渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

レディースブランドのメンズライン DOMON

2021年01月18日 | open




原宿のカフェ・ド・ロペは中高の時に
よく行ったぁ〜。
中坊の時は、ギター弾き仲間と初めて
行った。さすがにその時は酒は頼まな
かった(笑)。
ライムペリエは1981年の映画『汚れた
英雄』で草刈正雄が豪邸でプールで泳い
だあとに飲んでいた。カッコよく片手で
さばきながら。
「あれは何だ?」と世間では噂になった
が、81年時点でまだペリエは一般化して
いなかったということだ。
原宿のカフェ・ド・ロペは先んじていた。
カフェオレもここが広めた。
入る時、ちょっと引くけどね。表参道に
面したオープンスペース(屋根あり)に、
ファッションモデルみたいな人たちばかり
が客だから。
でも、てーんで俺らは俺らのまんまで、
さりげなく居座ってた。ロッカーな革ブー
はいて。中坊が。
ロペの店員さんは小僧たちだからと差別
しない。とても優しく丁寧に客として対応
してくれた。
ピンドラ/クリソー小僧たちは原宿に
よく行ってた。それはクリームソーダが
あったから。
原宿が修学旅行の街になっちゃうのは、
その後だった。

JUN/ロペは日本のブランド物の先駆者
たちの一つだ。
思うに1970年あたりから日本は一気に
ファッショナブルになった気がする。
そのずっと前も、昭和始め頃は東京はまる
きりロンドンやパリやNYみたいにオシャレ
だったんだけどね。建物や店舗だけでな
く、街行く人たちも。男も女も。
100年前の大正や昭和初期の銀座の写真
なんて見ると、え?これ現代?て思う位
だよ。女の子も可愛くて今でも通じるよう
な人たち多いし。
戦争によりそれらは消え、戦後も1960年代
後半までは「戦後」を引きずっていた。
豊かな暮らしは日活映画に出てくる人たち
だけで、一般的にようやくファッションに
も人々が馴染めるようになって来たのは
大阪万博の1970年あたりからだ。

JUN/ロペがDOMONというブランドを
発した時はちょっと衝撃的だった。
まあ、なんてのかキィハンターの時代ね。
広告もそうだけど、新しい何かが始まる
予感が凄くした。
これ、ガキんちょでもタイムリーに感じて
いた。
DOMONは、女が男に着て欲しい服、
いうそれまでにないコンセプトを初めて
出したブランドだった。
今世紀、ある和服デザイナーは言った。
「最高の女性の着物は、男が脱がしたい
と思う着物だ」
と。
DOMONはそれに通じる、女から見た目線
を初めてデザインの軸線上に置いたコンセ
プトだった。
革命的だった。

DOMONのジッポー。


1996年製だ。


幸い、日本人は和服時代からとても服に
こだわって来た。江戸期などは、どんな
階層であっても身だしなみにとても気を
使った。
それは単なる「服」という概念では説明
できない。

ウエアは、単なる被服を超える。
そして、それは、アパレル業界人や社交界
や芸能人たちだけのものではない。
服を着る。
それは、人が心にともしびを灯す事なの
だ。


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