渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

映画『ワイアット・アープ リベンジ:荒野の追跡』(2012)

2023年05月16日 | open
 

(この広告はヤラセだ。
ワイアットを演じたヴァル・
キルマーは壮年期の役であり、
よこのバット・マスターソン
たちは若い1870年代の役の
俳優なので、横並びはあり得
ない。宣伝ポスター用のヤラ
セである)

静かに良い作品。
1907年。サンフランシスコ
のホテルに滞在する59歳の
ワイアットアープをある新聞
記者が取材で尋ねるところか
ら始まる。
これは実話をベースにした物
語だ。


壮年になったワイアットはヴァル・
キルマーが演じる。
彼が昔を思い出しながら詳しく
語る形で映画は進行して行く。


1878年30歳時のワイアットは
ショーン・ロバーツが演じる。


1878年、カンザス州フォード群の
ダッジシティで保安官チャーリー・
バセットの助手になる。
これに先立つ1876年にはカンザス
州セジウィック群ウイチタの保安
官事務所に勤務していたが仲間と
折り合いが悪く退職していた。

ダッジシティである日ワイアット
が愛した女性が殺害された。
殺害したのは無法者のカウボーイ
スパイク・ケネディと弟だった。
町長を狙おうとしての誤認殺害
だった。
ワイアットは親友の保安官助手
のバット・マスターソン(マッ
ト・ダラス)と保安官のチャー
リー・バセット(スコット・
ホワイト)と共に犯人を追う。
だが、連邦保安官からは町の
保安官は町の外には権限が及
ばないとして止められる。
やむなくワイアットたちはバッジ
を返上し、私人として追跡逮捕
することにした。
そして、一行にインディアンに
育てられた追跡のプロである
ビル・ティルマン(レヴィ・
フィーラー)が加わり、4人での
追跡となった。
判事からつきつけられた時限は
3日間。
彼ら4人は野宿を続けながら着々
と犯人たちとの距離を詰めて行っ
た。


無法者の人殺しのスパイク・
ケネディ(ダニエル・ブッコ)
は裕福な牧場主の長男ながら、
弟のサム・ケネディ(スティー
ヴン・グリヘム)と手下のなら
ず者の牧童たちと犯罪を繰り
返していた。
スパイクは気分次第で人殺し
をして楽しむ男だった。
逃亡途中でも多くの罪なき人間
を容赦なくいつもいきなり不意
打ちで殺している。

スパイクは逃亡途中で親切で
敬虔なクリスチャン家族の主人
男も不意打ちで殺した。
泊めてもらい食事を食べさせて
もらい、世話になったのに。
人間のクズだ。
だが、今の世の中でもそのよう
なクズはいる。現にいる。
人の親切や恩義をあだで返す。
全く同じような事をするとこ
とん人間のクズ人間は世の中に
いる。
人に非ずなのだが。

スパイクは銃は家庭の教育と
して禁じている家族の子ども
を騙しつけて銃の使い方を教
える。
だが、その時にやめてくれと
言った父親を騙して後ろから
殺害する。とことんクズだ。
だが、こういう人間はいる。
アメリカにも日本にも。
本当にいる。性根が腐っている
のが。


アープたちは、ようやく犯人一味
に追いつき、田舎町の酒場にいた
弟のサム・ケネディを逮捕する。


そして、弟を囮にしてダッジシティ
に連れ帰りながら兄スパイクや一味
をおびき出す事にし、それは成功
した。

だが、激しい銃撃戦のさ中、ワイ
アットはほんの隙を突かれて物陰
に隠れ潜んでいたスパイクに銃を
突き付けられた。
そして、アープは銃を捨てさせ
られた。


だが、神の采配か、スパイク・
ケネディの銃は両方ともその
時にすでにエンプティだった
のだ。
スパイクはSAAを両方投げ捨
ててアープに飛び掛かる。


肉弾戦を挑むケネディ。
だが・・・。
この映画は、出演者の殆どが
空砲なのに反動を演技してい
る程にとても細部が良作なの
だが、ここで重大なやっては
いけないミスを監督は犯して
いる。

