デジカメツアーの日が迫る2週間ほど前、「うずしお」と「花さじき」めぐりの企画に何かもの足りなさを感じていました。
産経新聞「日本人の源流 神話を訪ねて」の連載記事を何気なく手に取り読んでいると、トップに淡路島と「伊弉諾神宮」が紹介されていることに気が付きました。
「伊弉諾神宮」を訪れたくなり、急遽独断で計画に加えることにしました。
行く以上は詳しく知りたいと思い、語り部さんのお話を聞かせていただく予約をしました。
当日話を聞くまで、淡路島が日本史上?神話の世界ではこれほど重要な意味をもっているとは、知りませんでした。
これまで神話として読んだり聞いたりした記憶はあったのですが、約1時間の神宮めぐりと事跡の目前で聞く語り伝えにとても大きな衝撃を感じました。
パソコンきらく館「春の淡路島バスツアー」記録ブログ第2弾です。
淡路島ってこんな島だったのかという驚きを表したつもりです。
題して『淡路島ミステリー』
<イザナギとイザナミ>
「せきれいの里」(お土産の店)が語りのはじまりです。イザナギノミコトとイザナミノミコトの国生みのおもしろくておかしいお話です。
和やかな口調が神話の格調を解きほぐし、神世とも人の世とも分からぬ不可思議な物語です。
聞いていると現代でもたとえ話としてありそうな「とある夫婦の物語」のようでもあります。
<国生みの神話>
日本列島形成の中心に淡路島があります。
オノコロ島に降り立ったイザナギとイザナミが主役となっています。(オノコロ島は淡路島の南の沼島と言われています)
『神話が描く国生みの様子は、いかにも雄大で神秘的である。
2人の神が天の沼矛で海をかき回すと、矛からしたたり落ちたしずくが島になり、さらに「天の御柱の周りを互いに逆の方向に回って交わると、日本列島が誕生した。
真っ先に生まれた淡路島を、古事記は「淡路之穂之狭別島」と記す。
続いて生まれたのは伊予之二名島(四国)、隠伎之三子島(隠岐島)、筑紫島(九州)、伊伎島(壱岐)、津島(対馬)、佐度島(佐渡)、大倭豊秋津島(畿内一帯)。』
<君が代>
日本の国家「君が代」の意味を正しく教える人も少なければ、当然正しく知っている日本国民は少ないようです。
「き」「み」は「君」ではなく、「イザナギ」「イザナミ」すなわち「男と女」、「太陽と月」「陽と陰」を意味します。
両者が調和した時からすべてが生まれ千年も万年も繁栄が続く、という意味だそうです。
<陽の道しるべ> クリックすると大きな写真が表示されます --->
伊弉諾神宮を中心に、春分・秋分の日は伊勢皇大神宮(内宮)方向から太陽が昇り、対馬一宮海神神社の方向に沈みます。
夏至は信濃一宮諏訪大社の方向から昇り、高千穂神社の方向に沈みます。
冬至は熊野那智大社の方向から昇り、出雲一宮出雲大社の方向に沈みます。
<本殿拝礼>
本殿奥の御柱を向かって左から新郎が、右から新婦が回り、出会ったところで
「あなにやし、えをとめを(なんときれいな女性でしょう)」
「あなにやし、えをとこを(なんと素晴らしい男性でしょう)」
こんなやり取りで契りを交わす結婚式が「伊弉諾神宮」で行われているそうです。
この式のやり方は日本誕生にまつわる物語からきており、今に至るまで日本人の価値観の中で生き続けていることを語っています。
(次の「夫婦大楠」の解説で)
<夫婦大楠>
樹齢900年、左が男で右が女の2本の木が夫婦として1本に合体。
その昔、イザナミノミコトとイザナミノミコトの最初の子が不具の子(蛭子)として生まれた。
それは子作りの時女神のイザナミノミコトから声をかけたためと占言されました。
それ以後、男性が声をかけ、女性が応じることが価値観、慣習、掟になっていったそうです。
最初の子蛭子様は、子のうちに数えてもらえず、失意の中流れ流れて西宮鳴尾浜にたどり着き、その後財を成しえびす様として祀られることになりました。
蛭子様にとっては悲しくつらい人生であったでしょうが、最後には栄冠を獲得できたのでしょう。
(楽あれば苦あり苦あれば楽あり、捨てる神あれば拾う神あり、ですか?)
