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稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

No.43 (昭和62年1月23日・続きの続き)

2019年02月23日 | 長井長正範士の遺文


この境地まで導いてくれた愛刀をとって、なで、さすり、ほほずりして、
三拝九拝している名人の姿が目に見えるように髣髴(ほうふつ)たるものがある。

一切が名刀のお力、名刀の導き、名刀のおかげで、
自分の力でこの境地が開けたのではないと、まことに謙虚な気持で涙を流してよろこび、
名刀と苦楽を共にして来た生涯をふりかえって楽しんでいる様を想像してみるとき、
私はこの所を涙なくしては書き得なかった。

斯様(かよう)に先生は極めて謙虚な気持ちで、名刀の力を得なかったならば
「剱の心」を証得することは出来なかったであろうと申しているのである。
誠に名刀こそ剱人の本心を直指して、本心の殿堂にご案内して下さって、
剣道至極の好境に入らしむる案内者である。

三、名刀製作の動機
法華経に「唯仏と仏とのみ能く究尽す」とあるように、
名人はよく名人を覚知し、名作は名人の手によって打成される。
曲木も名人の手になればたちまちその真価を発揮する。
吉田誠宏先生を今名人ということは尚早かも知れないが、
少なくとも名人位の境地とはこうしたものであるという事だけは既に三十代にして知り、
その境地を開拓しようと、あらゆる角度から研究に研究を重ね、或は一代の禅僧、
南天老に師事し、剣禅一如の妙所如何にと捨身の修行に徹する等、
或は京都武徳会本部の大会に於ける玉座問題では
剣道第一義諦(だいいちぎたい)のものを打成して、
剣道界に新生命の楔を打込み、飄然として剣を捨て、
拓生の道に入り、医師に見離されたる多くの肺病患者を癒やし、
活人剣の妙境を実際生活に於いて自得現成した。

或は又、一億玉砕のあの大戦の大詰となるや、全国の武道家に激をとばして、
中村半之助将軍を隊長として振武隊を組織し、橿原神宮の大広間に於いて
「我々日本の武道家は身命を大君に捧げ奉り護国の鬼と化することを
大神様の御魂にお誓い申す」と武徳の本領を発揮し、
以って護国の鬼たらん事を期して国難に当るなど・・・・・

或は又、敗戦直後のあの米穀の遅配欠配が続き将に餓死寸前の際に、
日下村農業倉庫に在った麦百二十五俵を非農家二千六百四人に対して
先生が身をもって配給し、村民の急場を救ったため、食糧統制違反によって告発せられ、
二年有余に渡って法廷で戦い、全く自己を捨てきって非農家を救う等、
事にのぞんで変に応じて道を行ずる剣の妙所を如実に生きぬいた人と言うべきであろう。

或は又、敗戦に逢い、国民騒然として国家を忘れ、民族を忘れ、
ただ自己一身の利害と安泰をはかる世情を見ては坐視するあたわずして
日本再建の道は剣道を復興せしめるにあり、
国民の生活の中に武道が入ってこなければ我が民族は亡ぶより外、仕方がない、
日本をして日本本来の日本に再興せしめるために私財を投げ出して武徳会の再興を企図し、
ほとんど成就するかに見えたが、時期尚早のためか、一部不明の人達の反対にあい、
まことに天、組みせず、雄国空しく失敗に終ったのである。

かくの如く先生の今日までの生涯は剣道第一義諦に、
こと志と違い成就し得なかったのである。

失敗に終ったとは言え、常人のよく企図しえざる事を企図し、
凡人のなし不得ところをなしきたったところのものはなんであろうか。
これは地位も、名誉も、財産も何もかもいらん。
ただ国家の安泰と民族の繁栄とを希求し、全自己をあげて、
一切を剣道のために打込んで、剣道の第一義諦より湧出せる透徹(とうてつ)した
心境と大義に生き抜かんとする情熱である。(以下続く)
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No.42 (昭和62年1月23日・続き)

2019年02月20日 | 長井長正範士の遺文


名刀らしいものが一本もなく、後藤先生から頂いた一刀こそが
多年求めに求めた名刀であったことのよろこびを又、次の例話で表現している。
「この私のよろこびというものは、音楽家が名器を手に入れた時のよろこびなどと同様であろう」と。

更に「この名刀は試合専門として、天覧試合にもこの愛刀一本で臨み、
その他数々の勝負を重ね、大連引上げの際も、これだけは、ソ連兵が何と言をうと
身から離さず持ち帰った」とある。

先生は全く命にかえてもと、この愛刀を護りきった事がよくわかる。
これ一本では誠に破損した時に心もとなく、備えとして、これに代わるべき一本をと、
その後、随分苦心して求めてはいたが、遂に手に入らなかった。
と、現代竹の名刀の殆んどないことをなげいていられるのである。

先生はこの一本の名刀が手に入ったために、現代剣道によって、
はしなくも剱の心を悟り、剱の妙境に遂に達し得た事を申述べているが、
如何に名刀ならでは剱道至極のところを、ずばりと悟ることが困難であるかを
述壊しておられるのである。

二、名刀によって剣の心を悟る
「愛用の名刀であると、試合でも、稽古の際に於いても、
身剱一如の境地に入り易い」と申されている。

これは名刀がよく、自己に生れ乍らにしてというよりも、
生れる以前から即ち父母未生以前(ぶもみしょういぜん)から
内在具有しているところの潜在する真の力量(剱の心)を
引き出す力があることを教えておられるものと解したい。
そして次の一文こそ、先生がこの名刀によって
剱道の悟境に達し得られたよろこびを書き綴ったものであろうと思う。

「勿論勝とうとか、秀でた技を見せようとか思う気持ちが動いたら立派な剱は使えない。
こうした想念が全く無くなって了(しま)い、思念や肉体が気にならなくなると、
真に剱と一体となった試合を行えるもので、無我の境地に入る。宗教で言う空の境地であろう。
この境地になると技を邪魔する色々の想いが消え去り
(心を観ずる心になく!迷う心などは本来なしと悟ってみれば)肉体まで消え去って
(色即是空を感じ、物質本来なし、肉体なし)本心(即ち「剱の心」言うなれば「不生の心」)
そのものになってくる。

剱と自分が無になると、相手の心の中に自分が溶け込んで了(しま)う。

(本来彼我共に宇宙の大生命を生きているのであるから、生命に於いて一つなのであるという
一体観に立ってみると・・・・・)

すると、相手と自分とは同じもので、相手の思うこと、なすことが自分にピンと感じられ、
無理なく、剱理にかなって相手を打込めるものなのである。

(無敵流の流祖が、この境地を悟ってからは、剱法と言わないで「平法」と名ずけている。
何故平法と申したかというと、我と彼とは本来平等一体であるという自覚を剱に生かしたもので
あるからである。彼我本来一体である。そこから平法が生れてくる。斗う(たたかう)のではない、
和解平和の法である。一切に和解して無敵なるが故にである。ここのところは、あたかも
信心銘の劈頭語、至道無難唯嫌揀択(しどうぶなんゆいけんけんじゃく=好ききらい)を嫌う、
ただ憎愛なければ洞然として明白なりの境地と一つのところである)