両手の銃を投げ捨てたケネディ
の腰には銃があるのだ。

蹴り返して応戦するアープ。
だが、ケネディの左腰にも
銃がある。両手で抜いて構
えて弾切れのために投げ捨
てた銃が左右両方ともホル
スターにある。
これはやっていはいけない
大きなミスだ。


かくして、犯人スパイク・
ケネディを逮捕したアープ
たちはダッジシティに戻った。
そして、ネッド・バントライン
がフィラデルフィアから駆け
つけて、彼ら四人に名前の刻
印されたバントライン・スペ
シャルを贈呈するのだった。


ここでも監督はミスを犯して
いる。
バントライン・スペシャルに
ついては実在の有無が不明だ
が、バントライン氏がやって
来て彼ら四人に言う台詞は
字幕では「コルト氏」に作っ
てもらったと書いてあるが、
台詞では「サム・コルト」と
と言っている。サミュエルだ。
世界初の回転式拳銃で成功し
たコルト社を作ったサミュエル・
コルトは1862年に死亡している。
また、子どもは娘しかいないの
で、サミュエル・コルト二世
ということもあり得ない。
1878年時点で小説家のネッド・
バントライン(1821-1886)が
サミュエル・コルト(1814-1862)
にスペシャル銃を発注するとい
う事は物理的に不可能なのだ。
バントライン・スペシャルの
存在の有無はほぼ捏造という
のは確定しているが、映像に
ドラマとして出すのはよい
だろう。
だが、15年以上前に死んでいる
人間にどうやって発注すると
いうのだろう。
こういうのは映像作品ではやっ
てはいけない。演出のエンター
テイメントにさえならないから
だ。
私が15代将軍から直々に刀を
下賜された、とか言ったとし
たら、あり得ない嘘というの
が誰にでも分かる。
このサミュエル・コルトに
作ってもらったというのは、
かなりいただけない監督の
ミスだ。

そして、バントライン・スペシ
ャルがアープたちに贈られたと
いう話は、真実の事実としては
1931年に小説家の
スチュアート.
N.レイクの
小説『ワイアット・
アープ:
辺境元帥』以前には
一切記録
には出て来ない。
バントライン・スペシャルの
話はレイクの創作捏造だとい
うのが現代の定説となっている。
宮本武蔵の小説を書いた吉川
英治本人が否定しているのに、
小説で描かれた岡山県が宮本
武蔵の出生地であるかのよう
に思い込んでいる人々が現代
でも多いのと似ているかも
知れない。
武蔵本人は「播磨の武士」と
出自を明確に書き残している。
ひどいのは岡山県の鉄道で、
「宮本武蔵駅」などという駅名
を鉄道駅につけてしまった。
我田引水とはこの事だ。
「忍者」という言葉も昭和の小
説家が創作した造語だが、世界
の多くの外国人たちは「NINJA」
という名称と存在が戦国時代や
江戸時代からあったと思い込ん
でいる。
それどこか、日本人でさえ「忍者」
という名称が存在したりそういう
職業種族がいたかのように思い
込んでいる人たちが多い。全部
昭和の創作であるのに。
ラッパ、スッパ、しのびと呼ば
れた隠密調査任務や局地的戦局
かく乱任務や泥棒任務や情報
探査・かく乱任務を主命により
受け持った最下級せん民たちや
下級武士たちはいるにはいた。
だが、「忍者」という名称自体
が一切存在していなかったのが
封建時代であるので、「忍者」
はいない。
バントライン・スペシャルも、
軍歴詐称や興行師としていろ
いろ画策をめぐらせたり法螺
吹きが得意だったネッド・バン
トラインとはいえ、コルト社に
製造記録が一切無いのはもう
これは決定打だ。
そして、バントラインが贈呈し
たという話をバントライン自身
はしていない。ワイアットや
バッファロー・ビル・コディ
と同時代の人間なので、捏造
法螺はすぐばれただろうし、
相手がワイアットなので、いく
ら海千山千の山師のような興行
師モノカキのバントラインで
あっても、そのようなヘマは
しなかっただろう。否、むしろ
しない。
1931年まではバントライン・
スペシャルという名称はどこ
にも出て来ない。

