きたろうのつぶやき日記・改

釣りとアニメと愛犬たちと暮らすナースな生活について本音を語る独り言。

1999年ワールドシリーズ参戦・まとめ~その4

1999-12-23 | ブラックバス・World member過去日記
●女の子を忘れる日
 あちこちに転戦、参戦する中でよく驚かれたのはまず、ボートの上げ下ろしや車中泊。女の子には確かに厳しい環境かも知れない。
だいたいクマドンが来てくれたり、誰か暇な友人がボート代浮くしと言って同行してくれたりしたが、1人の時ももちろんあった。
確かにエクスプローラはクイントレックスのVよりは軽いとはいえぎりぎり限界の重さだ。
バッテリー運びもきつい。特に釣れなかったは思重いなんてもんじゃ無い。
車中泊はかりんがいたし寂しくは無かったが、トイレが側に無いとちと辛い。
身の危険?そんなもんこれっぽっちも考えてませんって。だってボート降ろして釣りをした日なんて、ドロのように眠っててカギ掛け忘れてたり(笑)。そんな余裕は無いもの!
湖出てた髪はバッサバサだし、ガーいびきかいてるしね(爆)なるべく湖上では女の子が楽しそうに釣りしてるの図になるように頑張ってるんだけどね~。
 
●食欲大魔人
 ワールド戦が始まってから、もともと大食らいだった私がさらに拍車をかけて食欲upしていた。そしてそれでも痩せるのだ。それだけ体力勝負では有るのだが、どうやら他のプロ達も皆そんな感じだ。
プロ戦ではよく昼御飯をボートに持ち込んでも食べる暇が無かったりするので、ウェイイン終わってホッとして片づけながらみんなおにぎりを頬張ったりしている。
差し入れにおにぎりやジュースは非常に喜ばれるので、みなさん応援に来て下さる方々そこんとこよろしく(笑)。
よく見るとみんな片づけもしたいがお腹も減ってぎりぎりでしかも集中力が解けてぼーっとしながら動いている。
よく朝買ったおにぎりだけでは足りなかったりするので、チョコとかかりんとうの小袋とかをついでに買っておくようになった。ふとあらかた片づけが終わってそれを食べているとゾンビのように周りにプロが寄って来てたかられるのだ。
 
●糸が切れた年末
 シリーズが終わった途端に風邪を引いた。正しくはクラシックの1日目がノーフィッシュで終わり、撃沈したショックと共に風邪も引いたのだ。シリーズ中は毎年喘息で入院していた私が風邪も引かなかった。緊張の連続だったからかな…。
 
●広がった友達の輪
 この1年いろんな方々にお世話になったり、友人知人も沢山で来た。何よりも女の子の釣り友達が増えたのがとても嬉しい!それはワールドプロだからって訳じゃなしにつき合ってくれる人がほとんどで、すごく心強い。
もちろん嫌がらせや中傷もあったけど、それを乗り切れるだけの沢山の友人ができた。応援してくれる皆のおかげでまた2000年もワールドで頑張れる事になったよ!ありがとう~みんな!!

1999年ワールドシリーズ参戦・まとめ~その3

1999-12-22 | ブラックバス・World member過去日記
●唯一釣りをした事が有る湖
 4戦めの河口湖。私が唯一釣りをした事が有る湖での戦い。しかしそれは皆が同じ事。そして皆が河口湖のスペシャリストだ。
シャローに大きいのがいるのは知っていたが私がそれを釣る事ができるとは思えず、しかも銀座の中でベストポイントに入れるとも思えない。狙いはディープからミドルレンジに絞る事にした。
目標は3日間のリミットメイク。自分の知る限り、教わった限りのディープを探って目標は達成。
そして3日めはシャロー→ミドルレンジ→ディープへと落ちて来た魚の流れによりたった1日だけだがポイントGETにまで漕ぎ着けたのだ!トータルにはち~っとも影響しないポイントだったが、ワールド戦で1日でもポイントがとれるなんてーー!と万々歳だった。
 
