渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

不思議なキュー

2022年11月26日 | open


不思議なキューがある。
40年ほど前のアメリカンキュー
なのだが、このキューは他に見ら
れない特徴がある。

というのも、それは体感重量。
このキューのメインシャフトを
繋ぐと19.85オンス。
他の2本のシャフトではそれぞれ
19.92オンス、20.05オンスとな
る。
重量だけ見たら重たいキューの
部類に入る。
ところが、だ。
特にメインのシャフトの19.85
オンスなのだが、これが体感重量
が19.30オンス程にしか感じさせ
ないのである。
他のキューではこうした事は無い。
重量を感じさせないキュー。
20.05オンスのシャフト装着時も、
これ19.5オンス位かな、とか感じ
させるのだ。
他のこれまでのどのキューでも
そうした事は無かった。ほぼ数値
的な重さが感知できる。
だが、この古いアメリカ製の個体
に限ってはとても軽く感じさせる
のである。
多分、バランスが絶妙なのだろう。
重量配分の数値的なバランスポイ
ントが一つ。
もう一つは、バットの太さとテー
パーによる重量とのバランス。
それらが複合的に合流して、「重さ
を感じさせないキュー」になって
いるのだと思われる。
数値的なものからだけでは引き出せ
ない絶妙な作となっている。

こういうのが大切なのよね。
実際に握って振ってみないと分か
らないところから、なぜだ、どうし
てだ、ではどうするというモノヅク
リの根幹を知る事。実際にやる事。
物を作る事というのは、人間が介在
していないとならない。
日本製オートバイは、こうした事を
捨て去って、コンピュータデータに
よる数値のみから車作りをするよう
になった。開発ライダーを要らない
ものとしてしまって。
そして、それから駄目車ばかりしか
作れないようになって、世界選手権
では日本車は全く勝てないように
なって、40年間の不動の世界トップ
の座から転がり落ちた。それがここ
数年の出来事。ヒトが乗ったら転ぶ
車しか作れなくなった。
この国は、産業製品も学力も、
ゆとり脳内妄想世代によってどん
どん崩壊して行ってる。国が。
マニュアルが無いと何もできない
挨拶一つまともにできない世代に
よって。目標達成をもぎ取らず、
目先の数字だけを追って、未達成
だと「僕なりに努力してるですよ!」
と人権侵害であるかのように捉え
る連中によって。きつく注意した
ら「この会社は僕の能力を活かせ
ない」とかドカンチかまして退職
したりするような感覚の連中によ
って。
要するに、彼ら自体が「人間不在」
なのだ。
ノーベル賞を日本人が受賞できる
のも今だけだろう。
今の「老人」たちが受賞するのを
最後に、日本人からは出なくなる
だろう。日本のオートバイが雪崩
のように凋落したのと同じで。
東大卒の友人の大学で教鞭を執る
医師は言う。
さしたる論文がここのところとん
と出てこない、と。
現実だ。未来を指し示している
現実だ。
バイクはバイクの世界の事だけを
表しているのではない。日本の未
来を暗示しているのである。

そうした事は、ビリヤードキュー
一本と接していても俯瞰的に世相
を見る事ができる。
ネトウヨ脳の自己中の未発達の
幼児みたいな人間だらけ。
この国はもう駄目だろう。
弁証法的思考思索を捨てた人間が
国を滅ぼすとは弁証法的証左その
ものであるという歴史の皮肉が
私たちに襲いかかって来ている。
当然にして、現代の主体たる世代
は、その己の在り方には危機感
などは抱かない。
危機感不在である時点で、既に
終わっている。
上部構造が下部構造を規定する
現実が訪れるとは、マルクスで
さえ予想だにしなかった事だろ
う。
人は下部構造の経済によって
あらゆる制度や感性が規定され
るのではなく、上部構造に属す
る人間自身によって下部構造の
土台さえもが腐って行くという
150年前には予想できなかった
深刻な事態が今アジアの片隅の
この国で発生し始めている。
そして、その行く末は死滅を
自ら選んでいる。
破滅への序章の幕は既に開かれ
た。
崩壊へのプロローグは開幕され
た。

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