『愛と青春の旅立ち』(1982)を
観た。やっと最後まで。
いつも、途中でくそ面白くなくて
観るのを停止していた映画だ。
気合いを入れて最後まで観た。
気合い入れないと観られない作品
というのがそもそもアウトではと
は思いながらも、観た。
公開当時、同級生の女がこの映画
にいたく感動した、泣いた、とか
言っていた。
全く解らない。
全編を最後まで観て、全く解らな
い。
もしかしたら、原題を丸無視した
くだらない邦題に乗せられた多く
の人の一人のクチなのでは?と
思った。
この作品はロマンス映画ではない。
人の死は重い。
ラブロマンスの物語でおセンチな
涙物でサラッと絵空事鑑賞などは
この作品ではできない。
そして、この作品での、ラストの
拍手で人々がヒーローを迎える
アメリカ的な陳腐な表現は、どう
にも馴染めない。
これは、『7月4日に生まれて』
(1989)や名作『ブラッドダイヤ
モンド』(2006)のラストシーン
でもそうだった。
アメリカ人、会場で拍手される
の好きだよね。絵に描いたよう
に同じく。
映画『AN OFFICER AND A
GENTLEMAN』では、主人公の
親友を自殺に追いやった女まで
が最後に拍手をしている。
とことん痴れ者だ。
海軍パイロットと結婚して海外
に住む事を目的として士官候補生
に近づき、妊娠したと偽ってい
た女だ。
地位や財産目当ての結婚はアメリカ
だけでなく日本にも多くある。
日本では「玉の輿」などとも呼ば
れる。
それらは、社会的ヒエラルヒー構造
の中でのステイタスと結婚したいの
であって、人間と結婚したいのでは
ない。
特に女は女の立場を利用して、そう
したゼニカネ亡者にすぐになる。
この作品でも、卒業前に除隊して
結婚を申し込む主人公の親友に
対し、最初抱きついて喜んでいた
女は、除隊した事を知ると態度を
豹変させて求婚を断る。
さらに、オクラホマのデパートに
勤務すればすぐに主任になれるか
ら生活の心配はない、と言う男に
ついて「誰があんなオクラホマ
の田舎なんかに住みたいものか。
あたしはパイロットと結婚して
海外に住むのが夢なの!」と
女友だちと主人公の将校に言い
放つ。金髪でブルーの目の典型的
なアメリカを象徴するような女が。
目的は金と地位と世間体だ。
そして、個人的な私利と欲望。
人を愛してなどはいない。
この手の例は万国で山ほどある。
掃いて捨てる程に。
日本でも多い。というか、これが
圧倒的大多数。
日本の見合いなどは全てこれが
前提だ。愛などはない。
最初から男女が結婚し、性交し、
出産する事を前提にお膳立てされ
る。職業や収入を条件に。
かなり不純。
だが、それを不潔とは思わない
人間社会の「嘘」がある。
その嘘がいつの間にやら「本物」
として歩き出し、まっとうな事で
あるかのように定着する。
なんとも恐ろしい。
この『愛と青春の旅立ち』という
くだらぬ邦題は、原題の意味を
全く理解していない。
将校に生きるか、あるいは身籠っ
た子どもの父親として真摯に女性
に向かうかで男は悩んだ。
それをゼニカネ地位目的の結婚願望
亡者の女は踏みにじった。
全く愛と青春の旅立ちではないの
だ。
軍事か民間人として新たな命と向き
合う紳士か、なのだ。一人の人間
として。
それゆえ、複数形ではなく「AN」
であり「A」なのだ。
独立した一人の人としてどうである
かをこの作品は観る者に問いかけて
いるのである。
集団の中の誰でもよいわけではない。
人は一人一人独立した個人として
尊厳を持つ。そこを見つめて、そこ
を愛する事ができる人であるかどう
かを本作は本作を観る者に静かに
問う。
この作品を観て、ラストシーンの表
層に感動し、リチャード・ギアって
素敵よね、とか言ってる女はバカ
確定だと思う。
「バガこくでねえ」てな感じで。