神戸の空の下で。~街角の歴史発見~

足かけ8年、150万PV突破。「近畿の史跡めぐり」のサブタイトルも、範囲が広がったために少し変更しました。

京都・実相院。

2009年04月30日 | ◇京都府 -洛北


岩倉山 実相院

(いわくらさん じっそういん)
京都市左京区岩倉上蔵町121

近畿三十六不動尊霊場・第16番札所

通 称
実相院門跡
岩倉門跡




1721(享保6)年に下賜された四脚門。洛北の名刹への入口です。


〔宗派〕
単立寺院
※1952(昭和27)年に天台宗寺門派より独立

〔御本尊〕
不動明王像
(ふどうみょうおうぞう)


 実相院は、鎌倉時代の1229(寛喜元)年に大納言鷹司兼基卿の子・静基僧正によって開かれた寺院で、三井寺を総本山とする天台宗寺門派の寺院として創建された当初は京都市北区紫野の地にありました。その後、現在も地名にその名を残す京都市上京区実相院町に移された後、応仁の乱による激しい戦火を避けるために大雲寺の塔頭・成金剛院があった洛北・岩倉の地に移転してきました。




 
四脚門をくぐった先にある玄関脇の「御車寄」と本殿となっている「客殿」は、
1721(享保6)年に宮中より下賜された承秋門院旧殿の一部です。


 
 実相院は、皇族や摂家等の子弟が住職を務める門跡寺院だったため「岩倉門跡」「実相院門跡」などの別称で呼ばれています。室町末期までに戦火によって多くの伽藍が失われて寺勢も衰退していましたが、 江戸時代初期の1641(寛永18)に室町幕府最期の将軍である足利義昭公の孫・義尊僧正が第17世門主となり、その母である法誓院三位局後陽成天皇の後宮となった関係で皇室からの支援を受け、さらに後陽成天皇の皇子・後水尾天皇の中宮だった東福門院の兄である江戸幕府第3代将軍・徳川家光公からも援助を受けて再興されました。義周法親王が第20世門主となった際には京都御所より東山天皇の中宮・承秋門院の旧殿が下賜され、1721(享保6)年に「四脚門」・「御車寄」・「客殿」などが移築されています。




 
書院の縁側から眺めた池泉回遊庭園。



 幕末には、尊王攘夷派から佐幕派(親幕府派)と見做されて排斥運動の末に蟄居処分となった岩倉具視卿が、過激な志士たちからの暗殺を避けるために一時ここに身を潜め、池泉庭園脇の書院で密談を重ねたという記録が残るなど、激動の時代と無縁ではなかった実相院ですが、客殿「滝の間」の黒塗りの床に映り込む「床緑」「床紅葉」と呼ばれる風情のある景色は、そんな記憶も忘れさせるかの如く静寂の時を過ごさせてくれます。




 
蹴鞠の庭だった「八相の庭」。見事な枝垂桜が薄紅色の彩りを添えます。


アクセス
・叡山電鉄鞍馬線「岩倉駅」下車、北西へ徒歩20分
・市営地下鉄烏丸線「国際会館前駅」下車、京都市バス24系統・岩倉実相院行にて終点すぐ
実相院地図  Copyright (C) 2000-2009 ZENRIN DataCom CO.,LTD. All Rights Reserved.

拝観料
・大人:500円、小中学生:250円

拝観時間
・9時~17時(12月~2月は16時まで)

公式サイト


京都岩倉 実相院
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