稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

加藤諦三の詩

2016年11月11日 | 詩や短歌など
中学生の頃の私は劣等感の塊だった。
有名な進学校にエスカレーター式に入学したのは良いが、
授業に付いていけず、憧れて入った柔道部でも一番弱かった。
登校拒否までは行かないが遅刻常習者だったし授業を抜け出すことも度々あった。

小学校の時に発症したアレルギー皮膚炎も湿疹がひどくて悩んでいた。
体力的にも人より劣り、小遣いが少なくいつもお腹を空かせていた。
何をしても、何もかもうまくいかない時期が3年ほど続いた。

兄達は優秀で、元々兄弟仲は良いほうではなかったので、
事あるごとに「お前は馬鹿だ」「将来は乞食になる」などと言われていた。
「将来困っても助けてやらんからな」とドヤ顔で言われた。
親からも見捨てられかけていたと思っていた。本当に孤独であった。

いつかは見返してやるとは思ったものの、その術(すべ)も根性も無く、
いたずらに虚無的な日々を送っていたのが思春期の私である。
ただただ「俺に構わんでくれ」「放っておいてくれ」と思っていた。

そんな時、雑誌であったか新聞であったか加藤諦三の詩が目に留まった。
何もかもが嫌になっていた私に、その詩は衝撃的な印象を与えた。
すぐに紙切れに書き写した詩である。読み返すたびに当時の思いが蘇る。
この詩で自分を慰めた。何度も救われた。

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ほっておけよ そんな奴

すました顔して 自分の人生を見つけていけよ

ほっておけよ そんな奴

しゃーしゃーした顔して 笑っていろよ

ほっておけよ そんな奴

そのうち皆が あきれるさ

向こうがあきれるまで

ほっておけよ そんな奴

劣等感に苦しんだ君は

「のぼせている人間」に苦しめられた君だ

「のぼせている人間」に苦しめられた君は

誰よりも人の真心の大切さを知っている君だ

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エスカレーター式に上がれるはずの高校受験にも失敗し、
当時としては落ちこぼれ収容所のごとき高校にかろうじて入学した。
結果的にはそれが正解で、そこそこ頑張れば何とかなることを学習し今に至っている。
人生、なるようにしかならないものだが、一歩でも半歩でも前に出ることが肝要だ。

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