氣楽亭 日乗

大阪生まれで奈良県広陵町の長閑で氣楽な田舎暮らしの氣功師が氣ままに綴る懐かしい昭和の年代記です。

脱線トリオ

2012-05-01 13:26:57 | 懐かしい芸人
「脱線トリオ」は1956年に結成。トリオコントのはしりですが正式なお笑いグループではなくユニットでした。
所属事務所は全員異なっています「売れない喜劇役者」だった3人はこの脱線トリオをきっかけにブレイクします。
昭和30年代始めのテレビへも数多く出演しタレントとして着々と実力をつけていったが僅か5年で解散と成りました。
正式なグループではなかったが一応新宿コマ劇場の「脱線物語」で正式に解散公演を行っています。

メンバーは「由利徹(ゆり とおる、1921年5月13日 - 1999年5月20日)」宮城県石巻市出身。
1999年、肝臓癌のため死去、享年78。
「南利明(みなみ としあき、1924年3月14日 - 1995年1月13日)」神奈川県横須賀市出身。
1995年、肺癌のため死去、享年70。
「八波むと志(はっぱ むとし、1926年12月1日 - 1964年1月9日)」鹿児島県大島郡徳之島町出身。
1964年、交通事故で急逝、享年37。

「由利徹」は海で死んだ「たこ八郎」の師匠でした。
灰汁の強いトリオでしたが懐かしい・・・

トニー谷

2012-04-19 11:25:44 | 懐かしい芸人
戦後の混乱期に怪しげな英語で人気者に成ったのが「トニー谷」でした。
芸名からして二世のようなバタ臭い雰囲気です。
人をくった喋りや描き髭に伊達眼鏡とタキシードがお決まりのトニースタイルでした。

「レデイス エンド ジェントルマン エンド オトッアン オッカサン オコンバンワ!」
「ばっかじゃなかろか」
「ネチョリンコン」
「サイザンス」
「きいてちょうだい はべれけれ」

算盤を片手に意味不明のセリフを喋り捲るアナーキスト・・・何とも懐かしい。
「伴ジュン・アチャコ」の映画「二等兵物語」にも算盤片手の悪徳御用商人役で怪演していました。

アノネのオッサン 高勢実乗

2012-04-15 08:22:47 | 懐かしい芸人
アノネのオッサン 「高勢実乗」は戦前の映画で活躍した喜劇人でした。
私は戦後の映画やメンコを覚えています。
トリネタは「アーノネ オッサン ワーシャカナワンヨー・・・」でした。
痩せた顔の目の下に墨で半円を描き眼を丸く見せ長い泥鰌ひげに殿様髷の出で立ちです。

往時の吉本新喜劇の老け役をしていた「高勢ぎん子」は「アノネのオッサン 高勢実乗」の娘でした。
ナンセンスな喜劇人が懐かしい。

坊屋三郎

2012-04-14 11:14:58 | 懐かしい芸人
「坊屋三郎」が30年前位のナショナル(現パナソニック)のカラーTV「クイントリックス」のCMに出ていました。
かなりのお年だったと思いますが小柄でベランメイ調のセリフが話題になります。
大きな外人(白人でアメリカ人か?)と小柄な「坊屋三郎」とのアンバランスが好かった。
内容は「クイントリックス」と商品名を外人に連呼させる・・・
其のたびに「坊屋三郎」が発音の駄目だしをする。
最後に「オメェ~発音 良くねえなぁ!」と捨て台詞を言う。
外人のしょげた顔が面白かった。
JAPAN az NO1 と謂れ アメリカとの貿易摩擦が大きくなりバブルへと進んでいたあの頃が懐かしい。

川田晴久

2012-04-13 10:21:28 | 懐かしい芸人
「川田晴久・とダイナブラザーズ」が懐かしい。
戦後の映画で「美空ひばり」が子役で出演し「川田晴久」が流しのミュージシャンで唄の先生でした。
「ダイナブラザーズ」のメンバーは殆ど記憶に有りません。

「~地球の~上に朝が来る~その裏側は~夜だろお~
 ~西の国なら~ヨーロッパ~東の国は~東洋の・・・」

お馴染みの唄から始まるボーイズものの演芸でした。
後の「クレージイキャッツ」や「ドリフターズ」のコミックバンドというジャンルの開拓者です。

「川田晴久」は戦後の名前で戦前は「川田義雄とあきれたぼーいず」で大人気を博しました。
「あきれたぼーいず」のメンバーは「益田喜頓」「坊屋三郎」「芝利英」「山茶花究」です。
「益田喜頓」はハリウッドスターの「バスター・キートン」からの芸名で「芝利英」はフランス映画の
「モーリス・シュバリエ」からの芸名で「坊屋三郎」の実弟です。
「山茶花究」は九九の「ザザンガキュウ」からの洒落た芸名でした。

