Kennyのブログあれこれ

写真付きで日記や趣味を書くあれこれ

日記(12.17) 豆腐料理のこと

2013-12-17 09:28:11 | 日記
12月17日 (火曜日)  晴れ


12.12の記事に
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 江戸時代に豆腐料理のレシピを集めてベストセラーとなった
「豆腐百珍」の中で

「とうふの調和において最も第一品たるべし」とされた料理は何か。
 答えは「湯やっこ」、つまり湯豆腐である。
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  『豆腐百珍は、天明2年(1782年)に刊行された
  100種類の豆腐料理の調理方法を解説した料理本である。

豆腐百珍「絶品」の項

  醒狂道人何必醇(すいきょうどうじんかひつじゅん)の戯号で著されているが、
  大坂で活躍した篆刻家の曽谷学川の著述とされる。

  版元は大阪の春星堂藤屋善七。この本は好評を博し、
  『豆腐百珍続編』、『豆腐百珍余録』などの続編が刊行され、
  さらには蒟蒻や鯛、甘藷の百珍本が刊行されるなどのブーム
となった。
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▲豆腐は数センチの大きさに切り、煮立たせたくず湯に入れる
 ちょうど浮き上がろうとするところを食べるのがいいという。
 たれはしょうゆと花がつおで作り、薬味にはネギやおろし大根、とうがらしを
 用いるという。

 くず湯を使わぬ今の湯豆腐はさらに手がかからない。

▲和食が世界遺産に登録された理由の一つが

「多様な食材とその持ち味の尊重」であった。
 江戸時代の人が数ある豆腐料理の中で「湯やっこ」を絶品としたこと、
 その数百年後の今日の湯豆腐がさらにシンプルになったところに
 「和食」の真骨頂があるのかもしれない。

▲突然、湯豆腐が頭に浮かんだのは、師走に入って暖かだった
 首都圏でもにわかに冷え込んできたからだ。

 上空は冬型の気圧配置で寒気が流れ込み、いよいよ本格的な冬の訪れを感じさせる。 1カ月予報ではこの年末年始、西日本も東日本も平年より寒い可能性が高い。

▲むろん「季節の移ろいを表現する」のも和食の登録理由だった。
 湯豆腐ではもの足りないという方も、いろいろ具材を足して
 鍋料理を楽しめる冬である。肉や魚もいいが、
 この季節は大根やネギ、カブなどの冬野菜を大いに使って
 体を温めるのが和食の伝統であった。

▲「正月など年中行事とのかかわり」も和食が評価されたところである
 この冬、改めて子どもに歳末や正月の食の慣習をていねいに教えるのもいい。

 伝えないと永遠に消え去ってしまう「世界遺産」だ。

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なお、
現代版の豆腐百珍

日本最大の豆腐メーカーである相模屋食料が、
現代版の豆腐百珍「とうふ百珍2011」を公開した。
和食以外にも、中華やイタリアンの有名料理人が参加している。

豆腐屋ドットコム
ここは豆腐料理がいっぱい!

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日記(12.17) ネルソン・マンデラのこと

2013-12-17 09:12:05 | 日記
12月17日 (火曜日)   晴れ   寒い!

昨夜は風が強く雨戸に風が当たって音が少しうるさかった。
今朝は綺麗に晴れたが、寒い!
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死去から葬儀と大変なニュースであったがようやく報道も静かになった。
ネルソン・マンデラ大統領。
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ネルソン・ホリシャシャ・マンデラ
(コサ語: Nelson Rolihlahla Mandela、1918年7月18日 - 2013年12月5日)は、
南アフリカ共和国の政治家、弁護士である。
大統領(第8代)、下院議員(1期)、アフリカ民族会議議長(第11代)を歴任。
賞歴としてネルー賞、ユネスコ平和賞、アフリカ賞、サハロフ賞、ノーベル平和賞、国際検察官協会名誉章受章など。称号には名誉法学博士(早稲田大学)など。
南アフリカ共和国での愛称はマディバ、タタ(父)
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反アパルトヘイト(人種隔離)闘争を率い、ノーベル平和賞を受賞した南アフリカ元大統領のネルソン・マンデラ氏(94歳)


