渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

風の中の二人 〜映画『ウインディー』主題歌〜

2021年12月06日 | open

Akira Inoue & Tomoko Soryo 
- Two in the Wind -

 


映画『ウインディー』(1984)の
主題
歌。
作者の井上鑑本人が歌っている。
声は主演の渡辺裕之(ゆうき)に
そっく
りだ。
この作品、原作の泉優ニの小説
が飛
抜けて良い。
山手線の中で読んで泣いてし
まったと
いう学生時代の友人
が単行本をくれた。
これ読んでみよろよ、と。
こんな小説書く奴がいるんだ、
と。
元チャンピオンだったロード
レース
選手杉本ケイ。
彼は10年前のヨーロッパグラ
ンプリの
レースでの事故で半
身不随からようや
く動けるま
で回復していた。10年かか
った。
そして、事故前に生まれた娘
アンナが
離婚した妻とオラン
ダで暮らしていた。
10才になる娘アンナは夏休み
の間だけ
父親に会いに来るの
が楽しみだった。
父親ケイは定住していない。
グランプリにプライベーター
として復帰
するため、ヨーロ
ッパ各地を転戦する
暮らしを
再開させていたのだ。
『ウインディー』はレーシング
ライダー
杉本ケイと娘アンナ
の親子の物語だ。
まだ、世界グランプリがコン
チネンタル
サーカスと呼ばれ
た時代の物語。
世界グランプリは、まるでサ
ーカスの
一座の興行のように
各国各地を転戦す
る。
生活は、移動しながらのキャ
ンプだ。
世界グランプリの転戦もまさ
にその
生活様式であり、毎日
が旅だったし、
食事も炊事も
寝起きもテントや車中
でまか
なった。
人はいつしかその世界グラン
プリの
参加者たちのジプシー
のような生活
を「コンチネン
タルサーカス」と呼ぶ
ように
なった。
パドックでの煮炊きも許され
ており、
人々はレース期間中
はそこで生活し
た。サーキッ
トが選手村のようにな
っていた。
このコンチネンタルサーカス
は1985
年あたりまで続いた。
グランプリフル参戦を最後に
経験した
日本選手は片山敬済
氏だ。
福田照男さんもスポットなが
ら最後の
期間にコンチネンタ
ルサーカスを知っ
ている。
コンチネンタルサーカスと呼
ばれた
時代とそれ以降では、
世界グランプリ
はまるで空気
が異なる。
メーカーとチームを超えた
「和」が
コンチネンタルサー
カスにはあった。
これは、世界グランプリのコ
ンチネン
タルサーカスだけで
なく国内の全日本
選手権や
MCFAJのクラブマンレース
でも、サーキットのインサイ
ドには似
た雰囲気があった。
サーキットではレーシングラ
イダーも
メカニックもスタッ
フも、コースでは
対戦相手だ
ったが、コースからピット

パドックに戻ると、皆がとて
も仲が
良く、まるで家族親戚
のようだった。
助け合い、協力し合う。そこ
に打算は
無い。
それは、この曲で歌われてい
るようなインサイド ミーに
おいてもそれに全身で感応し
ていた。
人の夢と希望に満ちた空間だ
った。
あの空気がサーキットは最高
だった。
否、レースという過酷な勝負
の世界で
そうした人と人との
真実の和が存在
する真実の場
所がサーキットだった。
間違いなく、かけがえのない
事が存在
するかけがえのない
場所だった。
今は、その空間は、無い。


 

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