この前のブログで写っていたフレームは、正真正銘のイタリア製のカーボンフレーム
”サルトアントニオ”だ。
フレーム重量は、たった800g・・・!
日本にはまだ本格的に輸入されていない。
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www.sarutoantonio.it
この工場は、イタリアで一番最初にラッピング方式でのメーカーとして
設立され、いまだに存続している工場だ。
一般的にバイクカーボンフレームは
内圧気袋方式
真空釜方式
で、モノコックのワンピースあるいはツーピースフレーム(前△を一型つかって、CTとSTは後から接着する)
作られることが多い。
サルトアントニオは、おそらく真空釜でチューブを作成して、
ラッピングで接続をしている。
肝心の中枢部分は見せてもらえず、多くは撮影も禁止でした。
公開できるのは一部だけだった。
日本でも知られているいくつかのイタリアンブランドの生産を
引き受けているようだけれど、
この製法のメリットは、”ステラミズーラ”サイズオーダーが可能であることだ。
でも、とても高価なシロモノになってしまう。
見た目は、殆ど同じだからその価格の違いは一般的には理解できないだよね~~~
ちなみに、この写真に出てくる旧友のウォルターはフレームメーカーを渡歩いていて
かつては、ベータ・ビモータ・ドカティのフレームを作っていたベルリッキ社に居て
それから、モゼールのアワーレコードのフレームで有名な、オーリア社に居て
今はこの会社に居る。
どんどんイタリアからフレーム工場が無くなっていくことを残念がっていた。
”サルトアントニオ”だ。
フレーム重量は、たった800g・・・!
日本にはまだ本格的に輸入されていない。
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www.sarutoantonio.it
この工場は、イタリアで一番最初にラッピング方式でのメーカーとして
設立され、いまだに存続している工場だ。
一般的にバイクカーボンフレームは
内圧気袋方式
真空釜方式
で、モノコックのワンピースあるいはツーピースフレーム(前△を一型つかって、CTとSTは後から接着する)
作られることが多い。
サルトアントニオは、おそらく真空釜でチューブを作成して、
ラッピングで接続をしている。
肝心の中枢部分は見せてもらえず、多くは撮影も禁止でした。
公開できるのは一部だけだった。
日本でも知られているいくつかのイタリアンブランドの生産を
引き受けているようだけれど、
この製法のメリットは、”ステラミズーラ”サイズオーダーが可能であることだ。
でも、とても高価なシロモノになってしまう。
見た目は、殆ど同じだからその価格の違いは一般的には理解できないだよね~~~
ちなみに、この写真に出てくる旧友のウォルターはフレームメーカーを渡歩いていて
かつては、ベータ・ビモータ・ドカティのフレームを作っていたベルリッキ社に居て
それから、モゼールのアワーレコードのフレームで有名な、オーリア社に居て
今はこの会社に居る。
どんどんイタリアからフレーム工場が無くなっていくことを残念がっていた。