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原宿のカフェ・ド・ロペは中高の時に
よく行ったぁ〜。
中坊の時は、ギター弾き仲間と初めて
行った。さすがにその時は酒は頼まな
かった(笑)。
ライムペリエは1981年の映画『汚れた
英雄』で草刈正雄が豪邸でプールで泳い
だあとに飲んでいた。カッコよく片手で
さばきながら。
「あれは何だ?」と世間では噂になった
が、81年時点でまだペリエは一般化して
いなかったということだ。
原宿のカフェ・ド・ロペは先んじていた。
カフェオレもここが広めた。
入る時、ちょっと引くけどね。表参道に
面したオープンスペース(屋根あり)に、
ファッションモデルみたいな人たちばかり
が客だから。
でも、てーんで俺らは俺らのまんまで、
さりげなく居座ってた。ロッカーな革ブー
ツはいて。中坊が。
ロペの店員さんは小僧たちだからと差別
しない。とても優しく丁寧に客として対応
してくれた。
ピンドラ/クリソー小僧たちは原宿に
よく行ってた。それはクリームソーダが
あったから。
原宿が修学旅行の街になっちゃうのは、
その後だった。
JUN/ロペは日本のブランド物の先駆者
たちの一つだ。
思うに1970年あたりから日本は一気に
ファッショナブルになった気がする。
そのずっと前も、昭和始め頃は東京はまる
きりロンドンやパリやNYみたいにオシャレ
だったんだけどね。建物や店舗だけでな
く、街行く人たちも。男も女も。
100年前の大正や昭和初期の銀座の写真
なんて見ると、え?これ現代?て思う位
だよ。女の子も可愛くて今でも通じるよう
な人たち多いし。
戦争によりそれらは消え、戦後も1960年代
後半までは「戦後」を引きずっていた。
豊かな暮らしは日活映画に出てくる人たち
だけで、一般的にようやくファッションに
も人々が馴染めるようになって来たのは
大阪万博の1970年あたりからだ。
JUN/ロペがDOMONというブランドを
発した時はちょっと衝撃的だった。
まあ、なんてのかキィハンターの時代ね。
広告もそうだけど、新しい何かが始まる
予感が凄くした。
これ、ガキんちょでもタイムリーに感じて
いた。
DOMONは、女が男に着て欲しい服、と
いうそれまでにないコンセプトを初めて
出したブランドだった。
今世紀、ある和服デザイナーは言った。
「最高の女性の着物は、男が脱がしたい
と思う着物だ」
と。
DOMONはそれに通じる、女から見た目線
を初めてデザインの軸線上に置いたコンセ
プトだった。
革命的だった。
DOMONのジッポー。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/47/3d185a8d0652ca8ecae6accd4a50178c.jpg?1610974051)
1996年製だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/11/d78a45d3ef6ecf162ebbf371aff3f098.jpg?1610974051)
幸い、日本人は和服時代からとても服に
こだわって来た。江戸期などは、どんな
階層であっても身だしなみにとても気を
使った。
それは単なる「服」という概念では説明
できない。
ウエアは、単なる被服を超える。
そして、それは、アパレル業界人や社交界
や芸能人たちだけのものではない。
服を着る。
それは、人が心にともしびを灯す事なの
だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/25/19f9e50f332c5ea27692e8466e67a8f0.jpg?1610974051)