渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

猫の恩返し「風になる 」

2024年06月21日 | open

South Pitch Feat.
Miyako Hasegawa -
風になる (Kaze-ni Naru) Cafe Ghibli


つじあやのさんのカバーで
ハセガワミヤコさんのうた。
このバージョン、なかなか
いい。
アニメ作品は岡田斗司夫先生
酷評の作品だが。
確かに、描き込みがかなり酷
い。
物語はファンタジーなのだが、
あまりにもリアリティがない。
学校の校舎が4階建てだった
り等々、ファンタジー物語で
あってもやってはいけない描
写が多すぎ。
そういう「律」というものは
必ず映像描写作品にはあるの
だ。不文律として。
たとえば、刀を右に差してい
たり、左に差した刀の下げ緒
を前垂らし右結束していたり
(武士の時代には歴史上不存
在。ファンタジーの度を超え
る創作事)、シングルアクシ
ョンリボルバーのシリンダー
が右にスイングアウトしたり
とか、そういうのはいくらフ
ァンタジーでも描写でやって
はいけない事柄なのだ。
校舎の窓ガラスの真ん前にサ
ッカーゴールというようなの
は。
つまり、いくら創作物であっ

ても物理的におかしな事をさ
もそれがあるかのような表現
描写は珍妙であり、表現の自
由の範疇にさえ入らない頓珍
漢でおかしな事なのである。
別な例えをすると、絞首刑の
死刑台の階段が3センチ位の
低い階段1段であるとか。
一方通行表示の道路を描いて

いるのに、ごく普通に対面通
行している風景を描くとか。
そういうような物理的におか
しな事。

そうしたあり得ない事は、た
とえファンタジーであっても
映像作品や
描画作品でやって
はならない。
バイクのタイヤが三角である

とか、そうした類。
エッシャー作品やだまし絵で
はないのだから。

作品の楽曲はとても良い。
こちら原曲。
つじあやのさんのうた。
猫の恩返し:風になる - つじあやの 
The Cat Returns: Become the Wind
(Kaze ni Naru) - Ayano Tsuji

 


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