やるなあ。
日本一、いや、世界一の口笛。
作曲者自身が吹いている。
ちなみに大岡越前の妻は雪絵
という。幕府大番頭(おおばん
かしら)吉本作左ヱ門の娘だ。
現代でいうなら、警察庁長官
の娘といったところ。
役者は何代も代わったが、
初代の宇都宮雅代さんが個人
的には最高だった。酒井和歌
子さんもいいが、良妻という
より、まだ娘さんのようで、
やはり宇都宮さんが良かった。
雪絵についてネット百科では以下。
昔友人から貰ったナイフ。
バックのワンテンをモチーフに
した国産モデルだ。
フルコピーではなく、要所要所
を参考にしたオリジナル。
良いナイフだが、日常使いには
多少大きい。
ハンドルは象牙みたいだ。
これはホワイトマイカルタ。
ポイントは特殊形状にしてある。
ポイントは特殊形状にしてある。
魚さばき用。シメなどの時に役
に立つ。背に刃はつけていない。
午前3時、街はまだ眠っている。
私は目覚めた。
午前3時の東京ベイは、今頃、
どうだろう。
以前、渋谷ピンクドラゴンの
店長の誠一郎さんが私に言った。
「東京の人間って、東京が東京
がとか言わないんだよね。そこ
にいるから」
と。
けだし然りと思った。
多くの歌謡曲やポップスでは
「東京」が歌われる。
これ、多分だが、東京生まれ育
ちではない人たちが作ったので
はなかろうか。
東京生まれ育ちの人間は「東京」
を語らないし、「東京」とは
あまり言わない。都内を指す
場合は特定エリアで物を言う。
エンコ、ノガミ、ジュクなど
は裏筋社会の呼び方なので一
般人は使わないが、浅草、上野、
新宿と特定エリアで東京人は
呼称する。第一、東京という
限定地名の場所は無い。行政区
割としての東京都しかない。
「東京」と言われても「どこ
それ?」なのだ。埼玉に「さい
たま」があり、広島に「広島」
があるのとはかなり違う。
北海道に「北海道」という都市
は無いように東京にはそれが
無い。
多くの人は東京が首都だと思っ
ている。
だが、日本は首都を法で定めて
はいない。
それどころか、日本は世界的に
稀有な国で、「日本」という国
名は慣用呼びであり、日本は
世界的常識である「国号」を
定めてはいない。
日本という国名は何らの法的
根拠の無い「いわゆる日本」
という概念なのだが、それを
世界に通用させている。
それはそれでよいのではと思う。
それが日本独自の風習だからだ。
本来は「国歌」もそうあるべき
だった。
だが、日本の国歌は法的根拠
がかつて無かった。
しかし、人を自殺まで追い込
む事をやる県があったために
法制化されてしまった。
その県ではある特定の戦後層
は「君が代」の歌詞もフレーズ
も知らない。一切歌えない。
「教えない」という事を教員
たちが集団強制したからだ。
「こういうものがあるが、歌う
も歌わぬも君たちの自由だ」
ではない。
「特攻服を着ると犯罪者」と
する憲法違反の条例を成立さ
せるような行為を為す連中が
その強制を行なって「歌わせ
ない」事をした。
それが平和教育だ、として。
憲法違反だろう、それ、と思う。
それは国家主義的全体主義の
裏返しの行為でしかない。
国歌をインターナショナルや
ワルシャワ労働歌等にすれば
気がすむのか。
特殊な県の県民の特殊な感性
により板挟みになり心潰され
た教員たちは極度の心身症に
なったり自殺して行った。
私の親戚の小学校教員も心身
症で長期休職するに至った。
そうした事をする土地が日本
にはある。
かくして、「君が代」は「暗黙
の国歌」であったのに、保守派
の採決により「国論」として法
制化された。
「君が代」に反対して人に「君
が代」を強制的に歌わせななか
った者たちはそれを望んでいた
のか。
「君が代」は自由を奪われた。
誰もが望んで歌ったり、歌わ
なかったりした存在ではなく、
「歌わなければならない」と
いう存在にさせられた。
なぜ?