「あきれたぼーいず」は人気絶頂で四人のメンバーを他の興行会社に引き抜かれ解散します。
戦後には別の道で活躍しました。

私には「川田晴久とダイナブラザーズ」が懐かしい・・・

上方りゅうじ・りゅうた

2012-04-12 09:22:09 | 懐かしい芸人
「上方りゅうじ・りゅうた」も大阪漫才の正統派で喋繰りが秀逸でした。
痩せ型で剃刀の様な「りゅうた」がツッコミでポッチャリして丸顔の「りゅうじ」がボケだったと記憶
している・・・が定かでは有りません。
ボケの方がポッチャリしてナヨナヨ・クネクネした女形の様でした。
髪型は痩せ型の方が「横山やすし」の様なオールバックで相方は「平和ラッパ」の様な坊ちゃん刈りです。

ギャグや舞台は確りと覚えていませんがコンビの姿はシーンとして目に浮かびます。
「のりお・よしお」の「上方よしお」は彼らの弟子筋だと思われる・・・
「上方りゅうじ・りゅうた」が懐かしい。

夢路いとし・喜味こいし

2012-04-11 09:47:38 | 懐かしい芸人
「夢路いとし・喜味こいし」は大阪漫才の正統派で喋繰りが秀逸な兄弟コンビでした。
シモネタ一切無し、ドツキ無しの本格派大師匠です。

兄の「いとし」さんがボケで弟の「こいし」さんがツッコミでした。
「こいし」さんのお巡りさんが「いとし」さんに職務質問をします。

「名前は?」
「今言うぞう」
「早よ言えや!」
「今言うぞう」
「なめとんのか!」
「今井勇三・・・」

なんとも惚けたやりとりが思い出されます。
この他にも時事ネタ「湾岸戦争」など懐かしい漫才も有りました。
「フセイン大統領」も登場します。
「布施の隠居で・・・フセイン」
「大工の棟梁で・・・大統領」
第一次湾岸戦争当時の時事漫才でした。


はんじ・けんじ

2012-04-10 10:00:10 | 懐かしい芸人
大阪の漫才コンビ「若井はんじ・けんじ」は実の兄弟でした。
兄の「はんじ」がボケで笑いをとり弟の「けんじ」が突っ込みです。
「はんじ」のトリネタのギャグは甲高い声で「頭のさきまで~ピーコピコ」というボケでした。
兄の「はんじ」が若くして亡くなった為、弟の「けんじ」は東大阪の市会議員などもしていたようです。

もしも長生きしていたら大御所に成っていただろうと思う。
「若井こずえ・みどり」「若井ぼん・はやと」が弟子です。
「若井はんじ・けんじ」が懐かしい・・・

ダイラケ

2012-04-09 10:05:52 | 懐かしい芸人
「ダイラケ」といってすぐに思い出すのはもう中年すぎた還暦近い世代だけでしょうね。
若い世代には何のことやらさっぱり判らないと思います。
「ダイラケ」こと「中田ダイマル・中田ラケット」の兄弟コンビでした。
「中田カフス・ボタン」の師匠筋に当たる大師匠です。

戦後から昭和30年代にラジオ、映画、実演、TVと大人気になった大阪の漫才コンビでした。
懐かしいTV番組では「びっくり捕り物帖」「ダイラケ二等兵」「スチャラカ社員」等々・・・

旭松の高野豆腐のTV・CMで「こうやとうふ」を言うのに「こうやひーふ」「こうややーふ」
など中々とうふに行き着かない15秒スポットが面白かった。
スチャラカ社員では海山商事のやる気の無い中年社員を演じていて秀逸です。
当時の番組は生放送の為ビデオやDVDが殆ど残っていないのが残念で堪りません。

砂川捨丸

2012-04-08 09:31:40 | 懐かしい芸人
万歳の骨董品こと「砂川捨丸・中村春代」のコンビが懐かしい。
万歳の古典である「数え唄」や「問答」を演じていました。
紋付袴の正装で手には鼓を持ちチャップリン髭を生やした姿がトレードマークです。
合いの手や喋りの間に「ポン」という間の抜けた鼓の音が何ともいえず滑稽でした。

「え~ぇ 万歳の~ 骨董品で ございまして・・・」
「そうや あんたは 万歳の古狸や。」
という掛け合いで始まります。

「問答やろか・・・」
「そうそう鈴木モンドにダイヤモンド、マリリンモンドー」

鼓が「ポン」と鳴ると唄になる・・・

「~蚊帳の中から~片足出して~」
「~楠正成~これに有り~」

「こら歴史物や。」

「~足利(足蚊が)攻めるや~ないかいなぁ~」

このような味のある万歳が懐かしい。