神戸の空の下で。~街角の歴史発見~

足かけ8年、150万PV突破。「近畿の史跡めぐり」のサブタイトルも、範囲が広がったために少し変更しました。

京都・建勲神社。

2008年07月10日 | ◇京都府 -洛北
国家安泰・難局突破・大願成就

建勲神社

(たけいさおじんじゃ)
京都市北区紫野北舟岡町49




1880(明治13)年に新築された木造明神型大鳥居。1934(昭和9)年に建て替えられ、
2000(平成12)年に大改修が行われました。



〔御祭神〕
織田信長公
(おだのぶなが)
織田信忠公
(おだのぶただ)


 794(延暦13)年に平安京が造営された際、四神相応思想の玄武の位置(北)にあたるとして北方の基点となった船岡山聖徳太子の文献にも名前が見られるなど、古くから京都盆地の中で存在感を持つ重要なポイントだった船岡山は、平安時代には宇多天皇が鷹狩りを愉しんだり、円融上皇が若菜を摘んで歌会を催すなど皇族・貴族の清遊の地として愛され、この山を題材にした和歌も多く読まれています。かの清少納言も『枕草子』の231段で「岡は船岡。片岡。靹岡は笹の生ひたるがをかしきなり。かたらひの岡。人見の岡。」と1番に賞賛しています。

 雅な空気を湛えていた船岡山も、武士が台頭してきた動乱の時代には軍事戦略上の拠点として重要視され、応仁の乱の際の1511(永正8)年には西軍の細川澄元公が本陣を置いて細川高国公や大内義興公の軍勢と「船岡山の戦」を繰り広げました。以来、船岡山一帯は「西陣」という名前で呼ばれるようになりました。




道半ばで本能寺に斃れた織田信長公を祀る社殿。



 実父・織田信秀公の頃から困窮に瀕していた朝廷に経済的支援を行うなど、朝廷と友好的な関係を保っていた織田信長公は、1568(永禄11)年に正親町天皇の勅命を拝して上洛を果たしたのち、ただちに皇居の修理に着手、戦火に巻き込まれて疲弊しきっていた京都の町の再建に取り組みました。その後の朝廷との関係には諸説あるため明確なことは言えませんが、圧倒的な軍事力を持って秩序を取り戻し、大きな経済力を背景に積極的に京都の町の復興に尽力した織田信長公の貢献度は大きなものがあります。そんな戦国時代最大の風雲児・織田信長公も、1582(天正10)年6月2日払暁、本能寺の変によって劫火に焼かれ、志半ばで早すぎる死を迎えます。

  悲報に接した豊臣秀吉公は、速やかに軍を返して天王山の戦で謀反人・明智光秀公を討伐。さらに、自らが実質的な主催者となり、船岡山の北にある名刹・大徳寺において盛大な追善大法要を営むことで、織田信長公の偉業を継ぐ者だというイメージを大きく天下にアピールします。続いて朝廷へ巧みにはたらきかけた豊臣秀吉公は、正親町天皇の勅許を得て「天正寺」という寺号も賜わり、船岡山織田信長公の菩提を弔う寺院を建立する計画を立てました。残念ながら、この計画は中途で頓挫してしまいましたが、それ以来船岡山織田信長公ゆかりの霊地として手厚く保護されてきました。



 
社殿前の神楽殿(左)と織田家の木瓜の家紋の入った手水舎(右)。



 1869(明治2)年、明治天皇織田信長公の功績に対して「建勳神社」の神号を下賜し、神社創立の宣下を行います。それを受け、翌1870(明治3)年には、まず織田信長公の次男・織田信雄公の血脈を継いできた出羽天童藩主・織田信敏公が東京に構えていた邸宅内と天童藩の主城・天童城内に「建勲社」が造営されました。1875(明治8)年に別格官幣社に列せられた建勲社(「建織田社」とも呼ばれた)は、ゆかりの霊地・船岡山に社地を与えられて遷座され、山の東麓に社殿の造営が行われました。1880(明治13)年には、織田信長公と共に本能寺の変で命を落とした嫡男・織田信忠公も祀られることとなり、1910(明治43)年には中腹に建っていた社殿以下諸舎を現在の山上の地に移設しました。

 御祭神である織田信長公が上洛を果たした日にちなんで毎年10月19日に行われる「船岡大祭」では、午前11時から神事が執り行われたあと、織田信長公が特に好んだといわれる幸若舞の「敦盛」などの舞楽奉納が行われ、「長篠の戦」において武田軍を打ち破った故事に基づいて火縄銃三段打奉納が行われます。



 
大鳥居を上がったところに鎮座する稲荷命婦元宮と義照稲荷神社(左)。
建勲神社には、南から石段を上がって参拝するルートもあります(右)。



アクセス
・京都市バス205・206系統ほか「建勲神社前」バス停下車、南へ徒歩3分
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拝観料
・無料

拝観時間
・常時開放





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1 コメント

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こんばんは! (神在月)
2008-07-13 02:22:38
建勳神社は懐かしいですね。
小さい頃、親に連れられてお参りしていました。
まだ京都に市電が走っていました。
かすかな記憶だけでしたが、、昨年、30年ぶりぐらいにお参りして
変わらぬままで、それがうれしかったのを覚えています。
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