かれたことを、
あーでもない、こーでもないと
みんなで考えているうちに、1時間の授業が過ぎることもあった。
だから必要なページだけちぎって持ってくるとか、
分冊になっているとかになればいいのにと
自分が生徒の時から思っていた。
だから、教科書に載っていない話を
プリントにして、少しずつ読み進めたこともあった。
芥川龍之介「トロッコ」・太宰治「走れメロス」・井伏鱒二「山椒魚」
安岡章太郎「サーカスの馬」・椎名誠「風の国から」・横光利一「蠅」
菊池寛「形」・野坂昭如「凧になったお母さん」・広島放送編「碑」・
笹山久三「四万十川」・別役実「空中ブランコ乗りのキキ
・魯迅「故郷」・トーべ、ヤンソン「猫」・モーパッサン「友よ」etc.etc.
ほかにもいっぱいあるけれど、一人で読書するのも面白いけれど
子どもたちと読み進めるのがおもしろい。
そして、その作家が、なぜその小説を書いたのかを考えたり、調べたり。
作家の年譜をたどったりしているうちに、
その作家の人生にちょっと触れる気分。
約束は守らない。借金は返さない。心中を何度も繰り返す。
玉川上水で入水心中した太宰治が、
なぜ友情物語に見える「走れメロス」を書いたのか。
あの盗賊たちは、メロスの言うように本当に王が差し向けたのか。
セリヌンティウスは、なぜ人質になることを引き受けたのか。
王の人生に何があったのか。
人はどんなことがあったら、「人間不信」になると思うか。
そんなことを考えていくとわくわくしてくる。
子どもたちも楽しんでいたかどうかは??だけど、
きっと面白いでしょう!!と押し付けていたと思うけど。。。
佐藤雅彦さんの本からどんどん膨らんだ。よみがえってきた。
思い出した。
今でも、教科書に載っていた小説のフレーズが
ときどき浮かんでくる。
*「中途で倒れるのは、初めから何もしないのと同じことだ」
(「走れメロス」太宰治より)
*「もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、
そこに道ができるのだ。」(魯迅「故郷」より)
*「が、彼はどうかすると、全然何の理由もないのに、
その時の彼を思い出す事がある。全然何の理由もないのに?
――塵労(じんろう)に疲れた彼の前には今でもやはりその時のように、
薄暗い藪や坂のある路が、細細と一すじ断続している。…………」
(「トロッコ」芥川龍之介より)
もっともっとある。
教科書に載っていた文章が、自分の原風景になっているものもある。
モンゴル平原で見た星空・タクラマカン砂漠に沈む夕日・風に揺れるポプラ並木
楼蘭の崩れた城壁・流れ橋・通潤眼鏡橋・光のじゅうたん・・・・・
自分で読むのは自分好みの本。
でも教科書に載っていた小説は、
佐藤雅彦さんが
「誰かが、人が育つ過程に於いて通過させたかった小説」 とでもなるのだろうか。と。
言うように(と友達が書いていたブログから)、
いろんな価値観、視点から選ばれているようにも思う。