それは、国家がそうした情勢
に持って行かざるを得ない事
をする人々がいたから。
本末転倒だ。
だが、今でも歌わせなないと
いう強制を強いる学校がまだ
多くその県では存在する。
今度はそれは法律違反を犯す
事になる。
法律違反は犯罪だ。
教師たちが犯罪者となり、犯罪
を生徒児童に指導する。
法的にどうか以前に事の良し悪
しとして根本的に大きく間違っ
ている。
自由を阻害する強制強要の土着
風習。
それは、真の平和教育とは無縁
だ。
そして、心ある人は心を病み、
どんどん健康が阻害され、自死
を選ぼうとしたりする。
そのような特殊傾向が異常に
強い特殊な土地は、地域特性と
して精神土壌が汚れている。
だが、それを洗濯する洗剤は
存在しない。
なぜならば、実はその特定エリア
の特殊性は、保守や革新やそう
した政治的支持立場を超えて、
いずれの勢力の両方、換言すれ
ば「ほぼ全員の県民」がその感
性に蝕まれて集団洗脳のように
「集団強要大好き病」に感染
罹患しているからだ。
そして、繰り返すが、それは
平和とは程遠い。
人を死に追いやる全体主義が
形を変えて存在しているだけ
だからだ。
乗り屋は峠走行で独特な数え方
をする。
それは、上まで登って同じルート
を下るのを1セットで「1本」と
数えるのだ。
昨日、夕暮れ時、1本のみ12km
だけ走った。
ちなみに「峠」というのは、厳密
には登って頂上があり向こうに
下る道がある山越えの道の事
をいう。
なので、登って頂上に何かの
観光地等があって下るには来
たルートのみというのは峠と
は呼ばない。
典型例が阿蘇の火口の登山道
のような道。いくらくねくね
コーナーが続こうとも、頂点
から向こうに抜けて下るルート
が無い道を日本語では峠とは
呼ばない。
だが、かつての80-90年代の
ローリングキッズたちは峠の
特定区間を行ったり来たりし
た。
正確には一つの見物コーナー
のためにUターンを繰り返した。
その為、多くの峠ではUターン
禁止となった。
理由は事故が異様に多かった
からだ。
一方、乗り屋たちはほとんど
ワンコーナー狙いのローリング
はしない。上まで行って下る。
そして「峠小僧」たちはギャリー
がいないと走らないが、乗り屋
はギャリーの有無など関係なく
走った。
乗り屋たちは別名「走り屋」
とも呼ばれた。
そして、真の走り屋たちは、峠
ではまず事故らなかった。
これは二輪も四輪も。
多分だが、安全マージンをかなり
多く取っていたからだろう。
ちょいと走って家から13km
圏内にこうしたカフェ並びの
エリアがある。
東京横浜と違って田舎だから
ね。こういうのは珍しいんだ。
ここは、べらぼーにいいぜ。
ブラボー、ベラボー、てな
塩梅あるよ。
こういうのを望んでた。
尾道の夜明け。
観光ホテルの尾道さくらホテル、
宜しくね。
乗り弾仲間の友人は先週末から
ソロキャンに。
クマ出る所。
兵庫の朝来(あさご)から養父(やぶ)
を抜けて海辺の城崎(きのさき)
へ出る途中。
かつて私は仕事で何回か行った
事がある。
京都の福知山のすぐ北西だ。
このあたりの画像をもらい、
多少思う事がある。
丹後からここらあたりにかけて
より西と東では、地形や山の
様子も違って来る。
洛陽の京やそれ以前の奈良明日
香を日本の都とするならば、
山陽道(かげとものみち)、
山陰道(そとものみち)は完全に
西の国々になる。ヤマトから
したら夷狄(いてき)の蕃国だ。
だが、そうとはせずに、中国
地区はその名の通り「なかつ
国」とした。日本の中心です
よ、としたのだ。
それはなぜか。
それは、ヤマトが無視できない
イズモがあったからだ。
かくして、ヤマトは他の全国
各地を暴虐の武力で制圧した
(殆どが騙し討ち)のとは異なり、
イズモに対してだけは懐柔傀
儡化させる手法を採った。
(だがイズモにも騙し討ち等の
武力制圧は行使している。
オロチ退治なども騙し討ちだ。
在地産鉄勢力の数調べで騙し
を使ったウサギは在地勢力に
半殺しにされた。ヤマト間者
の白兎である。それがイズモ
傀儡化の橋渡しとなった)
ヤマトは表面上イズモを立て
て、毎年十月にはイズモに高
官を出向かせて懐柔した。
それゆえ、十月は全国で神無月
であるのに、出雲のみが神在月
となっている。
ヤマトがキビに対して採った
手法は、徹底的な在地のキビ
勢力を武力攻撃で制した。
吉備国とは西は現在の広島県
三原市から兵庫県西部までを
いう。
このキビ制圧はこれも騙し討ち
だ。桃太郎伝説は実話である。
その後、キビ勢力の叛乱を恐れ
たヤマトはキビ族を中央官吏に
採用するが、これは予定通りに
すぐに権利を剥奪して中央から
放逐している。任官など一時凌
ぎの手なずけのためにヤマトが
やった事だ。
日本はヤマトの国と人は言う。
なるほど、21世紀の現代社会
まで連なる日本人が殊更に好む
卑怯で汚い裏政治や騙しや裏切
りや謀略の性分すべてはヤマト
にルーツがある。
騙して暗殺等々のその手口、そ
れがヤマトの常套手段だった。
ヤマトというのは器である。
器というモノではなく、人が
それをやった。ヤマト王権の
中心人物たちが。
日本は決して「綺麗な国」では
ない。
その事をきちんと見据えて、
日本人であるならば、その己
の命脈に自ら刃を向けて自戒
するのが、本当の愛国者であり、
人が虐げられる事を否定する
人民を思う愛国民だ。
血裁思想無き愛国心などは、
ただの自己中心的虚栄心でし
かなく、それはニセモノだ。
なぜ、いまだに沖縄では沖縄
以外の「日本」の人をヤマト
ンチュと呼ぶのか、その深い
意味を全ての日本人は考えた
ほうがいい。
その考察と、血裁思想を経ず
して、真の日本の統一などは
無い。
でっけーミヤマ。
三原市のうちのマンションに
遊びに来るミヤマの倍はあり
そう。
三原にもクマは出るが、クマも
ここいらはでかかったりして。
一喜一憂など一切無い。
予定通りだからだ。
いつも勝つチームだからファン
なのではない。
東京生まれの横浜育ちだが、
物心ついた時から熱烈阪神
ファンだ。
地元土着性も一切無い。
首都圏生まれ育ちながら選択
の自由として幼稚園入園前
から阪神を選んでいる。
60年来の阪神ファンだ。
プロに求めるのは名勝負だ。
数字の勝ち負けも大切なのだ
ろうが、名勝負をこそ観たい。
それをプロスポーツには望ん
でいる。
川上監督時代の巨人はプロ中
のプロだったと思う。絶対牙城
だった。
それを突き崩そうと挑んでい
た阪神タイガースは綺羅星の
ように燦然と輝いていた。
毎回引き締まった名勝負が展開
された。
そういうのを望んでいるのだ。