と先生ご自身の絶対不敗の大悟境を披歴しているが、
これは全く、名人上泉伊勢守信綱の歌ったものと同じ悟境である。

“よしあしと思ふ心を打ちすてて、何事もなき身となってみよ”
そして最後に、何と言われたかと申しますと、
「この境地まで導いてくれた愛刀を時折、竹刀袋より取り出して眺めるのが何より楽しい」とあるが、
これは先生の人柄を遺憾なく発揮した不朽の名文であり金言である。(以下続く)
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No.41 吉田誠宏作、竹刀の名刀について(昭和62年1月23日)

2019年02月19日 | 長井長正範士の遺文


○吉田誠宏作、竹刀の名刀について。
という題の貴重なパンフレットを吉田先生が生前私に下さったが、
その当時はちらっと一回だけ拝読して軽く浅く名刀とはそんなものかと思い乍ら、
そのまま他の書類と共に書棚にしまっておいて、もう二十年になろうか。

今そのお書きになった文章をじっくり拝読させて頂き、
これは大変に貴重な文献として如何に吉田先生は奥の深い名人であり
剣の奥義を自らあみ出し剣の道を極められたが今頃になってハッとして
その偉大なるものを後進に残されたか思い知らされ、ただただ感激無量である。

これを私することなく広く皆様にご披露申し上げ、以って吉田先生の霊に捧げたい。
但し残念ながら途中からの紙片が切れ紛失したので肝心なところが無いので
如何にも惜しいのが初めからの文章の流れから賢明な皆様のお察しにおまかせしたい。
以下、忠実に拝写致します。

(この文を書かれた方はゆえあってよみびとしらずとしておきます)

一、高野茂義先生と竹の名刀
名人高野茂義先生。先生は現代剣道によって物質本来なし、肉体本来なし、
心を観ずるに心もなし、ただ実在するものは「本心」即ち「剣の心」のみを徹見し、
隻手(せきしゅ)の声を聞き、剣の心を極めた人であるが故に、
先生は名人位に達したものと信じているものの一人であるから名人なる悟りを冠する。

先生の悟境(ごきょう)に関する消息は昭和三十一年七月号の文春四十二頁に
竹の名刀と題して現代剣道によって拓かれた悟境の一端を申し述べられているが、
これは誠にもってわれわれ剣人にとっては孫末代まで語り草とすべきお話であると思う。

悟境に関しては後程、竹の名刀に関連して出てまいりますが、
先に竹の名刀について私見を入れながらご紹介致します。

「私が七十年間に手入れした竹刀で、これこそ真に名刀であると気に入ったのは、
たった一本なのである。竹刀は刀剱と違い簡単に入手出来るものであるから、
竹刀の名刀なら何本でもありそうなものであるのに案外なことである。」

と申し、更に語をついで

「十代の少年時代から今日八十才になるまで何百本ともなく使用したが
自分で買い求めた中には一本も名刀が無かった。然るに大正初年、
京都の演武大会に出場したとき、柳河藩の後藤一先生から頂いた一刀は
誠にその相(スガタ)と言い、調子と言い、重量までが総べて私の好みに、
ぴったりと合い非常に気に入った。大連の家にこれを後生大事に持ち帰って、
早速自分の好みに最後の仕上げをして、中段、上段に構えて調子を見ると、
実に予期以上の名刀に仕上がった。思わず掛け声もかかり、独り稽古を始めてしまった」

とある。全く名刀と言うものは、そうしたものであると思う。

私たちは竹刀を使うということに専念して「竹刀につかわれること」を知らない。
名刀の動きにつれて体が自然と動く・・・・
これは名刀によって自己に内在している潜在力が導き出されてくる結果、そうなるのであるが、
茂義先生も独り稽古を始めたとある。ここに名刀の価値が有ると思う。

斯様(かよう)に剱人としての先生が、
これこそと思う名刀を手にした時のよろこびを余すことなく表現して
眼前に髣髴(ほうふつ)たらしめるものがあるのではないか。

弘法は筆を選ばずと言われているが、茂義先生をも竹刀を選ばずで、
どのような竹刀でも使いこなす人であったから、
竹刀のよしあし等に関して気にもかけなかっただろうと、はた目に見えたのであるが、
この述懐を見ると、先生程名刀を求めに求めた人は少ないような感じを受けるのである。
ご自分で買い求めた中には(続く)
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No.40(昭和62年1月18日)(つづき)

2019年02月13日 | 長井長正範士の遺文


考えてしまい、これ等のものを与えることに力を入れて、
これでいいのだ、と満足している方があるが。
勿論こういった楽しい物を貰った子供は一応よろこぶかも知れないが、
実は子供が一番欲しいと思い、心の底から願っているのは、
お父さんやお母さんの笑顔とか愛情のこもった言葉とか、
温かく力強い抱きしめとか、愛撫などといったものなのである。

このように子供は、そばにいる人間、特に父親、母親とかいう自分が一番愛し、
信頼している人間から認められる、愛される、信頼される、喜ばれる、
といった形の触れ方をされることを常に待ち望んでいる者であって、
そのようにされた時、最大の楽しさ、うれしさ、満足、自信、安心などが、
子供の中にできるものであると言える。子供はこうして母親の温かい笑顔や、
愛のある言葉によって、お母さんは自分を愛していてくれると安心し、
ではあのことをやってみようなどとつぎにやる気を大きくして、
活発に行動し始めるものである。

○やる気の座は皮膚にある。ということ。
人のやる気、子供のやる気の源泉は、子供をとりまく人々、とりわけ子供にとって
身近な親から認める、信じる、共感するという触れ方をされて心が満たされるのであるが、
その形は親の笑顔、愛ある言葉、力強い抱きしめであると前述したが、
中でも強い効力のあるものは力強い抱きしめである。

五官と言って、目、耳、鼻、舌、皮膚の中で皮膚ほど大切なものはなく、
皮膚ほど人間のやる気とかかわりのある道具は他にない。と言っても過言ではない。
故に皮膚接触が少ないとか、下手だと、子供は村八分にされたのと同じ心の状態となり、
その不満、不安、恐れのために、子供の情緒は乱れ、感情はいつもイライラと波騒ぎ、
やる気はなくなり、物は覚えないし、覚えた知識も技術も正常に使えなくなってしまうのである。

○心の栄養の第一は母親の抱きしめにあり。
目海先生が多くの子供達に行われた抱きしめの実験では、一秒でどうか、二秒でどうか、
五秒では、十秒ではどう満足するかとをやって見られたが、
五秒ぐらいまでだと全員が不満足だったようで“もっと抱いて欲しい”という顔色で、
それを越えて六秒、七秒、抱きしめていると、心ではほぼ満足しているが、
痛く苦しいものだから“痛い、放して”と手足をバタバタし始める。

