【マンモス校】日本一学生数が多い大学はどこ?【大学】
少子化なのだろう。
日本の大学の学生数は異様に減っ
ている。
ポスト団塊世代の私の時代でさえ
日大9万人、早稲田5万人だった。
私の世代は小学校の時は教室が
足りなく、校庭にプレハブの飯場
のような仮設校舎が建てられて、
くじ引きでその教室で授業を受け
た。1学年は50人学級で11クラス
程あった。
冬は鉄筋校舎はコークス混じりの
石炭達磨ストーブだったがプレ
ハブ校舎は出始めの新しい灯油
ストーブだった。1960年代はそれ。
冬は良いのだが、夏はコンテナの
中にいるような環境で地獄の暑さ
だったのがプレハブ校舎だ。
完全に平等にくじ引き抽選。
とにかく高度経済成長期は生徒数
が多くマンモス校はどんどん近隣
に新たに開校された新設校に生徒
を分散させるようにしていった。
そのため、私の世代の首都圏の
ベッドタウン出身者(出生では
なく出身)は、小中時代に転校を
経験した人たちは多い筈だ。
私は親の転勤も1度あったが、
それでも小学校3校、中学校2校
に通った。
人数は多かったが、生徒たちの
まとまりは非常に良い学校に
全部通えたのは、偶然にしろ
ラッキーだった。一番最高は
高校だったが。梁山泊みたいな
生徒と教師ばかりだった。
曲者とツワモノとキワモノ揃い
のような。
私などより数十倍もどぎつい
個性の連中がウヨウヨいた。
なお、学生数が少ない大学ラン
キングもある。
これ、泣かせるのが中央「学生数
一桁の大学、登場」のフォント。
業界用語で西暦2000年前後に云わ
れた「古典的芸能」、つまり今世紀
初頭には絶滅して久しい所謂ゲバ
字のフォントである(笑)。
かつてフォントにこれは存在しな
かった。これはポップフォント
とも異なるのである。
文化史的には、今世紀初頭の
カウンターカルチャーとしての
サブカルプチ復活ブームの時に
初めてPCプリントフォント域等
のIT関連業界に登場したフォント
だ。
どちらかというと東大や明治系
ではなく京大・同志社系の字体。
首都圏系はもっと縦に伸びる感じ。