ブログを始めた当初は、文学とアニメの話題が半々くらいになればいいなあと思っていたんだけど、なんかアニメがだいぶ優勢だなあ。まあ、最近あんまり本を読んでないから当然か。
さて、チェコのアニメーション監督ブジェチスラフ・ポヤールの作品『ナイトエンジェル』について。それにしても「ブジェチスラフ」というのは舌を噛んでしまうそうな名前だ。それはいいとして。この作品、ポヤールの最高傑作ではないか。そればかりでなく、チェコアニメ史上、いや、世界アニメーション史上の傑作ではないかと思う。
アニメーションというのは言うまでもなく可視的なメディアだが、この作品で扱われるのは盲目の世界なんだ。目で見えるものを表現するメディアで、目で見えないものを表現する。これはどう考えたって難しい。でもポヤールはそれに挑んでいて、しかも大成功している。
夜、ある男(人形アニメとしては比較的珍しいと思うんだけど、顔立ちがかなり端正)が窓から外を眺めている。外灯に照らされた部分だけ、雪が降りしきっている。これだけでもうこのアニメは見る価値がある。そうでしょう?光の中だけ雪が降っていて、あとは夜の闇に紛れて見えないんだ。おれらの生活でもよくあるじゃないですか。雨降りの夜、街を歩いていると、向こうから車がやって来る。ライトに照らされたところだけが、ザーザー降り。そういう光景。昔からとても気になっていた現象なんで、アニメーションとして表現されていたのは驚きだった。同じことに関心を持っている人っているんだなあ。
すると、まるで天使のような女性がゆらゆらと雪の中を舞っているのが見える。現れては消え、現れては消える。男はアパートの外に出て、その女性の方へと寄っていく。そのとき、車が走ってきて、男に衝突する。突然、目が見えなくなる。病院。真っ暗。
画面には色褪せた男の姿だけが見えていて、男が何かに手を触れると、それが闇の中から浮かび上がる。灰色になって。つまり、男の手が触れたりして、男が知覚したものだけが画面に立ち現れる仕組みになってるんだなあ。これはすごい。これほど的確に、詩的に、盲目の世界を表現したっていうのは、たいした功績だと思う。
男は自分の部屋に戻るんだけど、ときどき、あの窓から見た女性が部屋にやってくるんだな。彼女と彼女の触るものは男の目にも色鮮やかに映る。その美しさ。
とうとう男の目の包帯が取れる日がやってきて、男の視力は回復する(よかったね)。けれども、それと引き換えにあの天使のような女性の姿は見えなくなってしまう。病室には彼女とよく似た女性がいるけれど、彼女ではない。部屋に戻ると、その病室にいた女性がいる。男は隠れて彼女が出て行くのを待つ。彼女の出て行った後には、テーブルに赤い花。男は彼女を部屋に連れ戻す。いつしかあの天使のような女性へと変貌する彼女。二人は静かに接吻を交わすのだった…
このアニメーションの一番の特徴は、やはり盲目の男の知覚したものだけが真っ暗な画面に浮かび上がるという表現方法でしょうね。でもそれに加えて、天使のような女性の登場するシーン等にはただの人形だけでなく、ある種の特殊効果をも使っている。幻影のようなものを撮っているんだけど、あれはなんなのかなあ。それがとても効果を上げているように思うんだよね。神秘的になっている。
ポヤールは他にも『ロマンス』という作品がユーモアがあってけっこう好きなんだけど、この『ナイトエンジェル』は頭一つ抜きん出ている。文句なく、すばらしい作品だと言える。でも、言葉でこの作品の詩的な美しさをどこまで言い表すことができるのか…
さて、チェコのアニメーション監督ブジェチスラフ・ポヤールの作品『ナイトエンジェル』について。それにしても「ブジェチスラフ」というのは舌を噛んでしまうそうな名前だ。それはいいとして。この作品、ポヤールの最高傑作ではないか。そればかりでなく、チェコアニメ史上、いや、世界アニメーション史上の傑作ではないかと思う。
アニメーションというのは言うまでもなく可視的なメディアだが、この作品で扱われるのは盲目の世界なんだ。目で見えるものを表現するメディアで、目で見えないものを表現する。これはどう考えたって難しい。でもポヤールはそれに挑んでいて、しかも大成功している。
夜、ある男(人形アニメとしては比較的珍しいと思うんだけど、顔立ちがかなり端正)が窓から外を眺めている。外灯に照らされた部分だけ、雪が降りしきっている。これだけでもうこのアニメは見る価値がある。そうでしょう?光の中だけ雪が降っていて、あとは夜の闇に紛れて見えないんだ。おれらの生活でもよくあるじゃないですか。雨降りの夜、街を歩いていると、向こうから車がやって来る。ライトに照らされたところだけが、ザーザー降り。そういう光景。昔からとても気になっていた現象なんで、アニメーションとして表現されていたのは驚きだった。同じことに関心を持っている人っているんだなあ。
すると、まるで天使のような女性がゆらゆらと雪の中を舞っているのが見える。現れては消え、現れては消える。男はアパートの外に出て、その女性の方へと寄っていく。そのとき、車が走ってきて、男に衝突する。突然、目が見えなくなる。病院。真っ暗。
画面には色褪せた男の姿だけが見えていて、男が何かに手を触れると、それが闇の中から浮かび上がる。灰色になって。つまり、男の手が触れたりして、男が知覚したものだけが画面に立ち現れる仕組みになってるんだなあ。これはすごい。これほど的確に、詩的に、盲目の世界を表現したっていうのは、たいした功績だと思う。
男は自分の部屋に戻るんだけど、ときどき、あの窓から見た女性が部屋にやってくるんだな。彼女と彼女の触るものは男の目にも色鮮やかに映る。その美しさ。
とうとう男の目の包帯が取れる日がやってきて、男の視力は回復する(よかったね)。けれども、それと引き換えにあの天使のような女性の姿は見えなくなってしまう。病室には彼女とよく似た女性がいるけれど、彼女ではない。部屋に戻ると、その病室にいた女性がいる。男は隠れて彼女が出て行くのを待つ。彼女の出て行った後には、テーブルに赤い花。男は彼女を部屋に連れ戻す。いつしかあの天使のような女性へと変貌する彼女。二人は静かに接吻を交わすのだった…
このアニメーションの一番の特徴は、やはり盲目の男の知覚したものだけが真っ暗な画面に浮かび上がるという表現方法でしょうね。でもそれに加えて、天使のような女性の登場するシーン等にはただの人形だけでなく、ある種の特殊効果をも使っている。幻影のようなものを撮っているんだけど、あれはなんなのかなあ。それがとても効果を上げているように思うんだよね。神秘的になっている。
ポヤールは他にも『ロマンス』という作品がユーモアがあってけっこう好きなんだけど、この『ナイトエンジェル』は頭一つ抜きん出ている。文句なく、すばらしい作品だと言える。でも、言葉でこの作品の詩的な美しさをどこまで言い表すことができるのか…