お正月2日、3日は息子夫婦の住む和歌山で過ごしました。
3日、伝統の町湯浅を歩いてみました。
お正月でほとんどのお店が休業かもしれないと思いながら、
古い町並みでゆったり過ごすのもいいだろうと。
湯浅は、古代、熊野詣で貴族階級が宿所とした地で、
平安時代末期から土豪の湯浅氏がここを本拠として栄えました。
中世、武士階級や庶民の間に熊野信仰が広がり多くの人々が熊野詣でし、
参詣の道が街道筋として繁栄するようになりました。
街道は、山裾から海側へと移り、臨海市街地域が拡大していきました。
近世、藩内有数の商工業都市として発展しました。
金山寺味噌の製造過程からできた醤油の醸造が、紀州藩の保護の元に藩外へ販路を拡大し、
文化年間(1804~1818年)には92件も醤油が営業し、代表的な産業となりました。
正月の開けていない町並みは、やはり活気に欠けていましたが、
伝統の町並みを巡る目的としては、この侘しさは却って風情を感じるものでした。
様々な文様の格子(手摺り状の格子、切子格子、出格子)と飾り
様々な飾りを見て歩くと、当時の生活が偲ばれ、繁栄の時代が脳裏によみがえります。
金山寺味噌を製造する「太田久助吟製」
心安いご主人から「湯浅の町」「金山寺味噌」の話を聞くことができました。
麹の香りを漂わせ、湯浅でも唯一この店だけが作る金山寺味噌をお土産にしました。
醤油醸造の老舗「角長」天保12年(1841年)創業
製造を兼ねた店の裏は、「大仙掘」
醤油の原材料や製品が積み下ろしされた内港でした。今でもその名残が保存されています。
醤油作り資料館
慶応2年(1866年)建築の職人蔵。醤油資料館には古い醸造用具や貴重な資料が展示されています。
そして最後に訪ねたのが「湯浅城」
と言っても当時の城とは全く別物、荘厳な国民宿舎でした。
歴史のある古い町を十分堪能することが出来ました。
最後に有田に立ち寄り、コクのある豚骨のスープの「和歌山ラーメン」で締めました。
今年もみなさんにいいこと沢山ありますように!
3日、伝統の町湯浅を歩いてみました。
お正月でほとんどのお店が休業かもしれないと思いながら、
古い町並みでゆったり過ごすのもいいだろうと。
湯浅は、古代、熊野詣で貴族階級が宿所とした地で、
平安時代末期から土豪の湯浅氏がここを本拠として栄えました。
中世、武士階級や庶民の間に熊野信仰が広がり多くの人々が熊野詣でし、
参詣の道が街道筋として繁栄するようになりました。
街道は、山裾から海側へと移り、臨海市街地域が拡大していきました。
近世、藩内有数の商工業都市として発展しました。
金山寺味噌の製造過程からできた醤油の醸造が、紀州藩の保護の元に藩外へ販路を拡大し、
文化年間(1804~1818年)には92件も醤油が営業し、代表的な産業となりました。
正月の開けていない町並みは、やはり活気に欠けていましたが、
伝統の町並みを巡る目的としては、この侘しさは却って風情を感じるものでした。
様々な文様の格子(手摺り状の格子、切子格子、出格子)と飾り
様々な飾りを見て歩くと、当時の生活が偲ばれ、繁栄の時代が脳裏によみがえります。
金山寺味噌を製造する「太田久助吟製」
心安いご主人から「湯浅の町」「金山寺味噌」の話を聞くことができました。
麹の香りを漂わせ、湯浅でも唯一この店だけが作る金山寺味噌をお土産にしました。
醤油醸造の老舗「角長」天保12年(1841年)創業
製造を兼ねた店の裏は、「大仙掘」
醤油の原材料や製品が積み下ろしされた内港でした。今でもその名残が保存されています。
醤油作り資料館
慶応2年(1866年)建築の職人蔵。醤油資料館には古い醸造用具や貴重な資料が展示されています。
そして最後に訪ねたのが「湯浅城」
と言っても当時の城とは全く別物、荘厳な国民宿舎でした。
歴史のある古い町を十分堪能することが出来ました。
最後に有田に立ち寄り、コクのある豚骨のスープの「和歌山ラーメン」で締めました。
今年もみなさんにいいこと沢山ありますように!
和歌山は熊野詣など昔から人が集まる栄えた場所があり、
古いものが色々残っているのではないかと思います。
でも観光案内はそれほどたくさん掲載されていません。
ふるさと(和歌山)を訪ねる旅などしてみてください。
そしていいところがあったら教えてください。
熊野街道など歩いてみたいです。
暖かくなったら、武藤家の発祥の地(岐阜)を訪ねてみたいと思っています。
国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定
されているのですね。
和歌山出身でありながら、行ったことがないのは
恥ずかしいですが、話はよく聞いています。
特に醤油、金山寺味噌は有名で、子供の頃はこの
お味噌が好きではなかったような気がします。
大豆、小麦、麹、瓜、茄子を加え手間暇かけて
仕込むこの逸品、今では味が良くわかるように
なり大変好物になりました。
懐かしい湯浅の話、有難うございました。
お正月、息子さんたちと過ごされて良かったですね。
インターネットに思うようにつながらなくて、時間が経ってしまいましたね。
テザリングを効果的に使ってください。
公私ともに忙しいことと思いますが、またブログ投稿を期待しています。
今年のお正月は、喪中のため初詣せずに
熊野詣での入り口を観光しました。
静かな町並みを過去を想像しながら
歩くのもいいものです。
デジカメで撮影しながら歩くと
通りすがりに思わぬところに目がいきます。
上手い写真は撮れませんが
記録は残して置こうと思います。
田賀さんも、サクラソウや蘭の記録が増えましたね。
本年も何分よろしくおねがいします。
和歌山~湯浅~有田のコースは熊野詣での
出発点としても、またこのブログで紹介された
味噌や醤油、みかんの産地としても訪問したいスポットです。
私は湯浅町へは、熊野路観光の帰りに立ち寄っただけで、このブログのように充実した散策ではありませんでした。
たくさんのスナップ写真と詳細な説明文を熟読いたしました。
ところで、御子息たちは和歌山市内に
お住まいでしたね。