★989年12月に当時の大統領フレデリック・デクラークと会談し、
 翌1990年2月11日に釈放される。

 釈放後、ANC副議長に就任。
 デクラークとの予備会談にANC代表として出席する。
 また、1990年10月27日から11月1日までANC代表団を率いて訪日している

 1991年、ANC議長に就任。
 デクラークと協力して全人種代表が参加した民主南アフリカ会議を2度開き、
 さらに多党交渉フォーラムを開いた。
 暫定政府、暫定憲法を作成。

 1991年6月にアパルトヘイトの根幹法である人口登録法、原住民土地法、集団地域法 などを廃止し、翌1993年12月10日にデクラークとともにノーベル平和賞受賞。

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何故、あれまで凄い人物だったのか!は
映画をみてわかった様な気がしていたが実際は何もわかっていない。
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映画は3回ほど観ている。・・

マンデラの名もなき看守

南アフリカ初の黒人大統領ネルソン・マンデラの
“囚われの27年間”にスポットを当てた感動作

政治活動家として刑務所生活を強いられたマンデラと、
彼との出会いによって社会を見つめ直す白人看守グレゴリーの交流が描かれる。
監督は『ペレ』のビレ・アウグスト。マンデラを人気ドラマの
デニス・ヘイスバートが、グレゴリーをジョセフ・ファインズが演じる。
存命中の人物を魂を込めて演じたデニスの熱演と、
 知られざる感動秘話が堪能できる


ストーリー:
アパルトヘイト政策により、
黒人が差別されている1968年の南アフリカ。
白人看守のグレゴリー(ジョセフ・ファインズ)は、
マンデラ(デニス・ヘイスバート)が収監されているロベン島の刑務所に赴任。

マンデラの故郷の言葉であるコーサ語を操ることができるグレゴリーは、
マンデラらの秘密の会話をスパイするよう命じられる


しかし、この看守はしだいにネルソンの人徳にひかれて行く・・・・・

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少し新聞コラム記事を

「ロリフラフラ」がネルソン・マンデラ氏が
生まれた時の名だった。
何と部族語で「トラブルメーカー」を意味するという。

後年の波乱の人生で、この名前がひやかしのたねになったのはいうまでもない。

▲反人種隔離政策の闘士として
 運転手、料理人、庭男、ボーイなどに変装して神出鬼没の地下活動をしたおりには、

「紅はこべ」をもじった「黒はこべ」というあだ名もついた。
 やがて捕らわれ、国家反逆罪で起訴された裁判で行った冒頭陳述が歴史に残る演説と なる。

▲「私は生涯を通じて、このアフリカ民衆の闘争に身をささげてきました。
  白人支配に対して闘い、黒人支配に対しても闘ってきました。
  すべての人が手を取り合い、対等の機会を与えられて共存していく
  民主的で自由な社会という理想を胸に抱き続けてきました。

  ……この理想のために命も投げ出す覚悟です」。


▲マンデラ氏の偉大さは、実に27年6カ月の獄中生活の後に
 その理想を地上にもたらしたことにあろう。

 彼は記す。
 「刑務所から出た時、私の使命は抑圧された人々と
  抑圧する人々との双方を抑圧から解き放つことだった」。

怨恨ではなく寛容を、
 報復ではなく和解を。


 まさに身をもって人種間の憎悪の悪循環を断ち切ったマンデラ氏である。
 かつて反逆罪の法廷で唱えられた理想は、
 その大統領就任演説において

 新生南アフリカのすべての国民同士の「契約」としてうたわれることになった。

▲「いかにして人はマンデラたりうるのか?」とは仏の
  哲学者デリダの言葉という。

  人間の尊厳と自由、平和を求める
  すべての人の心に確かな希望とそんな問いを残し、
  マンデラ氏は旅立った。
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日記(12.16) 東京家族をみて

2013-12-16 14:50:14 | 日記
12月16日 (月曜日)  晴れ

風が冷たい。寒気が居座る様子だ。
寒い日だが、小用は朝のうちにかたずける。
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つい先日、TVで5回目くらいだろうか?
”東京家族”を観た。前にもブログに書いたことが有るが
何度見ても・・家族の単位と結び付きを考えさせられる映画である。

この作品は橋爪・吉行さんが夫婦役のリメイク作品だ。
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昭和28年作品の東京物語は!