産経新聞「日本人の源流 神話を訪ねて」の連載記事を何気なく手に取り読んでいると、トップに淡路島と「伊弉諾神宮」が紹介されていることに気が付きました。
「伊弉諾神宮」を訪れたくなり、急遽独断で計画に加えることにしました。
行く以上は詳しく知りたいと思い、語り部さんのお話を聞かせていただく予約をしました。
当日話を聞くまで、淡路島が日本史上?神話の世界ではこれほど重要な意味をもっているとは、知りませんでした。
これまで神話として読んだり聞いたりした記憶はあったのですが、約1時間の神宮めぐりと事跡の目前で聞く語り伝えにとても大きな衝撃を感じました。
パソコンきらく館「春の淡路島バスツアー」記録ブログ第2弾です。
淡路島ってこんな島だったのかという驚きを表したつもりです。
題して『淡路島ミステリー』
<イザナギとイザナミ>
「せきれいの里」(お土産の店)が語りのはじまりです。イザナギノミコトとイザナミノミコトの国生みのおもしろくておかしいお話です。
和やかな口調が神話の格調を解きほぐし、神世とも人の世とも分からぬ不可思議な物語です。
聞いていると現代でもたとえ話としてありそうな「とある夫婦の物語」のようでもあります。
<国生みの神話>
日本列島形成の中心に淡路島があります。
オノコロ島に降り立ったイザナギとイザナミが主役となっています。(オノコロ島は淡路島の南の沼島と言われています)
『神話が描く国生みの様子は、いかにも雄大で神秘的である。
2人の神が天の沼矛で海をかき回すと、矛からしたたり落ちたしずくが島になり、さらに「天の御柱の周りを互いに逆の方向に回って交わると、日本列島が誕生した。
真っ先に生まれた淡路島を、古事記は「淡路之穂之狭別島」と記す。
続いて生まれたのは伊予之二名島(四国)、隠伎之三子島(隠岐島)、筑紫島(九州)、伊伎島(壱岐)、津島(対馬)、佐度島(佐渡)、大倭豊秋津島(畿内一帯)。』
<君が代>
日本の国家「君が代」の意味を正しく教える人も少なければ、当然正しく知っている日本国民は少ないようです。
「き」「み」は「君」ではなく、「イザナギ」「イザナミ」すなわち「男と女」、「太陽と月」「陽と陰」を意味します。
両者が調和した時からすべてが生まれ千年も万年も繁栄が続く、という意味だそうです。
<陽の道しるべ> クリックすると大きな写真が表示されます --->
伊弉諾神宮を中心に、春分・秋分の日は伊勢皇大神宮(内宮)方向から太陽が昇り、対馬一宮海神神社の方向に沈みます。
夏至は信濃一宮諏訪大社の方向から昇り、高千穂神社の方向に沈みます。
冬至は熊野那智大社の方向から昇り、出雲一宮出雲大社の方向に沈みます。
<本殿拝礼>
本殿奥の御柱を向かって左から新郎が、右から新婦が回り、出会ったところで
「あなにやし、えをとめを(なんときれいな女性でしょう)」
「あなにやし、えをとこを(なんと素晴らしい男性でしょう)」
こんなやり取りで契りを交わす結婚式が「伊弉諾神宮」で行われているそうです。
この式のやり方は日本誕生にまつわる物語からきており、今に至るまで日本人の価値観の中で生き続けていることを語っています。
(次の「夫婦大楠」の解説で)
<夫婦大楠>
樹齢900年、左が男で右が女の2本の木が夫婦として1本に合体。
その昔、イザナミノミコトとイザナミノミコトの最初の子が不具の子(蛭子)として生まれた。
それは子作りの時女神のイザナミノミコトから声をかけたためと占言されました。
それ以後、男性が声をかけ、女性が応じることが価値観、慣習、掟になっていったそうです。
最初の子蛭子様は、子のうちに数えてもらえず、失意の中流れ流れて西宮鳴尾浜にたどり着き、その後財を成しえびす様として祀られることになりました。
蛭子様にとっては悲しくつらい人生であったでしょうが、最後には栄冠を獲得できたのでしょう。
(楽あれば苦あり苦あれば楽あり、捨てる神あれば拾う神あり、ですか?)