そのとき、こちらがパッと離してやると、まだ少しだけ不満足そうな様子をする。
“言ったからと言って、すぐ離さなくてもよいのに”といったうらめしそうな顔色である。
子供が“放して”と言っても、聞こえないふりをして、もう一杯ぐらい抱いて、
合計8秒ぐらいしてから離してやると、どの子もみんな、まず自分で立っておれなくなる程、
体から力が抜け、満足しきった顔色でグズグズと座り込むほどになった。ほどになったと。

次に抱く回数による子供の様子をみると、一日に二度も三度も、強く抱きしめてやると、
子供に甘えが出てくるから、親子の場合、一日に一度が限度であることがわかったし、
こんな抱きしめを毎日続けると、だんだん慣れてしまって感激しなくなってしまうから、
必ず二~三日抱いたら、二、三日抱かない日をおくということも必要である。

○心の栄養の第二は母親の言葉かけ。
胎児はお母さんの胎内で、すでに母の声を聞き覚えているのである。
乳児の心を安定させ、その安心から“やる気”を大きくさせる第二の力うぃ持つものは、
そのお母さんの声、言葉かけなのである。

子供は母親の話しかけが何んの意味か判らず又、自分から母に話かけることは出来が、
やさしい母の接し方、言葉かけが、自分に好意を持っていてくれることだけは
確実に判断しているものである。

○心の栄養の第三は母親の笑顔である。これは多くを語らずとも判る筈。
○子供の好奇心は、やる気のあらわれである。
○子供の冒険心は、やる気のあらわれである。
○成功体験が又、やる気を増幅する。
以上、良い意味の心すべきところである。

間違ったやり方のやる気作りは子供を駄目にする。その例をあげる。
◎困ったやる気作り
○物を与えすぎ
○金品で釣りすぎ
○与えるのは最後という考えは危険
○便利にしすぎる
○手助けが多すぎる
○口助けが多すぎる
○教えるのは親の役目と思うのは危険
○形ばかりを整えようとする
○早さばかりを求めている
○多くを求めている
○考える時を奪っている
○自由さを奪っている
○口小言が多すぎる
○叱り方が間違っている
○ほめ方が間違っている

等々、心すべきなり。
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No.39(昭和62年1月18日)

2019年01月30日 | 長井長正範士の遺文
川合月海先生は、日本保育協会、保育科学研究所所長であり、
私は以前から拝読しているが、少年剣道指導に当り、大変教えられる所多々あり、
特に「8秒間のスキンシップ」こうすれば子どもの“やる気”がひき出せる。
という本(学校法人広池学園出版、昭57年9月初版発行、その後再三発行されている)は
なるほど、と感じられ、教えられたので、次に大事なところだけ更に要約して書いておきたい。

尚、この中の“やる気”の要点は去る昭和59.6.9、昭和60.6.8の二回にわたり、
全剣連主催の少年剣道指導法の講師として大阪修道館でお話申し上げたが
大切な事と思うので敢えて転記しておきたい。



○親は、一日も早く子供に知識や技術や、正しい生活習慣などを身につけさせようと願い
“覚えなさい、練習しなさい”とあせり、急がせるところがあるものですが、
このような形で触れていると、子供から、かえって“やる気”を奪い、
子供の中の“やりたくない”“するものか”等という反対の心を作ってしまう。

これはすべて生きものは楽しいものだけを求め、
楽しくないものから逃げようとする心を根本的に持っているものなのに、
相手の気持ちを考えないで、支配、命令、禁止、強制という形で触れるため
“楽しくない、不自由だ、うるさい”等、不快さが起こり、それが怒りの心までも作り、
やる気をすっかりそぎ落してしまうのである。

子育てとか、教育とかいうものは、親や先生が、ああしなさい、こうしなさいと、
ものごとを覚えさすことではなく、たった一つ、子供の中に“よしやって見よう”
といったやる気を大きく作り伸ばすようように援助することである。

そして、そのやる気は初めに書きましたように、
楽しさ、自由さ、面白さという三つの条件がないと絶対に大きく伸びられないので、
子供自身に、楽しいな、自分の思う通りに出来た、面白かった、
などという満足する気持があれば、子供は、もっとやりたい、
今度はこう工夫してみよう、もっと面白くならないか、と、
そのものごとに何度でもぶつかっていき、それを繰返すうちに子供は次第に知識を増やし、
技術を磨き、人と人との調和の仕方や、人間の世界にある、いろいろな約束ごと、
といった大切な知恵までも身につけてゆくものである。

世間でよく「うちの子は親が何か言わないと動かない。
本当にやる気が無いんだから」などと恨みごとを言っている親を見かけるが、
これはとんでもない見当違いである。

子供はもともとやる気の固まりであったのを、親の方が触れ方を間違えて、
子供のやる気をすっぽりそぎ取ってしまったのであるから、責められるのは子供の方ではない。
自由で、楽しく、面白いというやる気を大きく伸ばしていくためには
第二回の構造の矢印の方向に親の触れ方を進めていけばよいのである。

この図の原則は、すべての人間に当てはまると思う。

(注)スキンシップ
皮膚関係という意味の新造語で、母親の愛情が子どもに伝わるためには、
皮膚の接触関係を通じてでなければ成就(じょうじゅ)されないことを強調したことば。
即ち、母親の子に対する皮膚の接触を愛を言う。

○次に大事なことは親の笑顔が“やる気”の源泉であるということ。
子供に楽しさを与えるのはオモチャではないか、すばらしい音楽じゃないか、
色あざやかな絵本ではないか、おいしい食べ物ではないか、などと親は単純に
(この項つづく)
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No.38(昭和62年1月15日)

2019年01月23日 | 長井長正範士の遺文


○音大学長、奥田良三氏に学ぶべきこと
私は時々、日曜日の朝、NHK、七時半より、
鈴木健二アナウンサー訪問「お元気ですか」を見る時があるが、
昭和59年11月4日朝、奥田氏(当時81才)が話をされたことを大変感銘し、
その時、メモしておいた事を整理して書いておきたい。

奥田良三氏が音大卒業後、イタリーに留学された。
その時、専門的な発声等、基本から教えて貰えると思っていたが、
歌など少しも教えて貰えず、イタリア語を徹底的におぼえさせられた。
ようやくイタリア語をおぼえた時、今度はドイツ語を勉強させられた。
それから後になって、ぼちぼち発声の基本から入ったという。
そうして帰国して如何に日本語の正しい発声が大切かを悟られた。

或る日のこと、浄瑠璃を観劇され、その時の義太夫の語りの
見事な綺麗な日本語の発声に魅せられ、更に本格的に勉強された。
現在、氏の言う「私は歌う時、歌詞が半分、曲が半分、そしてその心を歌う。
即ち作詞家の作られた歌詞の心を歌うべく、発声を大事にし、
作曲家の曲の心を歌うべく発声を心がけている。
歌詞をおろそかにして、歌うことのみ力を入れるのは、到底作詞作曲の心を歌えない」と。