あらすじ と 出演者は・・・

笠智衆・ 東山千栄子・ 原節子・ 杉村春子
1953年の夏、尾道に暮らす周吉とその妻のとみが東京に旅行
 に出掛ける。

東京に暮らす子供たちの家を久方振りに訪ねるのだ。
しかし、長男の幸一も長女の志げも毎日仕事が忙しくて
両親をかまってやれない。


寂しい思いをする2人を慰めたのが、戦死した次男の妻の紀子だった。
紀子はわざわざ仕事を休んで、2人を東京名所の観光に連れて行く。


両親の世話に困った幸一と志げは、2人を熱海の旅館に宿泊させる。
しかし、その旅館は安価な若者向きの旅館で、
2人は騒々しさになかなか眠れない。

翌日、熱海から早々に帰って来た2人に対し、志げはいい顔をしない。
居づらくなった2人は志げの家を後にする。

周吉は在京の旧友と久方振りに再会して酒を酌み交わし、
とみは紀子の家に泊まる。

ここでとみは、戦死した夫を忘れて再婚するよう、
紀子に強く勧めるのだった。

周吉は旧友に本音をぶちまけるほど泥酔する。
深夜、泥酔状態のところをお巡りさんに保護されて、
志げの家に帰ってきてしまう。そこで志げ夫婦の顰蹙を買う。

2人は、子供たちからはあまり温かく接してもらえなかったが、
それでも満足した表情を見せて尾道へ帰った。


ところが、両親が帰郷して数日もしないうちに、
とみが危篤状態であるとの電報が子供たちの元に届いた。
子供たちが尾道の実家に到着した翌日の未明に、とみは死去した。
幸一と志げは悲しみつつも、間もなくさばさばした乾いた表情を見せる。

とみの葬儀が終わった後、志げは次女の京子に、
とみの形見の品をよこすよう催促する。

そして志げは、とみよりも周吉が先に死ぬのが望ましかったと主張し、
幸一もそれに同調する。
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紀子以外の子供たちは、葬儀が終わるとそそくさと帰って行った。
京子は憤慨するが、
紀子は歳を取れば誰でも自分の生活が一番大切になるものだといって
義兄姉をかばい、若い京子を静かに諭す。

紀子が東京に帰る前に、周吉は上京した際の紀子の優しさに感謝を表す。
そして紀子に再婚を勧める。

ここで紀子は初めて、自分の苦悩を吐露する。
独身を通す自分の将来の不安がぬぐえないことを打ち明け、
涙を流す孤独な紀子に、周吉は妻の形見の時計を与える
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この作品は2011年に、山田洋次監督の新作が動き出していた。
タイトルは『東京家族』。小津監督作品へのオマージュである。

これまで家族を描き続けてきた山田監督が、監督生活50周年を迎え、
敬愛する小津安二郎監督の名作『東京物語』(1953年)を
モチーフに現代版『東京物語』に取り組むことになったのだ。

脚本は、時代も風景も変わった今の東京に設定を変え、
>「現在の家族のあり方」をテーマに書き上げられた。
2012年に世界の映画監督が選ぶ優れた映画第1位に選ばれた、
小津安二郎監督の『東京物語』をモチーフに製作されました。
日本の社会が変わろうとするその時を、
 ある家族の日常風景を通して切り取った