●憧れの琵琶湖
 ラスト5戦めは琵琶湖全湖。バス釣りをはじめて日本で一番の憧れの湖にトーナメントで行く事になった。
勿論全湖攻略などできる訳がなく、スタート地点のファイブオーシャンからどこまで行けるかが問題だった。
ファイブオーシャンはでっかい駐車場&駐艇場にトイレ&シャワーもあって、車中泊に優しい場所だった(喜)。
プリプラで知り合ったバックラッシュの店長の青木さんに前日プラでガイドしていただき、3日間荒れてもつづらおで心中する事に決めた。風向きで魚は釣れたり釣れなかったり差は激しかったが、湖流の激しい中へのヘビーダウンショットで3日め大荒れの中、魚を釣る事ができた!しかも800と1400の魚!!なのに帰れなかった…。すごい波で前がみえず、たよりはお風呂ポンプでのビルジのみ。気が付くと湾の中に入らずに対岸の岬に渡っていた。
3分遅れの痛恨の失格。釣りをしてこんなに悔しかったのは初めてで、涙が止まらなかった。皆に「良く無事に帰って来たね」と言われたし、自分でも凄い大荒れだったとは思うけど、それだけでは諦められなかった。ウェイインする事が難しいと改めて思った再終戦だった。

1999年ワールドシリーズ参戦・まとめ~その2

1999-12-21 | ブラックバス・World member過去日記
●初めてのトーナメント
 さてさて気が付けば3月の第1戦早明浦ダム。いきなりボート積んで四国まで。
もちろんかりんも一緒だが、バリバリに緊張して全く眠く無い。
なるべく途中で休むようにして12時間かけての道のり(カーナビ有って良かった!)。
瀬戸大橋のSAでアルミのベルト固定をチェックしようと見てみると、ナントベルトが半分切れている!!大急ぎで南さんに電話して聞いて、インター降りてすぐに雑貨屋さんに寄り道してガムテープで応急処置。
現地に到着してみるとすごい土砂の急坂を降ろさなくちゃ行けない。
みなさんに御挨拶しながら死にそうになりつつボートを降ろしてもらう。
そしてナント宿が無い(涙)!近くに民宿も無く、結局広瀬さんのお部屋に一緒に泊めていただき、思いがけず仲良く慣れてラッキー。
その他ボートの係留ロープが無くて増田さんに借りたり、K-GOODのフローティングスーツがJB公認にならなくて慌てて自前のライジャケにワッペンを縫い付けたり(持って来てて良かった~!)いろいろあって大変!!
初めてのワールド戦はこうして幕を開けた。
 ネットで知り合った八王子市民のクマドンが四国まで自腹でサポートに来てくれて合流。
この時本当にクマドンが来てくれるとは実は思っていなかった。なぜなら、そんな奇特な人がいるとも思えなかったし、車の運転に不安を抱えている私に「一緒に行ってあげる」とか「手伝いたい」と言う男が何人かいたが、結局皆口だけで実行出来るやつはいなかったからだ。
だからクマドンには驚かされたし、知り合いのいない中で唯一相談出来る人がいる3日間は魚を持って帰った時に持って来た甲斐があったと思った。あの時は本当に心細かった。今でも感謝している。
 早明浦は寒くてしかも釣れなかった。ボートも前日プラで初試乗と慣らしだし、魚は自分では3日間で3匹釣れたら上等と思っていた。
増田さんが夜の作戦会議に呼んでくれて(相当悲壮な顔をしていたらしい?)泉さんや秋林さん達と仲良くなれたおかげでアドバイスをいただきなんとか魚を釣る事ができた。今までやった事が無い時期のやった事が無い釣り方で魚が釣れただけで合格の1戦だった。
 
●魚を生かすのって難しい
 2戦めは北浦・常陸利根川。ここから車中泊が始まる。
車を泊めておける場所とトイレとお風呂の場所が重要だ。
北浦の本湖には荒れる事を考えるととても行けないだろうから川で勝負すると決めていた。
初めてに近いアシのジグ打ち。プリプラでもちょっとだけここら辺が川の中でもイイかな?と言うエリアを絞っただけでたいして釣れる訳でもなく、前日プラでも15:00頃に同船していたクマドンがやっとインレットで1匹釣っただけ。あとはギルだった。
全く魚が見えない私は、だいたい良いかな?のエリアを延々と30センチ間隔でジグ打ちする事に決めた。
解らないんだから何も考えずに打ち続けるのだ!すると!?釣れたじゃ無いか!しかし、1日目、ライブウェルの中でお風呂ポンプが目詰まりして水が循環していなくて大きい順に2匹DEAD!!
そこで作戦その1、お風呂ポンプのスポンジを抜いて使う。
その2、王様にでっかいライブウェルを借りた。
その3、スタート前に板氷を買って入れておく。
これで残り2日間無事にウェイイン。しかも、あわや大物賞か?!と言うでかいのまで釣れて感動!!
 前日プラの時点でアルミの水抜き栓が無くなっていて魚探の下敷きのゴムを切って工作したりトラブルもあったが、今回は魚を持ち帰る事の難しさを知った。しかもリミットメイクできただけで十分合格。強風の中エレキもできたしね。
 