そして今も尚、驚くほど綺麗な発声で歌われている。
九十才、いや百才になっても歌いたいと言われている。
歌を歌い続けるから健康であると。
今、何が欲しいと問われた時、先生は時間が欲しいと言われた。
われわれ剣道を修行する者、このお話をそっくり剣道に置きかえて考える時、
大いに学ぶべきものがある。

○氣について
氣は形の無いものであって、天地間に起こる自然の現象であり、
気象であり、形なくして存在している。気は花で言うなら匂いである。

即ち万物の生成する根源精気である。一刀流に「心気一元」とある。(603頁)
太刀技のはたらきは、心、気、理、機、術の五格の上に立つ。
先ず人を司るのは心である。心と気は本来一元である。心は実であって静である。
気は用であって動である。心ははたらきの潜勢力であり、気は能動力である。

心を水にたとえると、気は波である。
真の気合は作為の暴力ではなく、自然に彷彿として湧出る昇天の大勢であると説明されている。
「闘戦経」に気とは全宇宙を包み、万物を生成する原動力である。
この気が動いて宇宙間にもろもろの形相を現滅すると解されている。
このように気とは精気万物のもとであり、無形乍ら自ずと相感応するものである。
故に我々人間の日常生活に使う言葉の中に気のつくものが沢山ある。
大自然から生まれた人類の必然性なものである。

その一例をあげると。天気、陰気、陽気、電気、気合、気持、気配、気短、気長、
人気、空気、大気、気圧、気流、気温、気力、気勢、気丈、勇気、気転、気魄、意気、
本気、気分、病気、狂気、気質、気味、気がきく、気がある、気をつける、気をもます、
気がめいる。気にふれる、気にする、気が小さい、気が大きい、気をつかう等々、
挙げればきりがないが、この際、改めて気の大切さを知るべきであろう。

○少年のやる氣について
体を動かす原動力は「やる気」である。即ち生きる力である。
動物は動くもの、即ち動き廻らないと生きていく事が出来ない生命体で、
これ等はすべて「やる気」が起こらないと動かない。

指導者はこの「やる気」を大きく作り伸ばすよう、
1)楽しさ、2)自由さ、3)面白さ の三つの条件を揃えるよう念頭に入れること。
子供は楽しくないと「やる気」は伸びないのである。(川合月海先生のお説より)

以下続く
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No.37(昭和62年1月15日)

2019年01月02日 | 長井長正範士の遺文


新年おめでとうございます。
今年は私の干支、卯(兎)の年。
兎どしは、飛躍のとしとか、よく言われますが、私が兎どしであるだけに、
余計自重しなければならない年と思っております。

それは何故かと申しますと過去からの経験から
運よく調子の良い時は丁度兎が山をかけ足で登るのが得意で上手なように
何事もとんとん拍子にうなく事を運ぶのですが、一つ調子が狂って、
うまくゆかないようになった時、丁度兎が山から下る時、前足が後ろ足より大変短いので、
下りは不得手なように、精神的に落ち目になった時の何糞(なにくそ)という頑張りがなく、
すぐ悲観して、花の萎れたように消極的になるのが何よりの兎どしの生れの欠点と自覚しております。
ので最悪の時、己れに勝の心構えを忘れずにこの一年精進してゆきたいと思っております。
以上年頭のご挨拶を致しまして本年も亦折りにふれて書いて参ります。

○№5に剣道は国民の道である。という項に三種の神器のことを書いたが、もう少し補足しておきたい。
三種の神器は武術としては鏡は心。玉は気。剣は力とも考察され、古来から良将の資格として
智に勇(鏡玉、剣)に相当すると古書に書かれてある。

これを更に言うなれば、勇は武により、智は文によるので、
この文武両道の中には人間五常の道、即ち仁、義、礼、智、信が備わらなければならない。
この道の備わったものを武徳と言うと書かれてある。
徳とは修養によって身に備わった品性であり、善や正義を貫く人格的能力を言うのである。

○体当たりについて。
体当たりの目的は精神的には、あらゆるものにぶつかって行く負けじ魂を養ってゆく、
肉体的には足、腰を錬るために行うものである。
体当たりにゆく者も、受ける者も共に、この体当たりで心気力一致を養わなければならない。

体当たりの要領は全剣連発行の幼少年剣道指導要領「改訂版」
(昭60,11,11初版)の第十節体当りの項で説明されているが、
もう少し具体的に幼少年に対する体当り方法を説明しておきたい。

先ず第一に大人と少年の体当り方法並びに受け方は違うという事である。
その少年の体当りについて、私の道場では次のようにやらせている。

先ず正面を打つ時、一歩前へ攻めて打つ、
次に両腕を両脇にかかえお互いに竹刀の柄を×のように柄の中心につけ
足腰に力を入れて押すのであるが、
その時、少年の腰と腹の力が元太刀の柄に伝わる度合いを感じとり、
少し受け入れてやり、その力が入ったまま、体勢をくずすことなく後へ下がり、
腰に力が入ったまま再び攻めて正面打ちをし、体当りを行い、これを繰り返すのである。
このように体当りを受け、押し返してやることによって、少年をして何ものにも恐れず、
ぶつかってゆく勇気を肉体的には腹腰から尻べた太ももに及ぼして筋肉が発達するのである。

この体当りによって、稽古の時、腰に力が入り、大きく構えられる。
それを知らず、少年以上の馬鹿力で押し返し、少年をひっくり返して
「さあ。しっかりこい」とよろこんでいる者があるが、
これは体当りの目的を知らない者で指導者としては失格である。

正面を打つなり、そのまま体ごとぶつかる大人のやり方をやらぬよう心掛けること。
大正四年に発行された高野佐三郎先生の「剣道」の135ページに体当りがあるが、
昔は命がけで、これでよかったが、今、少年にこれをやるべきではない。

この項終り
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No.36(昭和61年11月14日)続き(まとめ)

2018年12月19日 | 長井長正範士の遺文


このように師弟一如の精神でなければならない。

昔からよく言われている。「玉は石で磨け」と言う言葉がある。
これは玉(指導者)は石(弟子)を指導する心掛けを言ったものである。
事実、砥石で宝石など磨いて一段と美しい輝きを放なすように、
師範も弟子を己の鑑として正しく真心を以って指導する時にこそ
始めて己れ自身も磨く事が出来るのである。
ここに師弟共々人間形成の道があるのである。

又、少年指導には「能面の作」と言うことを心掛けておくこと。
即ち能面を作る時、始めは荒けずりから始め、段々と細かく彫刻していく。
それを始めから細かく指導してゆくと少年は細かいことの諸作にとらわれ、
迷ってしまい、遂にいやになり折角剣道をやろうと思っている初心に傷つき止めてしまう。