『東京物語』から60年─奇しくも現在の日本も、
東日本大震災とそこから生じた様々な問題により、
大いなる変化を突きつけられています。

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★親とは子とは家族とはそのつながりを深く考えさせられる映像であった。
 時代という時間は後戻りできないから・・せめて当時はこうであったんだと
 記憶にはとどめて行きたい。
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数日後の新聞コラムには・・・小津監督の誕生&命日の日にかかれていた。
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苦楽をともにしてきた老妻が死んで、葬式もすんだ。
隣家の奥さんが通りかかって「お寂しゅうなりましたなあ」。
「一人になると急に日が長(なご)うなりますわい」。

つぶやく夫の向こうに瀬戸内の海――。

変哲もないシーンながら、
映画「東京物語」のラストは何回見ても胸にしみ入る。


▼監督の小津安二郎は映画ってのは、あと味の勝負だと僕は 思ってますよと後に語っている。

 その術に心ふるわせたファンは多かろう。
 世界的な巨匠の、きょうは誕生日にして命日。

 生誕から110年、没して50年にあたる。

▼作品の多くは、家族や人のつながりを「無常の相」として とら える。
 古き良きものが崩れていく現実が淡々と示される。

 作詞家の故・阿久悠さんは小津映画を見ながら、
 家の間取り図を描いたことがあったそうだ。

▼そこでは家族それぞれが、他の家族を見るともなく
 目の端に入れながら暮らしている。

盆栽をいじる父、料理をする母、本を読む妹、グローブに油を塗る弟――。

「絆」という語をあまり叫ばずにすんだ時代かもしれない。
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▼いま、「孤」という字が社会にのさばる。
 むろん家族にも地域にも煩わしさや重荷はある。

 それを嫌って、つながりを断ち切る方向にアクセルを踏みすぎて来なかったか。
 功と罪を、古い映画は問うているかのようだ。


▼「おれは豆腐屋だから豆腐しか作らない」と言って
 作風を変えなかった。
 今ならどんな映画を撮るだろう。
 その墓は鎌倉の円覚寺にあって、「無」の一文字が刻まれている。

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3年程前に、この無を見に行ったがなんだか沢山の人がいて、
その先は檀家さんだけだったのか?良くわからずじまいで、
結局、見ずに戻った円覚寺だった。
近いうちに一人鎌倉散策に行こう。
建長寺の裏手の山にも上がって観たい。

日記(12.15) 吉祥寺美容院 井の頭公園

2013-12-15 21:32:19 | 日記
12月15日 (日曜日) 晴れ

本日は、カミさんの妹夫婦が経営する
東京のZEST吉祥寺店の美容院に行って
久々に髪をいじってもらった。
早めに家を出た・・
天気は最高にいい感じである。

吉祥寺の駅も大分改装工事が進んでいる。
綺麗になってきている。



駅前通りはお店がゴチャゴチャと並んでいて、そう昔と変わらないが・

公園口出口を外へ目の前が○Ⅰ○Ⅰのデパートである。

その右横の通りを入って、井の頭公園の入り口にお店が有る。

元ディーラーのお店だったらし広くて大きいお店である。
もうここで10数年お店をやっている。

看板が結構目立つ


お店のHPは下記をクリック
ZEST

若い従業員と若いお客さんばかりである。
場違いの感じもする。

私はもう10年以上も前だが、市ヶ谷店の担当だったO君が
こちらの店にいて、カットが上手いので引き続きやって貰う。
出身地が九州なので、釣りの話などで時間経過を忘れる。

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お昼には、パルコの先にある東急デパの”かつくら”が美味しいと言うので
案内されて行ってみる。人気店なのかもう13時半なのに順番待ち10人ほどが

京都三条が本店かな?結構美味しく感じた。
その後も日曜日とあって、お客の波が絶えない状況だった。

かつくら
油がコレステロール0と言う事である。胸やけがしない。

御飯は・・
食物繊維、カルシウム、ビタミンB1等のミネラルを豊富に含み、
腸内環境を整えダイエット効果や美容効果があると言われている麦。
かつくらでは、この麦を100%のコシヒカリに2割混ぜて炊いています。
※かつくらのお米は国産米を使用しております・・・。とある。
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お店から数十歩で公園の入り口なので、本当に久々に
井の頭公園を散策する。

