渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

プレッシャー

2023年01月02日 | open








撞球で決め玉の点玉を外し飛ば
す事は、大きな大会でも世界ト
ップの選手たちでも、ごくたまに
見られる。
世界トップの選手が絶対に外さ
ないだろうという場面で、玉を
外す事が時々ある。
USオープン決勝でニック・バー
ナーがラストのゲームボールの
穴前9番を飛ばして、対戦者の
マイク・シーゲルがふざけんな
というばかりに次に手玉をわざ
と場外に跳ね飛ばし撞きで終了
した事もある。

こうした時、素人さんたちは
「プレッシャーのせいか」と
よく言う。
ジョニー・アーチャー対エフレン・
レイエスの試合でもアメリカ人
アナウンサーはエフレンが9番
を飛ばした時に「プレッシャー」
と叫んでいた。

てんで解っていない。
世界王者とて、適度な緊張はある
だろうが、局面ごとで撞く前に
プレッシャーによるミスなどは
犯さない。
プレッシャーで物が言えなくなっ
たり、キョドったり、手が動かな
かったり、動悸がしたり、手が
震えたり、そうした事は世界トッ
プたちには無い。あったら世界
チャンピオンになどなれないし、
とうに下のあたりで潰れている。
レーシングライダーにはヒヨリ
マンが一人もいないように、自
分こそが世界一と思っていて、
そして実力もある選りすぐりの
連中に、プレッシャーなどは無
い。絶対に自分はできると信じて
やっている。
ミスをプレッシャーと捉える者は
その道に深く入った事がない素人
がやらかす早計な判断で、極めて
的外れだ。

正直に言おう。
ミスはプレッシャーなどではなく、
「甘い完成度」によって引き起こ
される。
それは、発射ボタンを押す機が
まだ到来していないのに、読み
間違えて押された時に発生する。
まだ、自分の中で100%の確認
と充填率に達していないのに、
最終動作に踏み切ると事が起き
る。
完璧なる100%にありとあらゆる
ものが到達していないとミスが
発生する。
甘い状況判断だったり、読み間
違いだったり、ちょろいもんだ
ぜと思い込んだり(大抵は間違い)
するとミスが発生する。
世界トップになると、技術的な
未達は皆無であるので、ミスは
ほんのごく僅かの目に見えない
歯車の噛み合わせの不具合によっ
て発生する。
その噛み合わせの不具合には、
プレッシャーなどという陳腐な
要素は一切存在しない。
そう思うのは、アスリートやス
ポーツや争闘を知らない素人だ。
殺し合いの戦闘においても、戦闘
中にプレッシャーやビビりやひ
るみや恐怖や畏れ、精神的重圧
などは戦闘者の訓練された兵士
には存在しない。
かなり淡々と冷めた感情に支配
されていて、存外冷静だ。
ビビりや恐怖心は、戦闘時では
なく平時に訪れる。
身震いや武者震いは、殺し合い
の戦闘の後や前に到来するもの
であり、戦闘中には一切発生し
ない。
スポーツもその殺し合いの戦闘
の時に似ていて、対戦中に世界
ランカーの選手が精神的重圧で
あるプレッシャーなどは一切感
じない。
世界ランカーのアスリートや
スポーツマンたち、そしてプロ
の戦士たちは、スイッチを持って
いるのだ。そのモードは徐々に
変わる無段階変速ではなく、電
気のスイッチのようにカチッと
一瞬でモードが切り替わる。
そこは精神状態さえも自己支配
する領域なので、プレッシャー
や精神的な外圧が自己発生する
事は全く存在しない。
プレッシャーとは自己で勝手に
発生させるものだからだ。
屁とも思わない蛙の面に小便
状態が実行者たちの心理世界
の真実なのである。

プレッシャー、プレッシャーと
かよく口にする人は、物事をよ
く解っていない人たちだろうと
思う。
一般仕事でのお疲れやハードな
受験勉強や過度の期待に応えよ
うとする気負いや、そうしたシ
ーンで発生するプレッシャーと
は、スポーツと戦闘の局面は
一切関わりが無い。
ミスは自己の未完状態を感知で
きていない、換言すれば「舐め
た」時程発生する。プレッシャー
とは真逆だ。
「あと、0.5秒整えるのを待てば」
ミスは無かったというケースも異
様に多い。
これなども、プレッシャーとは
別物で、乗って来て調子こいて
撞き急いだために、適正リズム
と現場状況のマッチにずれが出た
のに感知出来なかった時などに
起こる。
戦闘の場合、機を逸するのと同じ
で、ここで押すか引くかを瞬時に
であれ間違うとまずその場で死ぬ。
スポーツの場合はミスが出る。
プレッシャーなどという瑣末な
物に左右されたりするのは、その
事に取り組む人間がど素人である
段階である場合か、生まれつきの
ビビり体質であるかのどちらか
でしかない。

人のミスを見た時に、プレッシャー
か?とか、緊張したのか、とか言
たがる人は多いが、それは多分
自分の判断軸がその程度だという
事を自己暴露しているのだと思わ
れる。
知見が浅い。
人間というものを解ってない。




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