左から小説家で興行師のバント
ライン(本名エドワード・ゼーン・
キャロル・ジャドソン・シニア)、
ワイルドウエストショーのバファ
ロー・ビル・コディ、イタリアの
バレリーナのジュゼッピーナ・
モルラッキ、元軍人にして俳優
のテキサス・ジャック・オモハン
ドロ。1872年撮影。

バントライン・スペシャル。
12インチ銃身.45ロングコルト弾。

1896年以前の黒色火薬1st
アーリーモデルではない。
バントラインがアープたちに
贈ったと広められた当時の
SAAは現存していない。
それを「アープのみが長銃身
のままで、他の3名は銃身を
7.5インチに切断した」等まこ
としやかに言われたりするが、
一切証拠も記録も無い。
言ったもん勝ちのような出鱈
目がアープとバントライン・
スペシャルの捏造譚として存在
している。
日本人でも、本当にバントラ
イン・スペシャルが存在して
いて、ワイアット・アープが
使ったとか思い込んでいる人
は多い。
それは新選組の土方歳三の
愛刀は会津兼定の当時の現代
刀であるのに、小説家の
司馬遼太郎が『燃えよ剣』で
古名刀の美濃の二代目兼定
(通称之定)だと捏造創作
したのを本気で信じている
ようなものだ。
宮本武蔵出生地と同じ類。
そして、1870年代、コルト社
はスペシャルカスタムガンは
100丁以上からの受付けだった
ので、たった4-5丁のみ特別
な銃が作られたというのは
あり得ない。
バントライン・スペシャルなど
はこの世に存在しなかった。
小説発表後に、好事家が特別
に個人カスタマイズした物が
現代では存在しているだけだ
ろう。

バントライン・スペシャルの
話は小説家のレイクが1931年
に創作した。
奇しくも、地球上に「忍者」と
いう呼称が創作された頃と
同時代の事である。

本作『ワイアット・アープ
リベンジ 荒野の追跡』では、
視聴者に製作者からのプレゼ
ントがある。
それは、1907年にワイアット
を取材した記者は、あの父親
を殺された時の9歳の少年だ
ったのだ。
アープが記者が幼くして父を
殺された事を悼むと、記者は
「いつ気づきました?」と言う。
アープは「ずっと昔からだ」と
答える。
ワイアットは、未亡人と幼かっ
た記者にずっと匿名で送金し続
けていたのだった。救えなくて
申し訳なかった、と。
そして、涙ぐむ記者にワイアット
は、目の前のバントライン・ス
ペシャルを指してぼそりと言う。
「やる。新たな思い出にして
くれ」と。
「この物語は実話をベースに
している」とのテロップは流
れるが、それ自体が洒落であり、
最後の展開は見事な製作者から
の観客へのプレゼントとなって
いる。
復讐や復讐心や執着はやめろ、
とアープは教える。
人の心に語りかける静かな良作。

実在のワイアット・アープは、

ワイルドウエストを知る生き
証人として、1900年代には
映画製作アドバイザーとして
も活躍した。
それ以前に、開拓時代に恋に
落ちた舞台歌手と結婚し、
保安官助手引退後は様々な
水商売経営をしながらも蓄財
し、アラスカに夫人と共に
旅行した。
帰国後には世界初期の映画製作
にも携わり、ジョン・ウェイン
に「君は俳優向きだ。俳優に
なるべきだ」とアドバイスした
とされている。
ワイアット・アープは、現実
世界の西部開拓の時代を生き、
そして開拓時代終焉後は、映像
のバーチャル世界に関わった。
史実としては、ワイアットは、
幾度とない接近戦を含む銃撃
戦を経験しながらも、一度も
どこにも被弾した事が無い。
弾丸がズボンの裾をかすって
ブーツに穴が開いた事だけが
唯一の被弾だが、かすり傷
一つも負っていない。
歴史の中で、ときどきこういう
人間は現れる。

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