納豆ご飯も飽きたので、カレーライスにしました。朝は食前のオニオンスライス。そしていち日1個の納豆は必須。前菜として、酢をかけて食べました。
大根ってオールマイティで我が家には欠かせません。どう食べても、何と組み合わせても万全です。ひとつだけ、我が家で多いかき揚げはまだ試していませんが、「江戸飯」で、大根を揚げた食べ方も試したことがあります。
やはり野菜が好きです。一時は香味野菜にはまりましたが、今は青菜です。冬場は身が甘くなって特に美味しいのですが、茹でて酢醤油だけでも一品になりますし、大量に買って、茹でて1回分づつラップに包んで冷凍保存しています。
麺の時もそれを投入。おひたしも解凍するだけ。野菜炒めも解凍して使います。
明日は松飾りを外す日です。早いですね。昨日、大晦日のような気がしますが、正月も半分過ぎたのですね。今はクリスマスだ、バレンタインデーだ、ハロウィンだ、色々イベントがありますが、私は、正月が一番心躍ります。
日本古来のひな祭り、端午の節句、月見などもありますが、やはり正月ですね。この正月は慌ただしく、未だ、年末年始のTV番組をストックしたまま観終えていませんが、その時を過ぎるとどうでも良くなってしまうのは、映画も同じ。
上映オンタイムは宣伝を観て、「もの凄く観たい」と思うのですが、時間が経つと、「そういえば、そんな映画もあったねえ」となってしまいます。
元々音には弱いので、TVもつけず、音楽も聴かずでも苦ではないのです。シーンとした家で、暖房機は炬燵だけ。不気味でしょうか(笑)。寒いですよ。特に今年は、指先なんか冷たいどころか痛いもの。ですが、そこは「江戸好き」。
江戸時代は、今よりも寒く、室内の密閉状態も悪くすきま風だらけの上に、室内暖房もろくになかったのです。「だから、これで良いのだ(笑)」。
会津若松の武家屋敷を訪った時(幕末の筆頭家老・西郷頼母の屋敷です)、廚(台所)の梁の太さに圧巻されました。雪深い土地なので、屋根に積もった雪の重さに耐え、しかもしなるように造られているのだそうです。
その時、「どれだけ、寒かったことだろう」とまず、思い巡らせました。
話は変わりますが、数十年前になりますが、仕事で、西郷四郎の碑を長崎中を探しまわったことがあります。環境協会や、市役所、警察で聞いても分からず、それでも探し当て撮影するまでは帰れません。
タクシーの運転手さんも知らず、途方にくれていた時に、既に場所は忘れましたが、とある交番に行き着きました。巡査は知りませんでしたが、その交番の前に警察の柔道場を偶然見付け、入ったのです。
西郷四郎と言えば、そう富田常雄の小説「姿三四郎」のモデルとなった明治時代の講道館四天王のひとりです。
さすがに長崎県警で、柔道を学ぶ警察官は知っておられました。
もう数十年前のことですので、今はどかは分かりませんが、当時は地元の人も知らないような観光地でもないひっそりとした碑でした。
なので、私は数十年、西郷四郎は、長崎の人だとばかり思い込んでいたのです。
と、前置きが長きなりましたが、数十年後、会津の西郷頼母の屋敷にて、西郷四郎は、会津の人で西郷頼母の養子だったと知ったのです。
不思議な巡り合わせを感じました。
因に、私が仕事で長崎を訪れたのは、西郷三四郎とは別件でありまして、ほかの部署からの依頼で写真撮影だけを頼まれたので、子細を知らなかったのです。
当時は歴史に興味がなく、日本中(最近判明しました)訪れていないのは2県(佐賀県、徳島県)のみといった好条件にありながら、史跡や名所を訪れていなかったことが悔やまれます。
「会社の金で行けたのに、悔しー」。それでも行けた場所もあり、私の中で、一番は、「伊勢神宮」でした。あの大鳥居や内寓の神々しさは忘れられません。
現在は「行ってみたいなー」と思う所は幾つかありますが、「是が非でも行きたい」と思う所もなく、ネットや映像で見るだけで満足というのは、年を取ったからなのでしょうね。
趣味は海外旅行だった私が、海外よりも日本国内に目を移し(この数年は病いのため、旅には出ていませんが)、「毎年5月は国内旅行をする(主に新撰組の足跡を辿る旅ですが)」と決めた辺りから、老いが始まったのだと思います。
これまでは、絵空事でしたが、「日本人は年を取ると、富士山と桜が好きになる」は本当です。