又、止めなくても大成はしない。故に剣道は面白いものだ楽しいものだ、
大人になるまでずーっとやってやろうと言う気持を起こさせるよう導いてゆかなくてはならない。
之が為に少年を上手に指導する人を見ると、必ず先ずほめる。
そしてほめられた少年が心やわらいだ時、あとで一つか二つの欠点を矯正するのである。
然しこの場合、三つ以上の矯正はいけない。

あれもこれもと矯正されると迷い、いやになるからである。
こんな指導はやらない事。下手な指導者はほめるどころか真っ先に怒鳴っている。
そして余り怒ったので、あとでなぐさめに一寸ほめる人がある。
この指導者は落第である。

○少年剣道については特に足の踏み方を重視すること。
足の踏み方が手の動きの基本であることを忘れてはならない。
即ち手と足とが、いつも一致していること。剣道は一足一刀だから手で打つより、
足の動き方、足の踏み方をしっかり教えること。

○今の剣道はやりっ放し、打ちっ放しである。
即ち残心のない槍(やり)っ放しと言って、これはいけない。
槍でもただ突くだけでなく、突き、くり込むのである。
このように打突の後の残心が大切である。

○心身の鍛錬については№6に述べたが尚補足しておきたい。
相手を打った時には、手の内をしめ、血液が瞬間に止まる。そしてサッと流れる。
これが身体のたんれんにつながるのである。
ぐっと手を握りしめて、パッと開くと手の内が白くなる。
これは血が止まっている。ここが大切である。
今度は手を開いてぐっと力を入れると赤く充血する。
これが手の内のよく出来た人と言える。
(手の内の打った時の項は№23にあり重複するが大切也)

○柔よく剛を制す。と言うことについて。
今はもう昔話になるが曽て(かって)二十代の横綱大鵬が
麒麟児を手の力を抜いて軽くあしらっているのをテレビで観たが、
あの柔らかい手の内で強引にくる相手を軽くあしらっている。

剣道もああなければならないと二十代の大鵬に教えられた。
そして又一刀流の「上段之霞」(高霞)で、
打方が剛でくるところを仕方は柔の心を切先に含めこれを引張る心で後へ受け入れ、
打方の技の尽きて弱まった所を遂に剛に出て勝つ。
これが竹刀剣道で大切であることを自覚した。
(この上段之霞)は「一刀流極意」書の141頁~143頁にわたり詳細に解説されてます。)
◎相手が力を入れて来た時の扱い方が大切である。
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No.35(昭和61年11月14日)花嫁のかんざし(続き)

2018年12月08日 | 長井長正範士の遺文


まくって見せてくれなきゃ、わたしの眼が直らないんだよ。

とこれ又拝むように頼むので、嫁はこうすることでお母さんの眼が直るんなら仕方ない、
新婚早々夫にもまだ見せていないお尻を、死ぬ思いでまくってお見せしましょうと、
わなわなふるえる手足をぐっとこらえ、くるりと腰巻をまくり上げ、
あわれ真白な丸いお尻を姑にむけて四つんばいになりました。

姑はよろこぶまいことか、早速花嫁のかんざしの先についてある耳かきで、
粉薬を一杯すくって、なんとあられもない嫁のお尻の穴へ、
その粉薬を突っ込もうと懸命です。

然し眼が悪いため、必死になって眼をむいて、お尻の穴を探し乍ら、
ようやく眼の前に見つけ、その穴に粉薬を突っこもうとしました。

嫁は恥ずかしいやら悲しいやら、こそばいやらで、
こみあげる嗚咽をぐっとこらえようとした途端、
お尻や足の温度も冷えたのも加わってか、思わずプッとおならをはずしました。

するとその空気の圧力で、すんでの所で粉薬を肛門に入れようと
眼を一杯に見開いた姑の眼へ、パッと勢いよくその粉薬が入りました。

それで姑の眼も直ったと言う話です。

なんとおかしな話ですが、実はこのお婆ちゃん、
耳が遠く、眼医者さんが、花嫁のかんざしの耳かき一杯の分量の粉薬を
自分の目尻へさせよと言ったのを聞き違えて、
花嫁の尻へさすものと思い込んでやった笑い話で、
花嫁のあられもない犠牲で、おなら一発で眼が直ったという言うことですが、
神や佛ががこの花嫁の真心のこもった孝養にめでて、お助けしたと言う話です。

然しこれは全くの作り話で、
真心こもった誠をつくした親孝行が如何に大事なことかを教えるのに
一度聞いたら一生忘れることの出来ない愉快な作り話をして
昔は孝養の道を教えられたのである。

これに反し現代に思いを致しますと、
子供に親孝行せよと言うだけで、何んの事例もなく、
なぜ孝行をしなければならないのか、理解しようがしまいが、言い放しで、
やれ勉強せよ、やれ早よ塾へ行かんか等々、
一方的な物の言い様は大いに反省しなければならない。

成程現代の世相は昔と違い、誠に目まぐるしく、
複雑多難ですが、歴史は必ず繰り返しています。
ですから余計古きをたずね、新しきを知らねばなりません。

私は時折り各地方を巡回し、こんな話のようにいろいろな例え話をし乍ら
少年や父兄に剣道は誠と真心の表現でなければならないこと。
又、親を見れば子が判る。子を見れば親が判ると言っております。

道場の躾と家庭の躾と相俟ち(あいまち)真心をもって
少年を善導育成してゆかねばならない責任が私共にあると言っていおります。
「至誠は神の如し」誠こそこの世の中での最大の力であります。

○剣道には教えが無い。指導である。
師たる者は自ら率先垂範(そっせんすいはん)して、
このようにやれよと弟子を導いてゆくのである。

昔、道場の先生を指南役とか指南番と言った。これは中国から入った言葉で、
北京の大通りの四ツ辻の真中に南を指さすものを置いてあった。

この地方からこの町へ来た人々は南を指さす標示を見て、自分の行く方向を知った。
この黙って南を指さすところから、黙ってこの方向へ行けよと
導く剣道の師範を指南役と言ったように、口でべらべら喋って教えるのではない。
あくまで弟子に自分のように上達せよと身をもって導くのである。
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No.34(昭和61年11月14日)花嫁のかんざし

2018年11月28日 | 長井長正範士の遺文


もう一つ、話のついでに、面白い話を書いておく。
「花嫁のかんざし」とでも題しておく。

昔ある村に評判高い親孝行の花嫁がおりました。
最愛の夫は勿論のことですが、姑を大事にすること、それはそれは至れり尽せりの仕えようで、
姑も大変よろこんで、近所へ出かけては、わが家の嫁を自慢するのが楽しみの毎日でありました。

所が何事もうまくはゆかないのが世の中の習いで、年老いた姑が、不運にも眼病になり、
眼がかすみ、物がボーッとしか見えず、立ち居ふるまいが不自由になりました。
幸いにも近くに眼医者が居るのですが、
当時は治療代や薬代が大変高いので貧乏な家では医者にも行けず、
困った挙句借金して診て貰うような有様で、姑の家も夫の収入は少なく、
急にと言って、大金を都合つけるわけにもいかず、夫がどうしたらよいかと、
いろいろ悩んでいる姿を見て嫁は思い余って夫に『お前さんに相談あるんですが、
実は、わたし、ここえ嫁入りする時、さとの母から貰いましたお金があるんです。

