渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

マルティーニのナイフ修理

2020年06月23日 | open
 


フィンランド製マルティーニ
ナイフの
ハンドルエンドキャッ
プが外れたので修理した。
修理といっても、シアノで接
着するだけ。


大丈夫なのかなあ、こんな
作りで。



切れ味も良いし、見た目も
カッコいいの
だけど、どう
にも不安が残る。


手が切れそうな程に背の角が
立っている。
メタルファイアのマグ棒を擦っ
たら猛烈
発火、みたいな。
これは良い。
ブッシュクラフトはフィン
ランドスタイル
を抜きにして
は考えられない。


フィンランドの女性兵士。
別嬪どす。



輸入した私のフィンランド
軍実物ベレー
バッヂ。


これはうちのMCブラザーがフィン
ランドに住んでいた頃の学校
のジャージ。
彼は、本物の本場の本物プーコを
持ってい
る。


フィンランドといえば、ヤーノ・
サーリ
ネンだ。
世界で初めて脚を開いて膝を
路面に擦って
走ったグランプ
リライダーである。1945年
生まれ。
彼が二輪車でのハングオフ
の膝擦り乗りを
始めた。
彼より後、50年後の現在
に至る
まで、脚開きのコー
ナリングはレーシング
コーナリングの地球基準
の標準テクニック
となっ
ている。確立したメソッド
だ。
サーリネンは1970年から世界
グランプリに出場。
1972年、ヤマハワークスで250
クラス世界
チャンピオン。
1973年WGP第4戦イタリアで
事故に巻き
込まれて死亡。
頭部が消失する事故だっ
た。
事故原因は、コース上にオイル
が残っ
ているのに、主催者が
よく確認せずに次の
レースを
スタートさせたためだった。
ヤーノは高速セクションでオイ
ルに乗って
転倒した前走車と
もつれながらバリアに
直撃
した。
世界チャンピオンのレース
での即死事故
は世界に衝撃
与えた。
この事故を受けて、この後、
スターティ
ングラップで一周
下見周回をするシステム
が世界
グランプリでは導入された。

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