久々更新です。
半月近くも更新出来ず申し訳ありませんでした。
試験や私事で予定が立て込んでいて映画を見る時間がありませんでした。
言い訳ばかりですみません…m(._.)m
こんな私のブログですが、これからもよろしくお願いします。
さて、ようやく映画が見れました。
やっぱり映画館はいいですね。
雰囲気と言い、居心地と言い、私には無くてはならない存在のようです。
非日常によって、日常の嫌なことをしばらくの間、忘れられる、という意味において
この映画館だけが、映画を見てる時間だけが全てを「許される」癒しの空間のようです。
これでもう少し安ければ言う事ないんですけど(苦笑)
さて、今日観て来たのはマイケル・ベイ監督作品「アイランド」。
夏の大作というやつですね。
以下ネタバレします。
ジャンル分けするには難しい映画ですが敢えて言うなら近未来SFアクションですかね。
スターウォーズでの熱演が未だ覚めやらぬユアン・マクレガーを主演に
息もつかせぬ展開で一気に見せてくれます。
マイケル・ベイは「ザ・ロック」、「アルマゲドン」、「パール・ハーバー」、「バッドボーイズ2バッド」などのヒット作品を生み出して来た監督。
ミュージッククリップ、CM畑出身でジェリー・ブラッカイマーにその才能を見出だされ
大作を連発するようになります。
ヒット作を手掛けることには定評がある監督だけにこの映画も大胆かつダイナミックな映像で説得力を持たせて、展開のご都合主義をあまり感じさせません。
音楽もほぼ間断なく流れ、飽きさせません。
また、近未来を描いたその描き方もかなり私は好きですね。
(まあ、私は近未来モノにはすこぶる弱いので裁定がどうしても甘くなりますが)
特に社長(?)が冒頭で使うパソコンのタッチインターフェイスはかなりツボでした。
あと、エアバイクと巨大ホログラム装置。
どれも素敵でした。
また、ヒロイン役のスカーレット・ヨハンソンも綺麗でクローン役を見事に違和感なく成立させていました。
高度管理社会やカーチェイス、体内潜伏型マイクロマシン(?)など、
マトリックスを彷彿させる部分もありましたが、充分個性を感じさせるものでした。
夏の大作としてのデートムービーとしてはそこそこの出来と言えるでしょう。
ストーリー。
外界は汚染され、高度に管理された社会で暮らす人々の中から選ばれた人だけが最後の楽園「アイランド」に行ける、という。
主人公はその社会に疑問を抱き始め… と言った展開。
正直、予告編を見すぎたせいで大方の粗筋がわかってしまっていたため、それを確認しに劇場に足を運んだとしか思えないような結果になってしまいました…
が!この映画は現代社会にいくつもの命題を投げ掛けているようにも思いました。
とりあえず予告編を作る映画配給元はもう少し気を遣って宣伝してほしいですね。
見に行く何ヶ月も前からネタバレしてると興ざめです。
予告で散々言ったせいでサプライズになっていないので言いますが、
自律したクローンがどのように扱われるかがこの映画での見所のひとつです。
劇中、クローンは金持ちの延命のための臓器として作られています。
そしてクローンを健康体として保持するために企業はアイランドという虚像に憧れを持たせてクローンたちを生育します。
アイランドに呼ばれることは即ちそのクローンの「死」を意味します。
この映画の舞台となる近未来では既に優生保護法により植物状態でない
クローンを造ることは禁止されていますが、
その法律も定めた側が破る事態に陥っているわけです。
「地獄の沙汰も金次第」、とはよく言ったもので金さえあれば
自らの命をクローンの臓器で延命することができるわけです。
一人あたり500万ドルだそうです。
確かにお金がある人からすれば安いものでしょう。
自らの身体と適合する臓器を待つよりも全く同一の身体と適合性を持つ
クローンを買った方が手っ取り早いわけですからね。
こういった事態は容易に想像出来ます。
ヒトクローンが法的に禁止されていない国では既にこのような実験は
行われているかもしれないのです。
先進諸国では禁止されていても、いつかヒトクローンはそう遠くない未来、
私たちの前に姿を現すでしょう。
クローン技術の発展は人に不死とは言わずともある程度の