母が言うにのには「若し旦那さんに若しもの事があった時に使いなさい。
お前が旦那さんの為にお役に立つ時まで、黙ってしまって置きなさい」と言われ、
今日までお前さんに黙ってかくし持っていたのですが、
どうでしょうお母さんを見ていると如何にも可愛そうに思いますので、
お前さんさえ承知して貰えばこのお金をお母さんの眼薬代に使おうと思うんですが』
と言いましたところ、夫は「すまん、自分が甲斐性ないばっかりに、
折角お前が持参したお金を使わせてもらうなんて申訳ない。
すまんが母のため、自分の方から頼まにゃならん立場、よろしく頼む」と頭を下げられ、
嫁は『まあ頭を上げて下さい勿体ない、お前さんの大事なお母さんは、
わたしにとっても大事なお母さんですもの、このお金をお母さんの為に使わして貰います』と、
よろこび勇んで、明くる日、おばあさんを連れて眼医者さん所へ行きました。

医者はお婆さんのみすぼらしい風体を見て『お婆ちゃん、お金持って来たか』
と尋ねましたがお婆ちゃんは耳が遠いので何だか判らんがふんふん言うて、
後ろの嫁の方を向いて指ざしたので、
医者は成程、嫁がお金を持って来たのかと判断して早速お婆ちゃんの眼を薬で洗い、
あとで医者が言うのには

「お婆ちゃん、あんた耳遠いようだが、しっかり聞きや、
この粉薬(昔は水薬はなく、粉薬であった)はえらい高いんや(高価)で、
大事に持って帰ってや、そしてなー、あんたとこの花嫁さんのかんざしがあるやろー」

『ふんふん』「そのかんざしのの先に耳そうじする耳かきがついてるやろー」
『ふん判ってる』「その耳かきでこの粉薬を一杯すくって、眼尻にさすんや、
そうしたら直るよ判ったなー、高い薬やから、こぼさんと持って帰りや」と言うて聞かしました。

お婆さんはよろこんで治療室から出て、外で待っていた嫁にお金を払わし、
わが家へ帰るなり、嫁にかんざしを出させ、何を思ったか、姑は嫁に向かって、
尻をまくって向うむいて四つんばいになれと言ったので、
嫁はびっくりして、どうしてわたしが、お尻をまくって四つんばいにならにゃいかんのですか、
わたしは死にたいくらい恥ずかしいですわ、腰巻をまくって、
お尻を丸出しにしてお母さんにお見せするなんて、
今迄は何一つとしてお母さんに、さからった事はありませんでしたが、
こればっかりはおゆるし下さい。

とひたむきに涙を流して頼みましたけれども姑は聞き入れません。
若しお前が尻を

(続く)
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No.33(昭和61年11月7日)少年に対する話術について

2018年11月27日 | 長井長正範士の遺文


○少年に対する話術について
少年に対する話は、要点だけ言うと、味気も無く興味も沸かず、
積極的に理解しようとしないものである。

之が為、私はあの浪曲や音頭のように最初枕言葉から入ってゆくよう絶えず心がけている。
例えば浪曲で廣澤虎造が、森の石松、讃岐の琴平代参の下りでは先ず
「ここは名におう東海道、三国一の冨士の山~~~」から、
やがて本論の森の石松に入ってゆき、本論の中にもユーモアを混じえ、
最後に「丁度時間となりました、このあとの成りゆきは、又の機会のお楽しみ、
先ずはこれにて・・・」と本論の余韻を残し、落しに入って終る。

又、河内音頭の河内十人斬りの物語にしても、
最初から本論に入らず「えー さては一座の皆さんえー ちょいと出ました私も、
お見かけ通りの悪声で(囃子)七百年の昔から歌い続けた河内音頭にのせまして、
精魂こめて歌いましょう・・・」と始まり、大和河内の国境、金剛山、
赤坂千早の城の跡と物語り、時は明治26年5月26日の夜、水分村に住まいする、
松永伝次郎始めとして十人殺しの大事件と、
リズムに乗せ乍ら本論に入ってゆき最後に十人斬りの頂点まで、
聞く者、踊る者を引きつけ魅力し、惜しいところで落しにかかる。

「次なる先生におゆずり致す、それでは皆さん左様なら。と落す。
これが話術であり、芸術の妙味と言えよう。
このように私は基本的な話術をいつも念頭に置いている。

例えば誠の話であるが、指導者に対しては№12に詳細に書いておいたが、
それを幾ら少年に判りやすく解釈して話しても、大変むつかしく、
何のことか判らずじまいで退屈してしまうから何の役にも立たないのである。
次に誠を表現するのに一つの昔話としておきたい。
これは有名な伝説で、今も語り伝えられている。

越後の花嫁。肉づきの鬼の面の物語。昔々、越後(新潟県)に大変信仰の深い花嫁がおった。
毎夜毎夜お寺参りするので姑は夜なべを嫁にさすことも出来ず、
内心腹だたしく思っていたが遂に辛棒出来ず、或る夜、鬼の面を持ち出し、
嫁がいつもお寺参りに行く通り道の竹やぶの中にかくれて、嫁がここを通る時、
鬼の面をかぶって飛び出しておどろかしてやろうと待ち構えていたところ、
案の定、前を通りかかったので、さっと飛び出しておどろかした。

嫁は驚くどころか鬼の面に向って言った。
「呑(の)めば呑(の)め食(は)めば食(は)め、誠の信に食ぶ(刃部)は立つまい」
と言って従容(しょうよう)として過ぎ去り、お寺参りに行った。

あとで姑は嫁をおどろかしたが、
こたえず無念に思い乍ら鬼の面を取ろうとしたが顔の肉がひっついてとれない。
結局(註:原文は結曲)無理してはがしたが、その面の内側に肉がひっついていたのである。

以上があらましの話であるが、これを少年に話をするのに、このまま話をしても味がなく、
かえって少年にはむづかしいので、これを話術を以って剣道で大事なことは誠であること。
この誠を表現するのが剣道であると言う事を、この話で理解さす為、
如何にうまく少年を引きつけ感動させてゆくか、一つに指導者の話術如何による。

このように例え話を交えて善導すること肝要也。
(この物語りは私が小さい時に聞いた話で、一部違う所はあるかも知れませんが、
物語の本旨は変らず誠の大切さを知って貰いたいと思っています。)

続く
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No.32(昭和61年10月30日)循環無端ということ

2018年11月20日 | 長井長正範士の遺文

(長正館に掲げていた笹森順造宗家の「循環無端」直筆)

