敷地神社
(しきちじんじゃ)
京都市北区衣笠天神森町10
通 称
わら天神宮
安産の神様として名高い敷地神社。外国の方の姿も見られます。
〔御祭神〕
木花咲耶姫命
(このはなさくやひめのみこと)
天日鷲命
(あめのひわしのみこと)
栲幡千千姫命
(たくはたちぢひめのみこと)
北野天満宮から鹿苑寺金閣に向けて歩みを進め、西大路通沿いに北へと進む途中に立派な鳥居を見つけました。この神社の名前は「わら天神」。正式名称を「敷地神社」といい、安産の神様として広く知られています。昔は神への神饌を藁の器に載せてお供えしていましたが、その神徳にあやかるために安産祈願の護符の中に藁を入れたことから「わら天神」と呼ばれるようになりました。ここに祀られている木花咲耶姫命は、山の神・大山祇神(おおやまづみのみこと)の娘で、天照大御神の孫である瓊瓊杵尊と結婚した皇統の母といわれる女神です。山の神の娘である木花咲耶姫命は、富士山を象徴する女神として、また桜の花の美しさや花の命の儚さを象徴する神としても知られています。
通りに面した鳥居の先を進むと、突き当たって右に二の鳥居があります。
瓊瓊杵尊と結婚した木花咲耶姫命は一晩で子どもを身ごもります。しかし、夫から「たった一晩で子どもを授かるというのはおかしい。実は国津神の子どもで、私の子どもではないのでは?」という疑いをかけられた木花咲耶姫命は激怒。自ら産屋に入って火を放ち、「瓊瓊杵尊の子でなければ無事には産まれない。瓊瓊杵尊の子ならば無事に子どもを産むことが出来よう」と誓約(うけひ)をして出産に臨みます。木花咲耶姫命は、燃え盛る炎の中で無事に火照彦命、火須勢理彦命、火遠理彦命という3柱の神々を出産して身の潔白を証明しました。このような母としての力強さから「安産の神さま」として人々から厚く信仰されることになったそうです。
社殿には7段の石段があります(左)。妊婦さんが参拝する時には、足元を旦那さんが
しっかりサポートして下さい。杉の下で腹帯を結ぶと安産になるという綾杉明神(右)。
わら天神の創建は桓武天皇の孫・淳和天皇の治世の831(天長8)年に遡ります。北山の地に氷室が設置されることになり、加賀国からノウハウを持った守役が呼ばれてきました。この人々が地元で祀っていたのが菅生石部神社で、その御祭神である日子穂穂出見命(ひこほほでみのみこと)の母神・木花咲耶姫命をお祀りしたのがわら天神の前身である北山天神宮だといわれています。ちなみに日子穂穂出見命は火遠理彦命と同一神です。御祭神には、このように複数の呼ばれ方を持つ神さまがたくさんおられます。その後、1397(応永4)年に足利義満公が北山殿(金閣)を造営した際、北山天神宮を鎮守社としますが、山の上では参拝に不便だということで現在の場所に移転され、以来600年以上の歴史を誇っています。
アクセス
・JR「京都駅」より京都市バス50・101系統乗車(30分間)、「わら天神前」下車、徒歩すぐ
・京福電鉄北野線「北野白梅町」下車、徒歩15分
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拝観料
・無料
拝観時間
・8時30分~17時
(無料駐車場が14台ほどあり、車椅子でも参拝できるバリアフリーになっています)
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