●前日に釣る事勿れ
 3戦目利根川。川は苦手。津久井湖でもいつも釣れないし。
しかも地図も半欠けで自分で書き足したショボイやつ。地図は毎回本をコンビニでコピーしてつぎはぎしたお手製の地図なのだ。今回は宿を泉さん&秋林さんの酒豪コンビと一緒にし、アドバイスを貰いつつ望んだが全く釣れない!前日プラで沢山釣れてしまい、良かった場所に固執したのも敗因の一つだった。
気付いた時には終わっていたと言う感じ…。

1999年ワールドシリーズ参戦・まとめ~その1

1999-12-20 | ブラックバス・World member過去日記
●バスプロになる決意
 結婚する前に彼がやってみたいと言うバスフィッシングを2人で始めた。 
バスってなんだ?そこから気が付くと私の方がすっかりはまってしまい、免許も湖川限定だけど取ったし道具も増えた。
私だけフロリダにも行ったし、休みの日は気が付けば殆ど釣りをしてた。
そのうち結婚しても2人で釣り歩いていたのだが諸事情により離婚。
直前に参加したNBCのレディーストーナメントで3位に入賞し、初のお立ち台に上がるまでは自分が憧れのバスプロになろうなんて夢にも思わなかったよね。
離婚ってホントに大変!何が大変かって、職場も住処もすべての環境がいっぺんに変わってしまうし、名前も免許も銀行の通帳もいろいろ大急ぎ!スムーズに澄む問題の方が少ないし。
その時NBCで女性バスプロを募集しており、同じレディーストーナメントで2位になった川瀬玲子プロも面接を受けると聞いてさっそく私も連絡した。
3位の成績もあってOKを取り、河口湖で山下会長と面接。面接はあっという間だった。「プロでやるならどこでやっても同じだから、仕事が休めるなら一番上手い人に教えてもらえるワールドでやって見なさい」ナントいきなりワールド!!てっきりジャパンからかな~なんて思っていたので急な展開に頭の中がぐるぐる!その日のうちにスポンサーもほぼ決定し、バスの祭典があったその日はすでに先に面接が済んでいた中山春美プロと川瀬玲子プロと3人でスポンサーブースに挨拶回り。

●バスプロの準備
 家に帰ってみてさあ大変。実は私、全くのペーパードライバーで免許を取ってから5年くらい全く車は乗っていない。
面接の河口湖はもちろん愛車CB750で行った訳だ。
その時、まだ職場の方も急には辞められずに結局籍は抜いたがあと2ヶ月くらい同居していなくてはならない状態で、針のむしろの生活で不眠だった。
これのおかげ(?)で飲めないお酒も少しばかり飲めるようになった。
新しい職場は休みがとれればどこでも良かったのだが、連休が取れてしかもすでに出ている1999年のプロトーナメントの予定表!これをOKしてくれる所が有るかどうか…。何箇所か面接に行った結果、今の職場なら救急外来の夜勤専門の体制で雇ってもらえる事となり、すぐに近郊のアパートを探す事にした。
(元)夫の家は姑女と姑と小姑と同居して犬のブリーダーもやっていたので、私の担当で育てていたミニチュアダックスのかりんは一緒に連れ子で出て行く事にした。
ペットが飼える所は病院から遠くて家賃も高かったが仕方なく、(元)夫の借金も話し合いをしたが聞く耳も有る訳がなく、私の名義で借りた為借金も持って家を出た。
車、キャリア、ボート、ボートの法定備品と登録費!なんとお金のかかる事か!!
会長に相談してみると、ボートはマーキュリーのサポートを受ける事となり1年後払いで新艇を使える事になった。
そして苦労して見つけたクラウンワゴンにカーナビを付けてもらって車屋さんから家までの初めてのドライブ!ひー恐ろしい~(大汗)。
ネクストの撮影で都内や河口湖に炒ったりフィッシングショーに行ったり、運転は地道に鍛えられた。