○循環無端ということ。
「一刀流極意」の本の613頁にありますが、これを大略解説すると、
太刀わざが生まれる所にどよまず、消滅して消滅するところにおらず、始めなく終りなく、
終始見えない、めぐりめぐって端てしない不生不滅の常勝の所であると教えられている。

剣道即実生活なら我々の日常生活においても、
このように、あくなき人間としての修養を積んでゆかねばなりません。

例えばあの二十日ねずみのように、竹篭の輪の中で一所けんめいに走りつづけているようなもので、
いつまで経ってもこれで終焉という事はないように、我々の修養もこれでよいという事はないのであります。
若し修養途中で、これで満足だと留まったならば、他のすべてのものが、
前進成長してゆくのでありますから、自分はその時点でストップするどころか、退化であります。

我々が正しいと信じ、真っすぐに、あくなき前進する時、いつしか又、原点に帰って来ます。
なぜなら地球は丸く、直線は極言すれば円であると解釈したいのであります。
そしてこの直線は点と点を結ぶ最短距離を言い、然も点は位置存在を示すが、
大きさは無いと言うことは、ご承知の通りであり、
この直線の両端の点をわが心と相手の心に置きかえて見ます時、
実は直線を通じ、離れているかのように見えますが、心は一つの点であります。

この考えから私は点(心)=直線=円と自覚し、
我々の進むところ永遠に初心に帰る修養の繰り返しと悟り一日一日を大事にし、
修養を続けるべく努めております。

従って剣道という限り、この心構えで
竹刀に己れの最高の道徳を表現し合うものでなければなりません。
ここに大切な剣道即実生活という所以(ゆえん)があるのであります。

ここで一寸、西行法師(平安末期から鎌倉初期にかけての“旅の歌人”と言われた方。
本名佐藤義清。七十三才亡)のお話をしておきます。

或る日、西行さんが京の河原で、修業途中の雲水達にお話をしておられた時、
前夜の食あたりか冷え込みか、なぜか腹具合が悪く、講和最中、しきりに下痢痛を催され、
辛棒しきれず、たまらなくなって、ふと周辺を見られると、堤防の傍に、
萩の大木がありましたので、法師はつつーと走って行かれました。

おつきの門弟が心配してあとをを追って走って行きますと、
法師は矢も楯もたまらず、萩の木陰に入るや否や、その根元で片足をあげ、
衣の裾をめくるなり、ピッピーと放たれたのであります。
しゃがむ余裕もなかったのでしょう、その水溶液は勢いよく萩の根株に当り、
飛び散ったので、その跳ね返りが、法師の尻の頬っぺたにかかったのであります。

法師はおくげもなく、すぐさま取り囲む門人に
『西行も今まで修業したけれど、萩のはねくそ今が見始め』と詠まれたので、
門人も笑うに笑えず、師が恥ずかしいとも思われず、すぐに実感を詠まれたその奥底にある
『自分は人間として修業を全うしたからこれで良いと思っていても、
次から次へと試練がやってくるから修業の道は無限である。
今のわたしの無様のようにお前達の尊敬している私とてまだまだ未熟者じゃ』
と教えられたものと悟り、さすがにわが師と益々尊敬の念を新たにしたというお話。

これでお判りのように、我々はどの道を歩むにしても、地球内のちっぽけな考えではなく、
大宇宙の真理を具現するために人間としての存在の意義があるものと思います。
即ち我々は小我であってはいけない。大我でなければならないと思います。
それでこそ万物の霊長である人間と申せましょう。

終り


(上の撮影画像を加工しました)
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No.31(昭和61年10月30日)瓢箪のこと

2018年11月14日 | 長井長正範士の遺文


○瓢箪のこと
私は数年前、自分の畑で瓢箪を作り、その中から形と言い、大きさと言い、
お酒を入れる徳利用として相応しいものを選んで、今日までわが友として愛用している。
こう言えば私は如何にもお酒好きの飲兵衛のように思われるが、
私は元来酒弱く余り飲めない方であるのに、何故瓢箪を愛し大事にしているかを申し上げたい。

それは私が六十二才の時(昭和五十二年)剣道範士の称号を頂いたおり、
吉田誠宏先生が色紙に朱で瓢箪の絵を画き、その胴体の中に墨で
「中に風露の香りあり」と書かれ、祝いとして私に下さった時からである。

即ち長年の間、瓢箪のお酒を愛飲し、これを大事に手入れをし、磨き乍ら今日に至っているが、
瓢箪自身もお酒を吸うて出来て来た何とも言えない良い色つやと
内から発する風雅な此上ない良い香りが外にただよっている。

このように人間も長年の修業により何とも例えようのない品性風格が
備わるような人間にならなければならないと教えられた。
それ以来、私は自分の作った瓢箪を愛すると共に自分の修養の糧としている。
そして瓢箪を磨き、剣道のわざを磨き、
いつの日か相共に光澤を放つように生涯かけて修業して行きたいと思っている。


○無欲の欲について
(前述№20に巽義郎君の社是について詳述したが尚彼の言葉を記しておく)
その前にもう一度彼の会社の社是を記しておく。

『売る商品に心を乗せて、物みなに感謝し、商売を楽しむ無欲の欲』

過日、某メーカーの臨時代理店総会が催された時節柄、
拡販依頼の会合だろうと推察すれば、出席して頂く出足もにぶるでしょうが、
是非にとのことであった。会議には本社から新任の専務が出席し、
形どうり「日頃はお世話になっている」とのお礼の言葉と
新任重役のお目見得の挨拶にとどまり、一席をもうけているので、
よろしく歓談して欲しいと会議はあっけなく終った。

拡販のための代理店を督励する会議だとばかり予想していたが
「拡販」という一言もなく、予想は全く外れ、みごとに肩すかしをくった感じ。

それでは宴会で何かいうのだろうと憶測する。
宴席は乾杯で始まり、なごやかに盃がくみかわされる。
一向に商売の話も要望もない。しびれを切らした某代理店から発言がある。
「只今まではメーカーから何の注文もありません。
無条件でご馳走にあずかってよろしいのでしょうか」

メーカーは「その通りです。日頃のお礼ですので遠慮なく時間の許す限り飲んで下さい」と言う。
では遠慮なくと笑いがおこる。座が和やかになる。
その時さらにもう一社が「ちょっと待って下さい。条件なしと言われるが、
これは大変な責任のあることですよ。お互い腹を決めてご馳走を頂かなければいけませんぞ」
この声に出席した代理店の各社は、一ように無条件の条件というか
無条件の重みをズッシリと両肩に感売上増をめざし「がんばらなくっちゃ」
と意欲に満ちた姿勢が、和やかな雰囲気の中に感じられたのである。

何の作為も無く、然も最大の効果を得たものは人の心を打つ。
以上が竹馬の友、巽義郎君の言葉であった。
私は前に述べた通り巽君の会社経営の方針、統率の非凡な力量と
社員を引きつける温かい人間味にいつも引きつけられ、
彼の生きざまが即ち剣道であるという数々の教えを感謝し、
自分の修養の糧としている。有難き哉。

