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247601 できることは「日本を信じること」

2011年03月21日 | 縄文体質を有する「日本人」の可能性を探る
247601 できることは「日本を信じること」
 
猛獣王S HP ( 不惑 営業 ) 11/03/20 PM10 【印刷用へ
『今、死生を問う』(心に青雲)リンクより転載します。
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〈5〉 できることは「日本を信じること」

私は小説的イメージでいうなら、上空から無数の戦死した「骨」たちが今の私たちを悲しみをたたえつつ見下ろしているような気がする。あるいは歯ぎしりしつつか…。

そして原発で放射能汚染が進んで日本中で人間が生きられなくなったら、私たちは「国のため(国のせいで) 大君のため(大君のせいで)」に「ひょんと死んでしまう」ことになる。そのときやっと、あの戦争で「だまって だれもいないところで」「遠い他国で ひょんと死んだ」彼らとココロを一つにし得るのだろう。「こらえきれないさびしさ」をそのとき、共有するのだ。

だから。

今度の津波に飲み込まれて亡くなった万という同胞たちの「こらえきれないさびしさ」を、生き残っている私たちは今度こそ心で聞かねばならない。

また同時に戦艦大和とともに沈んだ臼淵磐大尉の言葉「今 目覚めずしていつ救われるか」を真摯に聞かねばなるまい。日本人は「目覚め」損なったからこそ、この破滅を招来したのではないのか。

冒頭に言ったように、それでも日本を信じるのである。それは現政権や官僚を信じることではない。「日本を信じる」これは自明のことである。

われわれがいるこの日本は、例えば西郷南洲が、例えば二宮金次郎が、例えば織田信長が…というように偉大な人間が「創った」国なのだ。そして現在は、南郷継正という日本歴史上で最高峰の偉人が生きていて、創りつつあるのだ。だから牢固として破壊はされない。

何十万人が放射能で死のうとも、自分も犠牲になろうとも、信じれば良い。
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