Argentina 500cc GP - Buenos Aires - 1982.
MotoGPではない。WGPだ。
MotoGPなどはまだ存在しない。
伝説の世界グランプリ1983年
シーズンの前年。
世界グランプリにデビューした
フレディ・スペンサーとバリー・
シーンとケニー・ロバーツの対
決が見所。特に元世界チャンピ
オンのバリーの走りが果敢だ。
3度王者に輝いたキングことケニ
ー・ロバーツも現役最後の前の
年だ。フレディもデビューした
ての新人とは思えない走りを
している。
そうそうたるメンバーが走って
いる。片山敬済もいる。
幾人もの世界チャンピオン経験
者たちが競ったのがこの当時の
世界グランプリだった。
フレディ・スペンサーはこの時
20才だ。
また、ヤマハ、スズキ、カワサキ、
ホンダの日本の4メーカーの2st
ワークスマシンが揃って戦った
のは、歴史上この1982年のみだ
った。
カワサキは翌年から撤退。
ホンダは4stでは勝てない事を
知り、下のヤマハとスズキに対
抗して初の2st500ccマシンである
NS500を投入したのがこの1982年
だった。
このマシンを得たフレディと片山
は活き活きと走った。
だが、世界チャンピオンはスズキ
のフランコ・ウンチーニが獲得し
た。
日本国内の全日本でもスズキの
水谷が圧倒的強さで日本チャンピ
オンとなった。
かつて1970年代中期の勢いをスズ
キが取り戻してヤマハの牙城を崩
したのもこの1982年だった。
しかし、翌年からはヤマハ対ホン
ダの一騎打ち状態が続き、スズキ
は一時撤退する。
スズキが世界グランプリに返り咲
くのはヤングアメリカン、ケビン・
シュワンツが1980年代末期に登場
してからだ。
まだこの1982年頃は、世界グラン
プリでは「コンチネンタルサーカ
ス」の空気が残っていた。
世界を移動しながら世界選手権
レースの中に暮らすライダーた
ちはまるでサーカス一座のよう
な家族的雰囲気だった。
それはサーキット自体が選手村
のような空気をまだ持っていた
時代だったからだ。
それらは1980年代末期までには
消滅する。
他のチームの選手とは口もきか
ない雰囲気がGPに生まれて、そ
れがやがて常識となる時代へと
移行したのだった。
日本選手では、片山敬済や福田
照男がコンチネンタルサーカス
を知る最後の世代だろう。
250、350で不動の絶対王者だっ
たドイツのアントン・マンクは
1982年はカワサキから500クラス
に出場したが、このアルゼンチン
グランプリではマシントラブルで
リタイアした。
カワサキワークスは250と350で
は圧倒的な強さを見せていたが、
500では今一つヤマハ、スズキに
は届かなかった。
伝説の年は1983年だが、GP史上
最高の年は1982年だった。
世界グランプリチャンピオン経
験者大集合の年が1982年だから
だ。