以上
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No.30(昭和61年10月4日)剣と禅について(続き)

2018年11月06日 | 長井長正範士の遺文


剣禅一如の境地や如何(いかが)、吉田誠宏先生曰く「無我なり」と。
相手の技に自然に応じていける境地なりと。

この境地に入れた時、始めて剣も禅も一如であると言えるのである。
何事もそうであるが、水のように形に表れてはいけない。
これはあたかも字を書くのと一緒で筆が止まったら点が出来る。
これは自然ではない。禅の考察ははっきり答えが出るものである。

昔、ある貧乏村の和尚が駕篭に乗って隣村の檀家に葬式に出かけた。
駕篭に乗って出かけたのは良いが古ぼけたボロ駕篭だったので途中で底が抜けてしまった。
そこで担いでいた人たちは応急策として古縄を拾ってきて、
和尚を中に入れたまま駕篭をがんじがらめに縛って担ぎ、
よいしょよいしょと言って村の入口に着いた。

するとそこへ、ちょうどお参りをして
お説教を聞いて来たばかりの爺さん婆さん達が通りがかった。
「おや可愛そうに、今度お説教で聞いたばかり、無常の風は時を嫌わず、
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」とお念仏を唱えだした。

これはてっきり土左衛門(水死体)と思ったわけだ。
たとえ死人と間違われても、事実、自分は生きているのだから、
和尚はただ黙って自己に親しんで拝まれていれば良いのに
「縁起でもない、俺は生きているぞ」と言わんばかりに
駕篭の中で「エッヘン」と大きな咳払いをした。

爺さん婆さん達は驚いた。
「おやおや死人かと思うたら科人(咎人・とがにん=罪を犯した人)じゃそうな」と言った。
するとその和尚、いよいよムカムカして「馬鹿、科人じゃないぞ」と怒鳴った。
すると皆が「おや科人かと思うたら、可愛そうに、これは気狂いじゃそうな」と言った。
という話である。

これはまあたわいもない話だが、しかし我々としては大いに教えられる所がある。
人生にはこのような事は随分あるからである。
人が何と言おうが何と思おうが、本当に自分を掴んで本当の自分だけは見失わない。
そして真の自己に親しんでいる。こういう人になるような修行してゆかなければならない。

------------------------------

○剣道に対する理念を考える事
自分が打突に入った瞬間が勝負である。
相手も打間に入っているから、入った瞬間の理念を考えねばならぬ。
即ち静から動へ変わる瞬間の理念は五常(仁義礼智信)を明らかにする。
そうでなければ迷ってしまうのである。
即ち気剣体の一致、心気力の一致の鍛錬の根源は五常の道にあるのである。
(№16の項、参考のこと)

○腹の落着と手の打方とは一致すると言う事
時は下腹、間合に入った時は中腹、甲手を打つ時は咽喉、面を打つ時は上腹に夫々変化する。
これが呼吸の稽古とつながるのである。

それを知らず終始下腹に力を入れて下腹からかけ声を出してやると
肉体が堅くなり気剣体一致の技が出ない。
力を入れる事を知っておっても力を抜くことを知らなければ呼吸の稽古は出来ないのである。
前へ攻める事を知っておっても、後へ引く事を知らなければ何にもならない。
なぜなら自然は二つから成り立っている。
即ち陰と陽、上下、左右、東西南北、プラスマイナス、
男女、深い浅い、濃い薄い、白黒、昼と夜、等々である。

剣道も自然から生れたものであるから、この二つの調子を狂わさない事である。
(この項は、№8、9、10を再度参照のこと)以上
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No.29(昭和61年10月4日)剣と禅とについて

2018年10月31日 | 長井長正範士の遺文


○禅について
禅は実地の修業が第一であること。即ち自分を悟る。この悟りが禅であると言える。

従ってどんな苦しみがあっても、その苦難を乗り越え、
本当の自分に目覚めなければ禅の意味がない。
然し悟ったからと言って、これで良いと止まっておっては何もならない。

禅宗の修行は更に更に奥深く、道は遠く広く尽きる所なく、
終生未来永劫に修行を積み重ねてゆかなくてはならない。
そこで公案をもって、これでもか、これでもかと実際の修業をさせるのである。

故にこの考案は禅宗の宗旨としては権威ある法則と言えよう。
即ちこの公案は禅宗の祖師が定めた法で、生死の大事を究決するにある。

禅宗の修行の根本は自分の私心の一心でなく、
大宇宙に充満している一心であり、これを佛心と言うのである。
この佛心をわがものにしたところに成佛があるのである。

これは決して遠くに求めるのじゃなく自分の持っている一心の姿を悟って、
それを充分に働かさねばならない。と説いてある。

悟りは一言で言うと、スカッとしたものである。

-------------------

この悟りについて昔から作り話がある。

山中で樵(きこり)が斧で木を切っておったところ、
近くに“さとり”という妖怪がおって、樵にいちいち、
そんな切りかたじゃ切れんじゃろとうるさく言うので樵は腹をたて、
何をぬかすかこの化け物めと斧を振り上げ、たたき切ってやろうとすると、
その化け物はその直前に、いち早く察知して、
今俺を切って殺そうとしているんだろうと言うので、
樵は相当頭に来て、よし今度こそは本当に叩き切ってやろうと思った瞬間、
またしても、今俺を叩き殺そうと思ったろうと言うので、
樵はこんな奴に相手になっておっては仕事がはかどらないから、
もうあきらめて、せっせと木を切り始めたが、
何の拍子か振りかぶった斧の先が外れ飛び、
偶然にも傍におった化け物の首にぐさっと刺さり化け物は即死したのである。

樵が無心に振りかざした斧の先が飛んだのであるから、
さすがの“さとり”も無心の技には勝てなかったという話である。
これは悟りと言うことをこの作り話でよく判るように物語っている。
味わうべきである。

-------------------

○剣禅一如について
先ずこの言葉は徳川時代から言われて来たと伝えられている。
将軍が柳生但馬守と沢庵に「極意を見せてくれ」と言われたので、
まず但馬守が小雨の降る庭の梅の木の枝を縁側からサッと飛び降りて、
抜く手も見せず斬りとり将軍に見せた。着物もあまり濡れておらず、
その早わざに将軍はさすがだと誉めた。

今度は沢庵、おもむろに起ち上がり縁側から降りて下駄をはき、
傍に立てかけてあった番傘をさし、ゆっくりと梅の木に近づき、
手頃な枝を一本折って、雨に少しも濡れず静かに上にあがって来たのである。

これを見て将軍は「貴僧の極意とはこのようなやり方がそうであろうか、
ちと判りかねるが」と言ったので、
沢庵は「早わざには危なげがある。自然にはあぶなげが無い」と返事したと言う。
将軍も真の極意はここにあると感じいった。

但馬守も同感し、それ以来、剣禅一致、剣禅一如の言葉が生まれたと言う。

(以下続く)
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