長命を約束してくれるでしょう。
そしてそのクローンには各国の憲法や国際法が保障する「生存権」や「人格権」、
「社会権」「自由権」を認めるのかが現在の倫理学、社会学、法律学、哲学など
様々な分野において激論が交わされる命題となっているわけです。
この映画からはその命題がそのまま問い掛けられています。
ヒトがヒトを造るのは神のまね事である、という観点からキリスト教国では
ヒトクローンの生成に対しては禁止する方向ですが、アイランドの場合、
禁止はある程度緩く、国をも巻き込んでクローンを生成します。
「人は生きるためなら何でもする」、というのは劇中の台詞ですが
まさに皮肉たっぷりなメッセージを感じました。
実際、クローンが実用段階でない現在でも臓器売買は世界的には大きな社会問題であり、
国によっては一つの産業として成り立ってしまっているのが実情です。
持たざるものは持てるものに臓器を売ることで明日への生計を立てるというのです。
そこにはクローンの倫理学的な問題はありませんが、十分な問題が残されていますし、
クローンであるか、そうでないかというだけで問題の根本は同じです。
持てるものと持たざるもの。
その対比は非常に大きな壁を感じさせると同時にそれは一歩間違えば
いつ、とって変わられてもおかしくないほどの不安定な要素でもあります。
劇中では主人公とその「発注者」である、本人が対峙し、本物が死んでしまう、
というシーンからもそれは暗示されているといえます。
その対比構造は社会にも世界にもいつの時代にも存在し、私たちに問題を
提起しつづけます。
生きるためには何でもするとしても、そのために作為的、非自然的に
クローンを生み出し、そこから生を搾取することは果たして「正義」と言えるのか、
そういった問題を投げ掛けてくるという意味では必見の映画であり、
娯楽大作として見るには場違いなくらいのメッセージ性を内包していると言えるでしょう。
以前、取り上げた「ガタカ」とともに近未来SFとしては非常に意義のある作品と言えます。
半月近くも更新出来ず申し訳ありませんでした。
試験や私事で予定が立て込んでいて映画を見る時間がありませんでした。
言い訳ばかりですみません…m(._.)m
こんな私のブログですが、これからもよろしくお願いします。
さて、ようやく映画が見れました。
やっぱり映画館はいいですね。
雰囲気と言い、居心地と言い、私には無くてはならない存在のようです。
非日常によって、日常の嫌なことをしばらくの間、忘れられる、という意味において
この映画館だけが、映画を見てる時間だけが全てを「許される」癒しの空間のようです。
これでもう少し安ければ言う事ないんですけど(苦笑)
さて、今日観て来たのはマイケル・ベイ監督作品「アイランド」。
夏の大作というやつですね。
以下ネタバレします。
ジャンル分けするには難しい映画ですが敢えて言うなら近未来SFアクションですかね。
スターウォーズでの熱演が未だ覚めやらぬユアン・マクレガーを主演に
息もつかせぬ展開で一気に見せてくれます。
マイケル・ベイは「ザ・ロック」、「アルマゲドン」、「パール・ハーバー」、「バッドボーイズ2バッド」などのヒット作品を生み出して来た監督。
ミュージッククリップ、CM畑出身でジェリー・ブラッカイマーにその才能を見出だされ
大作を連発するようになります。
ヒット作を手掛けることには定評がある監督だけにこの映画も大胆かつダイナミックな映像で説得力を持たせて、展開のご都合主義をあまり感じさせません。
音楽もほぼ間断なく流れ、飽きさせません。
また、近未来を描いたその描き方もかなり私は好きですね。
(まあ、私は近未来モノにはすこぶる弱いので裁定がどうしても甘くなりますが)
特に社長(?)が冒頭で使うパソコンのタッチインターフェイスはかなりツボでした。
あと、エアバイクと巨大ホログラム装置。
どれも素敵でした。
また、ヒロイン役のスカーレット・ヨハンソンも綺麗でクローン役を見事に違和感なく成立させていました。
高度管理社会やカーチェイス、体内潜伏型マイクロマシン(?)など、
マトリックスを彷彿させる部分もありましたが、充分個性を感じさせるものでした。