まだ、残り紅葉が、午後の低い日射しに当たって映える。



日曜日で天気も良く、多くの方が公園の周囲を散策している。



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井の頭恩賜公園は、
東京都武蔵野市と三鷹市にまたがる都立公園である。

1917年(大正6年)5月1日開園。
三宝寺池(石神井公園)・善福寺池と並び、武蔵野三大湧水池として知られる
井の頭池を中心とした公園である。
東京都西部公園緑地事務所が管理している。
日本さくら名所100選に選定されている。
井の頭弁財天
歌川広重「名所雪月花・井の頭の池 弁財天の社雪の景」
井の頭池(弁天堂近辺)
お茶の水」と呼ばれる湧水口
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中央線快速、空いているが通勤時は大変な
混みようだ!
さあ帰宅。
暗くなるのが早い!
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ようやく回復し始めた、孫君が少し元気を取り戻した。

良かった!


日記(12.14) 記事いろいろ

2013-12-14 16:58:29 | 日記
12月13日 (土曜日)      夕


ある方が書いている・・・・誰のことかは想像に難しくない!

衆院議員はただのワン・ノブ・ゼムなのに対して、
 県知事はオンリー・ワン、つまりそこの県の殿さまだ。

 その殿さま身分をかつて味わった氏としては、
 もう一度その身分に戻りたい、と思うのも無理からぬところがある。

●又,最大の後見人である前のボスからも見放され・
 都議会議員&職員からも四面楚歌の形だ。
 ここは男気を出して、あっさりと譲ったらどうか。
 それにしても、殿さま身分と言うのは
 途方もない魅力として映るようである


 ★辛辣な文言が並ぶ。
 権力を手中にすると皆だれもが偉くなった気持に
 なってしまうんだろうか・なあ~

 ”実るほど こうべを垂れる 稲穂かな”!
 (5円玉)を良く見て謙虚に・・。

 ”俺が俺がの我を捨てて おかげおかげの下で生きよ”
  と色々あるが、人間・・祭り上げられない様にしないとなあ~!

もっとも、一度も経験が無いので、
その途方もない魅力的ポストの感覚はわからない。

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自治会の年末会合も徳樹庵で一時間程行った。
皆さんの、近況・そして自治会内の出来事・会計の報告等を終えて

簡単なランチも済ませて帰宅。

第3回目の白菜を浸けてしまう。
新しい少し良い塩を使って見る。

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ガラケーの事をかいたが
ある記事には・・・

携帯電話とは対照的に、
日本の独自規格ながら近年の国内市場での伸びの著しいのが
軽自動車である。

全国の自動車保有台数に占める軽の割合は今年3月末で37.2%、
100世帯あたりの軽の保有台数は一昨年から50台を超え、
今年は51.8台に達している。
・・そんなに!

▲そこで再来年4月以降購入の新車から軽自動車税を
 大幅に引き上げるという与党間の合意である。

 自動車取得税廃止にともなう財源不足を多くの優遇を受けている
 軽の税引き上げで穴埋めしようというのである

 背景には軽の販売の伸びに伴う優遇見直し論があった。

ちなみに佐賀県と鳥取県では100世帯あたり
 軽保有台数は100台を超えた。全体に地方で多く
 東京はわずか同11台である。


 地方では所得の低い人にも日常の足として欠かせない
 軽の増税への不満がつのろう。
 軽のメーカーからは「弱い者いじめだ」との声も出た。

▲米国からは非関税障壁呼ばわりされる日本の軽規格だが、
 その独自の技術進化は途上国の市場でも生かせるという。

 内外の生存競争のもたらす淘汰圧をはねのけてきた
ガラ軽」の周辺も風雲急である。

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それにしても、つるべ落としの日々が
”冬至10日前”が一番暗く感じるから今なんだろう・・
寒くなってきたなあ~・・・

”冬は孤独感もついてまわるが・・日が短いからかな”