夏の大作としてのデートムービーとしてはそこそこの出来と言えるでしょう。
ストーリー。
外界は汚染され、高度に管理された社会で暮らす人々の中から選ばれた人だけが最後の楽園「アイランド」に行ける、という。
主人公はその社会に疑問を抱き始め… と言った展開。
正直、予告編を見すぎたせいで大方の粗筋がわかってしまっていたため、それを確認しに劇場に足を運んだとしか思えないような結果になってしまいました…
が!この映画は現代社会にいくつもの命題を投げ掛けているようにも思いました。
とりあえず予告編を作る映画配給元はもう少し気を遣って宣伝してほしいですね。
見に行く何ヶ月も前からネタバレしてると興ざめです。
予告で散々言ったせいでサプライズになっていないので言いますが、
自律したクローンがどのように扱われるかがこの映画での見所のひとつです。
劇中、クローンは金持ちの延命のための臓器として作られています。
そしてクローンを健康体として保持するために企業はアイランドという虚像に憧れを持たせてクローンたちを生育します。
アイランドに呼ばれることは即ちそのクローンの「死」を意味します。
この映画の舞台となる近未来では既に優生保護法により植物状態でない
クローンを造ることは禁止されていますが、
その法律も定めた側が破る事態に陥っているわけです。
「地獄の沙汰も金次第」、とはよく言ったもので金さえあれば
自らの命をクローンの臓器で延命することができるわけです。
一人あたり500万ドルだそうです。
確かにお金がある人からすれば安いものでしょう。
自らの身体と適合する臓器を待つよりも全く同一の身体と適合性を持つ
クローンを買った方が手っ取り早いわけですからね。
こういった事態は容易に想像出来ます。
ヒトクローンが法的に禁止されていない国では既にこのような実験は
行われているかもしれないのです。
先進諸国では禁止されていても、いつかヒトクローンはそう遠くない未来、
私たちの前に姿を現すでしょう。
クローン技術の発展は人に不死とは言わずともある程度の
長命を約束してくれるでしょう。
そしてそのクローンには各国の憲法や国際法が保障する「生存権」や「人格権」、
「社会権」「自由権」を認めるのかが現在の倫理学、社会学、法律学、哲学など
様々な分野において激論が交わされる命題となっているわけです。
この映画からはその命題がそのまま問い掛けられています。
ヒトがヒトを造るのは神のまね事である、という観点からキリスト教国では
ヒトクローンの生成に対しては禁止する方向ですが、アイランドの場合、
禁止はある程度緩く、国をも巻き込んでクローンを生成します。
「人は生きるためなら何でもする」、というのは劇中の台詞ですが
まさに皮肉たっぷりなメッセージを感じました。
実際、クローンが実用段階でない現在でも臓器売買は世界的には大きな社会問題であり、
国によっては一つの産業として成り立ってしまっているのが実情です。
持たざるものは持てるものに臓器を売ることで明日への生計を立てるというのです。
そこにはクローンの倫理学的な問題はありませんが、十分な問題が残されていますし、
クローンであるか、そうでないかというだけで問題の根本は同じです。
持てるものと持たざるもの。
その対比は非常に大きな壁を感じさせると同時にそれは一歩間違えば
いつ、とって変わられてもおかしくないほどの不安定な要素でもあります。
劇中では主人公とその「発注者」である、本人が対峙し、本物が死んでしまう、
というシーンからもそれは暗示されているといえます。
その対比構造は社会にも世界にもいつの時代にも存在し、私たちに問題を
提起しつづけます。
生きるためには何でもするとしても、そのために作為的、非自然的に
クローンを生み出し、そこから生を搾取することは果たして「正義」と言えるのか、
そういった問題を投げ掛けてくるという意味では必見の映画であり、
娯楽大作として見るには場違いなくらいのメッセージ性を内包していると言えるでしょう。
以前、取り上げた「ガタカ」とともに近未来SFとしては非常に意義のある作品と言えます。
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